超熟ひざまくら

 膝の上の重さに戸惑うことはなくても、脚が痺れそうな気配に泣きそうになることはある。
 そして今、俺は泣きそうだった。
「門田さぁーん……」
 べそをかきそうなのは敢えて隠さず、むしろ強調して、この場に居ない人を呼ぶ。
 門田さんどころか渡草さんさえ不在のバンには俺と狩沢さんしか居ない。
 泣きそうな自分を素敵に演出しながら、俺は特にこれを改善させる気はない。
 この眠りが心地よいなら、いくらでも膝を貸そう。
 そんな若干気障なことを思いながら、俺は自分の膝で実に気持ち良さそうにすやすや寝ている狩沢さんの顔を眺める。
『ゆまっち、お膝をお貸しなさい』
 そう唐突に頼まれても断れず、断る気もなく貸したのはこの人だからに他ならない。
『アイシンクアンシーン』
 元ネタからは想像もつかない幸せそうな声が蘇ると、ちょっと小憎たらしくもなる。どちらかというと本来俺は膝を借りたい方なのだ。膝枕されるのは男のロマンですし。
 ただし二次元に限る。
 だって、どう考えても体痛くなるし。車のシート+膝枕ということはつまり後で狩沢さんの体はミシミシということだ。敢えて起こさないことを選ぶのが俺なら、後でマッサージしてやるのも俺だろう。若干めんどい。
 けど、他の誰かがするのも、誰にも何もしてもらうことなく彼女がなんとなく体が痛いまま過ごすのも、除外。マッサージ機とかプロ(他の誰かには含まれない)とかそういう選択肢も面倒だから除外。
 あーあ、めんどくさいなーだなんて、頬を緩ませる。
 本来は、彼女に尽くして尽くして尽くし続けても足りないと、俺は思っている。
 恋してるからとか愛してるからそういう甘酸っぱいことではない。嘘ではない。時々嘘っぽくなるが、嘘ではない。
 『嘘だけど』と執拗に繰り返し自分の心と真実を守ろうとする電撃文庫のラノベの主人公を思い出した。ヒロインがよく眠る。そしてそれはとても冷たい寝顔なのだという。触ったら温度がどう、とかは書いてあったっけな。
 思いつきついでに眠る相方の頬を撫でる。少し熱い。自分の顔を触っても似たようなものなので恐らく車内の気温のせいだろう。
 前に一度折原さんに聞かれたことがあった。
『そういえばさ、ゆまっち君はどうしてそんなにエリエリのこと大事そうなの?』
 『イザイザ』に対抗して狩沢さんを変なあだ名で呼ぶのが可笑しかったけどそこはスルーして、俺はバレてることに対して感心した。
 門田さんでも確信はしてなかったのに。
 俺はこの情報もいつか何かでご入り用になったら売られるんだろうかと思いながら、純粋に人間が大好き過ぎる折原さんに、包み隠さず話したものだ。
『例えば、狩沢さんの暴走なら誰でも止められるっす。けど俺の言動への解説は他の人には出来ないので。まあ、自動的に彼女は代替不可能品なんすよ。みーくんにとってのまーちゃん的に』
 それを聞くと折原さんは楽しそうに笑って
『みーくんだかまーちゃんだかはわからないけど、なるほど、面白いね。特別な存在っていうのはいつでも楽しいよ』
 と言った。へえー、と流した。多分壊すことも楽しむんだろうけど、この人に二次元は壊せないし。
 狩沢さんが膝で身じろぎして、俺は回想から現在に戻される。
 脚はもう痺れて感覚が消えかかっていて、俺はさっきまで膝が当たり前に彼女の体温を感じていたことに気づいた。腹はまだ体温を感じている。
 残された感覚による体温が愛しくなって、はっとする。待て俺、三次元に浮気するなどとは、二次元に失礼! 不埒! 普段の豪語の甲斐もあって狩沢さんにも白い目で見られるっす!
 こういった形の浮気で白い目で見られると知ったらまた折原さんは面白がるかもな、と含み笑いをする。ただ、言う気はない。前のアレだって何で話したんだろってくらいなのだ。
 んー、と寝言のようにうめく狩沢さんを眺めて、俺はそっと思考をそっちに寄せる。
 狩沢さんはたった一人、今の俺の言動を完璧に理解・解説することが出来る人だ。そんな人が相方の位置に居てくれるのは本当に心強い。
 共通の趣味を分かち合い理解してくれる相方が居るだけでも充分幸はある。でも、一人は辛いが二人じゃ寂しい。俺でもたやすくみんなで手を繋げるようになるくらい解説上手な彼女はつまり、俺らの敬愛する門田さんをはじめとする周囲と俺を繋がりやすくする役目すら負えているのだ。
 自分の不自由さは棚に上げて幸運さに感じ入ると、この環境を守り通したいと強く思わされる。異性なのが厄介だが、異性じゃないとこんなにしっくりこないんだろうなぁという見方もある。カシス曰く、本当に仲良くなれるのは異性だとか。
 ……って、カシスの言ってたのは恋愛のことか。でもまあ、普通に、対になってるって見方があるのでそっちってことにしとこう。
 脱線したがとにかく打算の上でも大事ということだ。もしかしたらたった一人なんて特別なものじゃないかもしれないが、そんなの今は関係ない。
 だから、大事にしてやりたい。狩沢さんは身体的には普通の女性なので俺よりはかなり脆いですし。
「門田さんも渡草さんも遅いなぁ……」
 無意味に口に出して、帰りを待ち侘びる気持ちを掘り起こす。
 漫画でも読んでいようか。そう考えてやっと気づく。俺今の今まで思いきり三次元に浮気してました!?
「…………うわぁ」
 口に出た。出さざるを得ない。スタンドも月までふっとぶこの衝撃。
 まあ仕方ない。と被りを振る。そういう日もある。
 そもそも浮気などと言い出す前に、普通に三次元だって大事ではある。二次元に恋し続けるためには安定した三次元も必要なのだ。体調を崩せば字も追えなくなるし。
 そう考えると三次元は家族に近いのかもしれない。みんな元気。的に。家族あってこその恋愛。それは確か昭が言ってたんだっけ。改めて片山若子に釣られてみてよかったと思う。
 結局本を取らず考えているうちに、バンのドアが開く。
「遅くなったな。お、狩沢寝てるのか」
 そこに居たのは門田さんだ。門田さんはそのまま助手席に収まる。
 俺は困ってることをコミカルに強調して言う。
「はい、本格的に寝入っちゃったんすよ。脚めっちゃ痺れてるんすよー門田さぁーん……」
「起こしたらいいんじゃないか?」
 尤もな正論を門田さんの口から頂戴して、俺はやっと狩沢さんを起こす行動に移る……前にちょっと髪を顔から払う。率直に素敵だ。表情も髪も頬も。
 モデルにしたいなー。と氷に思いを巡らせかけて門田さんの視線に気づいた。
「宝物みたいに扱うんだな」
 そんな幻聴が聞こえる。
 とりあえず肩をそっと揺する。
「んんぅ……」
 もう少し強く揺する。
「……んー」
 普通に揺すって名前を呼ぶ。
「狩沢さーん」
「んぁあ、ゆまっちぃ……んー……」
 駄目だ、呻くばかりで起きやしない。こんな起こし方じゃ起きないのは想定の範囲内なので俺は慌てない。
 門田さんは少し困っているようだ。声のせいかな。この人硬派だし。
「……あー、その、もっとはっきり起こせないか? あと脚脚」
 どうやら困るのは声の艶っぽさだけじゃなかったらしい。とりあえず言われた部位、脚を見ると、今日のロングスカートはスリットが入ったタイプだったようだ。脚が出ている。というか下着が危うい。今日は確かこの間買ってきたばっかりの……って心底どうでもいい。
 とりあえず布地を引っ張って脚を隠す。
 そして、彼女の肩辺りに手を差し入れ、もう一方の手で支える形で無理矢理上体を起こす。
 だが、この程度で起きる超熟睡モード→略して超熟→連想して食パンの狩沢さんではない。体は起こされているのにすやすや寝ている。
 それを見ている門田さんが感心したような顔で言う。
「よく寝てるな。だが前の旅行のときも別のときも普通に起きてきた気がするんだが……。それとも短時間の睡眠が駄目なのか?」
 旅行、というのはほとぼりが冷めるまでということで団体で出掛けたあの旅行のことだろう。
「ああ、あのときはここまでちゃんとは寝てないと思うっすよ。妙に寝起き良かったっすから」
「そうなのか。気づかなかったな」
 まあ、その辺狩沢さんわかりづらいっすから。
 まだ門田さんとの会話を続けることも出来そうだったがとりあえずジャンプのごとき非情さを以って打ち切り、狩沢さんを起こす手立てを考える。
 よく使う手1、水を掛ける。ボツ。この場にないし染みを作ったら渡草さんにギタギタにされる。
 よく使う手2、狩沢さん愛用目覚ましを使う。ボツ。この場にない。
 前使ったことのある手、鼻と口を塞ぐ。ボツ。この人は咳き込むくらいになるまで起きない。
 よく使う手3、名前呼びで怒鳴る。うーん……微妙だ。最初の頃こそ『実家?!』と混乱して飛び起きてくれたが最近そうもいってない。どうしよう。
 よく使う手その4……ってキリがないな。悩んでいても仕方ないのでがこがこ乱暴に揺すってみる。起きない。首痛めそうで怖い。
「狩沢絵理華さーん」
 フルネームで呼び掛けても変わらない。アニメキャラの台詞でももじって……と考えたところで幸せそうな寝顔の彼女がよだれを垂らしていることに気づく。あーあ、折角寝転んでたときはよだれなしだったのに。という感想を胸から垂れ流しながら、両手の塞がっている俺は彼女の口元をぬぐった。
「おまっ……!」
 戻ってきたばかりらしい、運転席のドアを開けたポーズの渡草さんの声で我に返る。門田さんも驚いた顔でこちらを見ている。狩沢さんは普通に覚醒して能天気に「あ、おはおーゆまっちー」とか「とぐっちドタチンおはよー」とか言った。
 思わずよく使う手その4と同じことをしてしまったようだ。原理は不明だが、こうすると結構な割合で起きる。
 俺は起きたばかりの彼女に、畳み掛けのように変な連想の結末を投げることを思いつく。
「食パンウーマン覚醒っすね」
「なあにそれ。ナルシストな寝言でも言ってた?」
「いやそれはないっすよ。それっぽい発言なんか旅行のときの『湯上りマジックはんぱない!』くらいっす」
「じゃあ何? 寝起きで全然繋がらなーい。二次元だよね? あれぇ?」
「いや、二次元じゃないので安心してください。単に超熟睡モード入ってたってだけっす」
「ああ、超熟」
 そうして俺らの会話が一段落しても尚も口をぱくぱくさせる渡草さんと門田さんに、狩沢さんは、俺の二次元比喩が濃すぎたときにいつもするのと同じように説明してみせる。
「何でそんなに動揺するかなぁ。あたしがよだれでも垂らしてたんじゃない? ほら、ゆまっち両手塞がってたし」
 そして俺の空いたばかりの両手をひっつかんでゆさゆさ見せびらかしながら
「あ、こういうシチュエーションって、『俺、お前のこと友達だと思ってたはずだったんだ……でも実は意識してたのかも……』って方向に持ってけそうじゃない!?」
 とはしゃぎだす。俺は楽しくなってきたの半分、BL前提の妄想だとしたらついていけないなぁという気持ち半分で話しに乗る。狩沢さんは更に楽しそうな声をあげる。いつものバンの後部の空気をまき散らす。
 ちらっと見ると、『考えたら負けだったのか』言葉にするとそんな感じの顔をした渡草さんは何ごともなかったよう……を演出したいかのように前を向いてエンジンを掛けた。門田さんはただ前を向いている。
 まあ、ここから先はなるようになるだろう。だから、もう二次元に戻ってしまえ。三次元のことなんて偶に考える機会があればいいだけのことだ。
 ただ、この後の狩沢さんは左肩が痛いと言いだすところまでは確定しているので、俺の仕事はまだある訳だ。面倒だ。
 だけど、それを悪いことだとは、思わなかった。

 狩沢さんの解説能力がすごすぎて大事にせざるをえなさそうだなと。
 ゆまっちは臨也のことなんて呼んでていざやさんは遊馬崎のことなんて呼んでるんだろう。それともわたし見落としてるかな。
 原作に合わせて三人称してたけど、やっぱり一人称が書きやすい。ただ、入間臭がただよってくるな。ただでさえ元々私と入間さんのあれ似てるからな仕方ないな。
 他にも色々妄想しているのをさらっと種蒔いたりしてるので何か連想とかこれ見て思いついたとかで誰か二次SSか漫画かなんか書いてくんねーかな、とかなんとか思っている。他力本願? いや、どしても書きたい分は自分でもちゃんと書くよ。

どうでもいいけど超熟はイングリッシュマフィンが好きです。

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