刃物を使う -Human and Culture.-

「少年、動かないで」
 頭の後ろでアルトさんの声がして、僕は大袈裟に背筋を正した。結果的に余計動いてしまったことになる。
 頭頂部に苦笑がかかって、僕は俯きたい衝動と戦うことになる。
 わかりやすく、醜態を晒していた。
 夜。見張りとして起きているはずなのに、僕はアルトさんに髪を切られていた。
 呑気すぎやしないだろうかと、外を無意味に覗き見たくなる。
 ここは基地ではない。数日前に向かうはずだった基地は敵に押さえられていた。
 だから僕たちは一度基地を離れて、しばらくはセキュリティを突破する作戦を練りつつ体勢を立て直すことにしていた。
 そこで行き着いたのが、廃墟となったショッピングモールの奥にある地下倉庫だ。ひとつしかない倉庫出入り口へ辿り着くためにはモール内を通る必要があり、そこには爆発物を仕掛けてある。
 痕跡は消してあるし車も別の場所に隠して来たので、ここが見つかったとしてもまずは偵察隊にだろう。迎撃は比較的、難しくはない。はずだ。いきなり車や戦車で来られたとしても、他の場所でいきなり襲撃されるよりは何とかなる。
 だから見張りと言っても、仕掛けた罠の音が鳴らないかどうかだけわかれば……つまり起きてさえいればいい。それに下手に表に顔を出す訳にも行かないから、余計にやることがない。
 それにしたって、やっぱり呑気すぎやしないだろうか。
 暗闇に目を凝らすと、部隊の他の人たちが寝静まっているのがうっすら見える。
 そして元々置いてあった製品や台車等は全部壁際に寄せてあり、不気味な形の影になっている。
 起きて動いているのは、僕とアルトさんだけだ。
 最初は、普通に出入り口の近くに座って、眠気ざましにひそひそ話をしていただけだった。
 来て早々のイトカワさんが『商品で武器をDIYしなきゃいけない気がしてきた』と軽口を叩いていたことからゾンビ映画の話になり、核爆弾の話に飛び、更に宇宙人が攻めてくる映画の話を経由して最終的にインベーダーゲームの話に不時着して言葉が尽きた。相変わらず、アルトさんの頭の中はよかわからない。
 その後は、手回し式のLEDランタンを回す以外に、特にやることもなかった。
 アルトさんが突然ハサミを出したのは皆が寝静まった頃だ。
「髪伸びたね少年。今のうちに切っちゃおうか」
 思い出してみても藪から棒だった。いつものアルトさんだとも言える。
 以前ならば基地での待機中にいくらでも自分で髪を切ることくらいできた。けれど、奇襲を受けて多くを失ってからは、そんな余裕がなかった。そんな場合でもないと、そう思っていた。
「あの」
 はさみが少し離れたのを見計らってアルトさんを見上げる。倉庫に仕舞われていたパイプ椅子が小さく軋んで、耳に痛い。
「何? 切りすぎては……ないと思うよ?」
 家庭用はさみで宙を切りながら、アルトさんが首を傾げる。
 小声で喋るために耳に寄って来るので距離感に戸惑い、怯みそうになった。狙っているんじゃないかとすら思ってしまう。
 僕はええいと口を開く。
「いえ、もっと短く…………刈るくらいの感じでやってもらっていいですか?」
「なんでさ」
「いえ……その方がやっぱり、向いているかなと、思って。今の状況に」
 少しもったりした前髪をつまみながら言う。
 本音を言えば色々なものを削ぎ落としてしまいたいような、自棄が含まれている。だけど、長くなると邪魔になったり汚れや臭いがこもり易かったりする。形を整えることなど考えずにただ短くしてしまえというのは、理に適っているはずだ。
「んー……だめ」
「なんでですか」
 アルトさんの返答が意外で、今度はこちらが疑問を持つ。
 するとアルトさんは少し考えて、それから僕の肩に片手を置く。体に掛けられているビニール袋が、クシャッと音を立てた。
「今、季節はいつでしょう」
 囁かれたのが答えではなく質問で、いよいよわけがわからない。僕はただ問われたままを答えることしかできない。
「えぇっと……多分冬? あ、いや、春かもしれません……」
「そうね、ちょっと寒いわよね」
「え? はい、まあ」
「少年、今風邪引くとどうなると思う?」
「え、それは困ります、けど」
 アルトさんにしては回りくどく、まるで会話を引き伸ばすかのような話し方で、僕は混乱してきた。
 そんな僕の様子を暫く眺めてから、アルトさんは僕から手を離す。
「そ。少年が風邪引いたら特に困るのよね、私たち。で、この季節に急に髪を短くしたら、風邪引くでしょ」
「……ああ」
 なるほど、そういうことか、と納得する。アルトさんの髪が短くなった季節がいつだったかは、ちょっと思い出せないけれど。
「まぁ、単純にこの方が似合うっていうのもある」
「え」
「可愛いぞ少年」
 思わぬタイミングでからかわれて対応しきれていない僕に、アルトさんは独り言のように低く続ける。
「第一、正規の軍隊じゃないんだからさ、そんなところまで徹底していたくもないっての」
「…………」
 遠い目の先、その言葉の続きには、『徹底すべき』何か別のものが映っているような気がした。
 その横顔の鋭さに、少しの後ろめたさが怯えをはらむ。
 僕のささやかな自棄は、見抜かれていたんだろうか。
 何も言えない僕を置き去りに、アルトさんは何事もなかったようにショキショキとはさみを振るい始める。
 それにしたって、どうしてこんなにちょっとずつ、毛先を削るように切って行くんだろう。
 僕はだめだだめだと思いつつ、こくり、こくりと舟を漕ぐ。
「アルト、さ……ん……」
 いつ終わるんですか。と問おうとしたはずなのに、僕の意識は久しぶりに本当の暗闇の中に沈む。
 こんなときに限って。



「やっと寝てくれた……し、うし、完成」
 アルト君の呟きを耳にして、私はこっそりと毛布を抜け出す。
「床屋作戦成功しました?」
「うん。完全に落ちてる。運んでもらっていい?」
「はい」
 小声のやりとりのあと、私はゼター君をそっと抱えて毛布の元へ運び、寝かせる。しっかりと重たいが、寝顔にはまだまだあどけなさが残っている。
「しっかし少年もまだまだ子供だねぇ、こんな作戦でなんとかなっちゃうなんて」
 ほんのり微笑んだようにも見えるアルト君の言葉に、私も口元を緩める。
「でも子供で助かりました。睡眠導入剤は逆に起きれなくなる危険性がある」
 しかし、危なかった。私も寝たふりなんかしていたせいで眠りこんでしまいそうだった。
 こうなってくるといよいよ以てヒロポンとか使いたくなる。勿論、有用な16bitに選ばれなかった私のような……使い潰していい者にだけ使うのだ。
 大きな拠点を追われて以来、私たちの部隊は気が休まらない日々を送っていた。逃げる形で拠点を後にしたせいで相手に行動を先読みされ、しょっちゅう待ち伏せされていたのだ。取り戻した拠点もあるがそういった場所はそもそも場所自体の守りが弱く、またすぐに移動する羽目になった。
 それでも部隊が生き延びることができたのは、アルト君、そしてゼター君の能力が強力に開花したお陰だった。多くの仲間を失い憔悴した顔ぶれの中でも、特に口数を減らしていた二人だ。
 生き物の進化というのは何とも、残酷なものだ。
 ゼター君が一睡もしていないことに最初に気がついたのは、いつか捨て置ききれずに拾ってきた少年だった。その子は一度死にかけたために、妙に目端がきくのだ。
 ゼター君は故意に寝ていないわけではなく、一応寝転んで目をつむってはいるらしい。しかし、ちょっとした様子から眠れていないことがわかったそうだ。他の皆も目の下の隈には気がついていたから、ある種納得の情報ではあった。
 何かショックなことでもあったのだろう。何かも何も、私たちの多くは仲間の断末魔を背に逃げてきたのだが。
 現在、索敵の要であるゼター君が不調を起こすということは、この部隊にとって致命的な事態だ。
 そこで、現リーダーであるアルト君はゼター君をなんとか眠らせようと作戦を立てることにしたのだ。作戦内容自体は……誰が考えたのだったか。まあ、かくして生まれたのが『床屋と子供作戦』だ。考え出された中でも失敗しても大した痛手がないものだったから、気軽に実行に移せた。
 ここで敵襲があれば台無しだが、今のところ大丈夫そうだ。
「アルトく……隊長も寝てくださいね。後は私が起きてますから」
 私は平静を装って最後まで言い切ってから、心の中で舌打ちする。まったく、どうしても新しい呼び方に慣れない。けじめのためにも言葉や呼び方は比較的年長である私が率先して整えておくべきだと思うのだが、元々社会不適合者だっただけあり、上手く行かない。
「見張りはペアだよ」
 アルト君は目を伏せて、苦笑するようなニュアンスで首を振る。
 もっともな指摘だが、今の私には返す言葉がある。私は先程からもごもごとうごめいていた毛布を指差す。
「じゃあそこの、起きちゃってる二人のどっちかとやりますから」
 私の言葉が聞き取れたようで、イトカワ君とガンマ君が観念したように顔を出した。
「お前らなぁ……」
 のそのそと起きてくる二人にアルト君は呆れた声を出す。
 私は彼らの行動を……無理からぬ話だと思う。
 この二人とゼター君は特に、アルト君が隊を率いるようになる前から彼女をリーダーにして行動してきたようなところがある。チームを組んでいるときだけではなく、自然に、普段からだ。それは態度から読み取れた。年齢は少し上過ぎるが、ガキ大将とその周りの子供たちのような雰囲気があった。
 そんな大将が殆ど眠っていなければ、そりゃあ、気がかりだろう。自分たちの支えなのだから。
 アルト君は他人を使うという行動の匙加減に疎いことに自覚的で、その立場と性質の齟齬の解決に、自らの無理を選ぶ人間性の持ち主だ。リーダーになるにあたっての無理は大きい。飄々とした振る舞いに似合わず、責任感による背伸びが『出来てしまう』タイプなのだろう。
 この娘の無理は、たとえ隊長を降りることになっても死ぬまで直らない気さえする。
 他にもっと上に立つことに向いている者が部隊を引っ張っていけたらよかったのだが、今部隊を率いることができる人材は、消去法でアルト君しかいなかった。
 とはいえ休んでくれないのは困る。私だってまだ死にたくはない。今ここで再びリーダーを失うことも、アルト君の能力を失うことも痛すぎるのだ。
 私たちはなんとかアルト君を丸め込んで寝る努力をしてもらい、見張りは私とガンマ君が担当することになった。
 眠らないように椅子に座り、静かに外に耳を澄ませる。風も吹かない、静かな夜だ。
「困ったもんっすね」
 ぽつりとこぼされたガンマ君の言葉がどの『困った』に向けてのものかはわからなかったが、それを差し引いても全面的に同感だった。
「ああ。そうですねぇ」
 表面上は穏やかに努めたが、実際はどうしてこうなったとAAの如く踊り狂いたくなる酷い現状だ。
「それにしても、」
「ん?」
 黙ったままいると思ったガンマ君が口を開いて、私は頭を振る。
「なんで『床屋』をアルトにしたんすか?」
「あー」
 そういえばそこを提案したのは私だったか。他のやつだと思っていた。賛同したやつがいたから、そっちの印象が強くなっていたようだ。
 ガンマ君は、何故ゼター君と同じく休ませなければいけないアルト君に『床屋』をやらせたのかと、そういうことを今更に思ったのだろう。
「……んー、懐いてるしね。あと何だかんだああいうのは女の子に向いていますよ」
 実は直感、とは言えずに適当言うと、ガンマ君はちょっとだけ変な顔をする。そういったある種の決めつけを嫌う若さと友情を感じる、瑞々しい態度だ。
 だから汚い大人の私は良質な思い出に逃げることにする。
「男は何故か女に勝てないように出来てるって漫画で言ってたから」
 するとガンマ君は狙い通り小さく吹き出す。
「虫カガっすか。そういえばあんたに勧められたんだったか」
「多分そうですよ。ありゃ名作だ」
 思えば私は、ゲーム上ではチャット機能で古いweb漫画を勧めまくる変なお兄さんで通っていた。最初は会話の流れでそうなることが多かっただけなのだが、途中から面白がられていたようでよく知らない奴にまでお勧めを聞かれた。勿論、快く面白い漫画に引きずり込んだ。
 グループもプレイの嗜好も関係なく交流をしていたので、ガンマ君たちとも何度かチャットで話したことがあったのだ。
 オナマスのコミカライズを紹介していたところに女子が入ってきて焦ったのも、今となっては懐かしい思い出だ。
 ……当時男性プレイヤーだと思っていたアルト君が最初からいた気もしたが、そんな昔のことは忘れた。寧ろすごく焚きつけられたような気もしてきたので不問としたい。
 思い出から目を逸らすようにガンマ君の方を見ると、何もない顎をつまむように触っている。彼の癖の名残だ。
 以前のガンマ君は髭を生やしていて、今より更に荒々しく見える顔をしていた。戦場で不精しだしたのか元々伸ばす方だったのかは知らないが、なかなかに似合っていたことを覚えている。
 今は余程のことがなければきっちり剃っている。以前の大きな拠点には電源があったので電気シェーバーでよかったのだが、今は剃刀くらいしか使えず、不便そうだ。
 そうまでして髭を剃るのは、怪我の防止に他ならない。
 戦場で抱えたストレスが向かう先は人それぞれだ。ガンマ君の場合、無意識に髭を抜くという行動に現れた。最初はちょっと腫れたり指を傷つけたりする程度で済んでいたのだが、あるとき雑菌が入って膿ができた。針で刺すのでは足りずに切って対処するほどの事になったらしい。
 と、私に見られていると気づいたガンマ君が癖を誤魔化すように頭を掻く。
 私はジロジロ見てしまったことに謝罪する代わりにゆるゆると首を振った。
 何もない夜は時間が過ぎるのが遅い。手回し充電式のランタンも暇だからといって回し過ぎたら壊れそうだ。
 私はポケットからナイフを取り出して、自分の手指の爪の先を薄く薄く削り取る。
「……おぉー」
 今度は私が見られる番だったようだ。ガンマ君が見入っている。
「器用っすね」
「まぁね。無駄な特技ですよ。実際は爪切りやはさみでいいんだから」
 昔から手先は器用だった。手先以外が不器用過ぎて上手くいかない日々だったが、今思えば気軽に肉が食べられたので幸せだった。
「……そういえばこの近くには牧場があったらしいね」
 肉の話をかなり遠回りさせて、無難な雑談に難着陸させる。ここで食べ物の話題を出すのはあまりに思い遣りがない。
「ああいうのって野生に帰れるんすかねぇ……」
 ガンマ君は動物たちの行方に思いを馳せているのか、ため息混じりに呟く。
 この青年は存外、かわいらしい思考回路をしているらしい。単なる地理の情報と取るか、あるいは食べ物の思考に行き着いてしまうかと思ったのだが。微笑ましい限りだ。
「さあね。動物は結構、しぶといですから。我々含めて」
「そっすね」
 横を見遣ると、ガンマ君が少しだけ頬を緩ませていた。
 ふと思う。髪を切る、髭を剃る、爪を削る、おまけに傷口の切開……我々は結構、文化的な生活を刃物に依存している。料理なんかもそうだ。
 もっと他にも何か、文化的な……何か、今の私たちに身近な使い道があった気がしたが、なかなか出てこない。段々と面倒になってきて、私は爪を削る方に集中することにした。



 そうそう、文化的な使い方といったらこれだ。日本人なら尚更。
 ギリギリの瞬間だというのに、私はかつての、少しだけ気持ちが穏やかになった夜の思考を思い出す。いや、寧ろこれは走馬灯のようなものなのかもしれない。
 今の私はもう腕くらいしか動かせないし、激痛のためか肺のどこかに穴が空いているのか声も出ない。
 それにしたってばかな話だ。利己的に生きてきたつもりなのに、つい年下の隊員を庇ってしまった。こんな風に大人から死ぬから、戦力の減りも早かったしリーダー向きの人材も残っていなかったんだろうに。
 助けは、期待できない。自分でも手遅れだとわかっているから、手を煩わせたくもない。
 今しがた指先から離した銃には最早残弾はなく、携帯していた手榴弾は先ほど足元で爆発して、私から足の殆どを奪っていた。あれが湿気ていなければ一瞬で死ねたというのに。普段の行いが悪すぎた。
 私は震える手で、ポケットの中から、いつも使っていたナイフを取り出す。爪を削るわけじゃない。手先が器用でなくてもできることをするのだ。
 もっと、大きなものを自分から切り離すのだ。

 使い道は、簡単だ。

やっくでかるちゃー。
ショッピングモールで武器をDIYはパニックモノあるある、ゾンビからの核爆弾はバタリアン、核爆弾からの宇宙人はインデペンテンス・デイ、それからご存知インベーダー。

2017/01/21 微改訂 2017/02/07も微改訂(最初工業地帯の倉庫の設定だったのでその名残が残ってた><)

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