ニッチな国―You Are EchiEchi!―

キノの旅 本編では絶対にないけれど電撃文庫のお祭り本でどうしようもないお題を出されたときなら書いてくれるんじゃないかと一抹の期待を抱くことができる範囲のエルキノ

echiechi00.png(456761 byte)

 過ごしやすい気候の午前。ひとつの国から伸びる一本道の上のことです。
「エルメスエルメスエルメスエルメスエルメスエルメスエルメスエルメス!!!!」
「キノキノキノキノキノキノキノキノキノー!!!!!!」
 おや? キノとエルメスがやけくそでお互いの名前を叫んでいます。



 三日前のお昼のことです。
「旅人さん、入国審査は以上ですが、入国の前に我が国の風習についてお伝えしなければなりません」
「お、何何? キノの一挙一動が国民への漏電にならないように気をつける?」
「……」
 入国審査官が言葉に詰まったのを見てキノはエルメスを蹴って言います。
「エルメスの発言は無視していいので、続きをお願いします」
 若い入国審査官はいよいよ顔を真っ赤にして
「すみません!」
 奥に控えていた中年女性の入国審査官と代わりました。
「若輩者が失礼いたしました」
 女性は丁寧に謝罪すると、キノとエルメスに国の風習を説明しました。

「やりづらい」
「ひっじょ〜〜に、やりづらい!」
「ねえエ………………部屋に着くまで会話するの止そうか」
「うん。何ならこっちは明日もホテルでラジオでも聞いてるよ。で、何て言いかけたの? キ……」
「内容は変えてないよ」
「さいで」
 広くも狭くもない、技術の発達も車が普及しきらない程度の国の中を散策しながらホテルに向かうキノとエルメスは、精神的にぐったりしながら言い合いました。
 それもこれも、この国の風習のせいです。
 入国審査官が言うことにゃ、この国の風習はこうです。
『名前を呼び合うというのは特別なことであり、特別なときにしかしない』
 転じて、
『国民は特別な事情がない限り、神聖な営みの際にしか名前で呼び合わない』
 転じて、
『人前で名前を呼ぶなんて、旅人さんのえっち!』
 国民たちが表立って名前で呼び合うことはほとんどありません。
 むしろ、公共の場で名前を呼び合うなどという行為は社会のルールに反しますので、罰金刑を課せられます。
 親や聖職者が必要に駆られて子供たちの名前を呼ぶのは、医者が必要に駆られて患者の体を触るのと同じ扱いのようです。
 そして、キノとエルメスは普段からお互いの名前をかなりの高頻度で呼んでいます。もう癖です。
 なので、外で喋るのをやめてしまいました。
 うっかり名前を呼び合って顔を真っ赤にした女の子に悲鳴を上げられるのは、一回きりでいいのです。
 しかしつらいことは意外と続くもの。
 入国審査官に案内されたこの国唯一のホテルは、元は強制労働者向けのタコ部屋であり、今も少し改装しただけの労働者層向けのつくりでした。
 壁は薄く、隣の部屋の労働者たちの愚痴が丸聞こえです。シャワーがついているのが奇跡でした。
 キノは、ここでエルメスを呼んでもルール上は問題ないことを理解しています。しかし、少し考えて
「あーもう!」
 一言だけ控えめに声を上げると、無言でシャワー室に消えます。
「あーあ。退屈しそう」
 ラジオもくそもない室内で、エルメスは独りごちました。

 キノはその日、ワゴン販売されていたご飯を無言でもそもそ食べて眠りました。
 安くてそれなりに栄養があり、しかしそれほど美味しくはないワンプレート飯でした。

 翌朝、キノは夜明けと共に起き、労働者たちが出発していくどたばた音に紛れて日課の訓練とパースエイダー整備をしてから、エルメスを叩き起こします。
「起きろー! 起きろー!」
 あまり大声を出せない分いつもより叩きます。殴ります。蹴りだす直前にエルメスが目を覚ましました。
「むにゃ……ちょっとぉ、いつもより乱暴だよキノ」
 廊下で物を落とす音がしました。
 夜なら無視してくれたかもしれませんが、朝からなので驚いたのかもしれませんね。知らんけど。
「エルメス、寝ぼけてないでしっかりしてくれよ」
 キノが慎重に、廊下に聞こえないように囁いて、エルメスがやっと昨日のことを思い出しました。
「あ、ごめん。でも寝かせておいてくれてよかったのに」
「ずっと寝てたら夜眠れなくなるよ」
 キノが呆れて言って、それから肩を竦めて続けます。
「アテにしてたラジオもなかったし、こんな部屋にいても退屈するだけだろ。だったら出掛けよう」

 そうしてその日は買い物と散策をして過ごしました。
 この国には名産と呼ばれるものはなく、強いていえば本の発行が盛んでしたが、旅の荷物に多くの本は買えません。
 なので、主に旅に必要な消耗品を買い回り、次の国で売るための買い物はしませんでした。
 比較的安くて質のいい布製品も作られていたので、キノは古くなっていた分いくつかを新調しました。
 散策については、珍しいといえるものは特に見られませんでした。
 いつものように話をしながらであればきっとそれなりに楽しめたであろう、それなりの風景と文化でした。
 その間、キノの会話相手は主に国の人々でした。エルメスが口を挟む際も、さりげなくそうしていました。
 一人と一台の間で交わされた言葉は以下です。
「右」
「さて休憩」
「あっちの通りにもあったよ」
「行くよ」
「んー左」
「上は?」
「帰るか」
 部屋に戻ったキノは、人の気配がないことを確認してから伸びをして、肩を回しながら言います。
「いっそ最初からモトラドと会話してはいけないルールの方が気が楽だった気がするよ」
「上に同じ」
 奇遇ですね。横書きウェブ掲載なので本当に“上”です。
「明日はどうする?」
「朝のうちに燃料だけ補給して出発しようか」
 エルメスの問いにキノが答えて、しばらくどちらも無言になります。
 丁度そのとき労働者たちが戻り始め、廊下がガヤガヤしてきました。
「早めに寝る」
「さいで」
 キノはシャワーを浴びると新品の肌着を着て、一旦外着を着てからワゴン販売されていた夕食を買い、今夜もまた無言でもそもそと食べました。
 それから、薄いカーテン越しの日が赤くなりだす中、寝巻きに着替えました。
 そして布団に入る前、思いついたようにエルメスに近づき、小声で言います。
「おやすみ、エルメス」
「おやすみキノ。……あ、でもさキノ、」
 エルメスが小さな声のまま言葉を続けるので、キノは中腰のまま怪訝な顔をしました。
「今朝も思ったけれど、わざわざ小声で言う方が本当によからぬことをしているみたいじゃない?」
「エ……ッ!!」
 キノが怒ろうとした大声でエルメスの名前を言いそうになり、慌てて黙ります。
 丁度、隣の部屋で酒盛りをしている労働者の笑い声が聞こえてきました。 
 キノはエルメスを睨みつけて、
「……えっち」
 朝ほどでもなく、でも確実に強く叩きました。
 本編のキノなら無言で殴っているところですね。

 翌日、キノは夜明けと共に目覚め、無言で朝の日課をこなして、無言でエルメスを叩き起こして、燃料の購入と出国手続き以外で一言も口を利かずに出国しました。
 キノとエルメスは城門が閉まったことを確認して、少し気を弛めます。暖気中のエンジン音もあり、もう向こう側に声は届かないからです。
「こんなことで窮屈な思いをするなんて、想定外だった」
 キノが息を深く吐いて言って、エルメスは少し楽しそうに返します。
「クラフトとレーションが溜まったよね」
「…………はいはいフラストレーションね」
「そうそれ! あと、そろそろいいよ」
 エルメスの言葉を合図に、キノがアクセルを開けて、林に囲まれた道を走り出します。
「昨日までの分言っとく?」
 エルメスが言って、
「言おう」
 キノが頷きました。
 そして、冒頭に戻ります。
「エルメスエルメスエルメスエルメスエルメスエルメスエルメスエルメスエルメス!!!!」
「キノキノキノキノキノキノキノキノキノー!!!!!!」
 本当にもうやけくそでした。



 さて、当然エルメスは気づいていましたが、道の脇の岩陰には、無線機が一台括り付けられていました。
 受信しているのは、国内のちょっと下世話な雑誌コラムを担当している記者たちです。
「聞きました!?」
「聞きました」
 ペンと紙を持ったややテンションの高い女性と、数取器をカチカチしていたややテンションの低い男性が顔を見合わせます。
「めちゃくちゃ呼びましたね! 何度呼びましたか?」
 興奮冷めやらぬ女性が言って、男性は二つの数取器を並べて見せます。
「九回ずつです」
「なんと! あんなに情熱的に九回も!」
「いやはや……いくらうちの国以外ではなんでもないこととはいえ、意味もなくあんなに呼ぶもんですかね」
「わかりませんが、読者は喜びます!」
 まず真っ先に自分が大喜びしている女性がそう言って、
「いたっ!」
 紙だらけの狭い部屋で勢いよく立ち上がって電気の傘に頭をぶつけます。
「しかし、モトラドと美少年……ちょっとニッチな“組み合わせ”ですね」
 男性が女性をまったく心配せずに言うと、女性は目を丸くします。
「美少女では?」
「そうなんですか? ……じゃあ間を取って『美少年』のところに『容貌の美しい少年、または少女』と注釈を入れるのはどうです?」
「いいですね! 古い言い回し万歳です!」
 冷静に考える男性と、今度は電気の傘に拳をぶつけた女性、今度こそどちらも打撲や埃を気にかけずに話を続けます。
「読者の反応が楽しみです!」



 ある日のことです。
 青年が、どこかの国で性的表現により発売禁止を食らったという雑誌を、苦労して手に入れました。
 なんでもどこかの珍しい価値観の国の雑誌だということで、彼には内容の予想がつきません。
 青年はワクワクしながら、あるいはドキドキしながら、発売禁止の原因となったちょっと下世話なコラムを開きます。
『白昼堂々! 美少年とモトラド、名前を連呼』
「…………」
 青年はいくつかまばたきして、目をこすって、まばたきをします。
「……ニッチすぎないか」
 ニッチですね。

(おわり)

本編にギリありそうなエルキノシリーズから膨らませました。

以下おまけ

echiechi01.png(644551 byte)

echiechi2.png(367905 byte)

index