白雪

 現実に立ち返り、スコープを覗く。
 だけどやっぱり真っ白で何も見えない。少なくとも見える範囲には何もいない。レーダーも持っていないから、トリオン反応もわからない。
 だからというか、あたしはまた思考に沈む。
 初めてであることと、初々しくあることの間には、分厚い壁があるのだと思う。それは勿論、どういったことに対しても。
 さっき思い出した光景からの連想で浮かんだ経験が頭を巡りだす。


 あたしは一度だけそういうことをしたことがある。
 密航者になる前、三門市で過ごした最後の春のことだった。
 それはゲートが開くタイミング――つまり密航のタイミングによっては犬飼くんの誕生日も祝えないと知ったばかりの時期で、あたしは諦め半分寂しさ半分でぼんやりしていた。
 それを見ていた二宮隊の皆は、あたしが遠征部隊に選ばれなかったショックを引きずっていると思っていたらしい。
 そして、見かねた二宮さんが近所の定食屋さんでご飯を奢ってくれた。
 晩ごはんというより夕ごはんという呼び方が似合う時間帯、色気も素っ気もない、不器用な気遣い。おかしなことになる要素はほんとうになかった。結局そういうことになったのだが。
「あくまで遠征を目指すのだというなら、また作戦を立て直すだけのことだ」
 その一言のためだけの定食と、茶色いコップのせいで麦茶なのか水なのかよくわからない飲み物、どちらも空になった頃には、流石に夜の気配が近づいていた。
 そのとき自分がどうやって二宮さんに縋ったのかは、実はあまり覚えてないし、思い出したくもないような気もする。
 ただ一人になりたくなくて、安心したくて、こちらから胸に顔を埋めたことはしっかりと覚えている。珍しく少し戸惑った様子の大きな手のひらの感触だけは忘れたくなかったから。
 天然ボケの二宮さんのことだから、こういうときも何か外した発言をして『そういう空気』を取り払ってしまうのではないかとも思ったけど、そうはならなかった。
 意外にも二宮さんは、余計なことは何一つ言わなかった。
 ただただ、あたしみたいなやつのために、時間と体力と、体温と少しお金と……色々なものを使ってくれた。
 あたしは自分から抱いてもらったくせに、ぼんやりした気持ちでそれらを受け取っていた。
 失礼なことに「こんなものかあ」なんて。
 本能というものの強さと、他人に触れる痛みばかりが鮮烈だった。
 その夜、二宮さんは一晩中あたしを抱きしめて眠っていた。

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