プロトタイプ

「四宮先輩! 見つけた!」
 私は息を切らせて、卒業を控えて大忙しの四宮先輩を捕まえる。今日の授業が終わってすぐにダッシュしたものの、三十分は迷っていた。
 先輩は私に捕まえられるなり聞こえよがしに舌打ちをした。
「なんだヒナコ。くだらない用だったら聞かねえぞ」
 四宮先輩の視線は多忙のあまりかいつもより刺々しい。だけど今日は、引くわけには行かなかった。
「料理勝負、してください。最後に! もう今日くらいしかそんなことしてられないですよねっ」
 真剣に見つめると、四宮先輩は値踏みでもするようにじろりと私を見つめる。
 私はふざけたくなる気持ちを押さえて、その顔をじっと見つめ返した。十秒以上そのままならからかってやろうかともよぎる。
 しかし五秒ほどで、四宮先輩は詰めていた息を吐いた。
 つられて息を吐いて、私はそのとき初めて息を止めて待っていたことに気がついた。
「……わかった。材料はどうする」


 勝負の条件(自分が今住んでいる部屋にある材料だけを使うこと)のために、私は自室で食材を吟味している。
 何をどう使って何を作るか。そんなことほとんど纏まりきった頭の中をわざとまたかき混ぜて、あれでもないこれでもないと食材を手に取る。
 四宮先輩と私は、仲がよかった。悪かったともいう。会えば私が余計なことを言って先輩が怒って……そんな繰り返しが私たちのやりとりの常だった。
 自分は捨て石になるまいと、捨て石ではないと、玉(ぎょく)たれと戦い続ける学園生活には、厳しい場面が多い。入学式で親切にしてくれた子の首は最初の合宿で飛んだし、その後も色んな知り合いが振り落とされた。
 まあ、ここは普通の学園ではないし、実力が伴わなければそんなものなのだけど。
 とはいえ友達になってしまえば、別れは寂しくなるものだ。
 私が四宮先輩を慕い始めたのは、『先輩なら途中で脱落しやしないだろう』という、ある種打算的な安心感が始まりだった。
 だけど、そんなちっぽけなきっかけはどうでもよかった。
 私は、恋をしたのだから。
「……よし」
 私は結局最初に決めていた材料だけを袋に詰め込んで、待ち合わせしている調理室へと向かった。

「待ちました?」
 引き戸を中途半端に開けてとってもお茶目に顔を覗かせると、四宮先輩はもう準備完了といったところだった。あとデコピン食らった。容赦なく痛い。
 仕方なく急いで自分の料理の準備をする。部屋で着替えてきた和服の上から割烹着を着て、食材、鍋、調味料を使いやすい位置に置く。
 途中、いつものコックコート姿の四宮先輩を盗み見ようとしたら、ばっちり目が合った。すぐに睨まれ舌打ちされたが、私はいつも通り、それを見てしまっていた。
 ……あなたはいつから、そんなに優しい目で私を見るようになったんでしたっけ?
 物思いをしながらも手は素早く動いた。
 私の準備が整ったのを見て、四宮先輩は口を開く。
「両方出来上がってから、出来上がった順に器に盛りつけ、実食。審査員は俺とお前の二人。勝った方はなんでも要求できる。……このルールで間違いないな」
 その平坦な口調には、ひとつの聞き漏らしも言い間違いも許さない厳格さが感じられた。
「はい」
 私も気を引き締めて返事をする。
 真剣なのだ。
 四宮先輩はてっぺんを取った人だ。それでも私だって、伊達に『霧の女帝』と呼ばれているわけじゃない。
 自分で自分の合図を決めて、調理を開始する。
 調理した者が実食もする、ということはつまり、冷めにくい料理か冷めてもいい料理を作らなければいけないということ。私の料理は両方だ。
 料理中だというのにふと、食戟でも授業でもない、ありふれた日常を思い出す。
 くだらないと言いながら結局取ってくれた水ヨーヨーの色柄を、音を、感触を、よく覚えている。
 他にも色々とよぎるけれど、今は忘れてしまいたいことばかりだ。
 私の目標はここで身につけた実力を糧に、自分で看板を背負えるようになることだ。四宮先輩も、詳しいことはわからないけれど、自分の店を開くと決めていることは確かだ。
 四宮先輩は十傑の第一席であり、野心もある。きっとそんなことは過程の一つだろう。
 ちょっと怖がられるくらいの実力者なのだ、先輩は。
 でもひとたび身近になれば普段は色んな意味で面白い人で、寝たふりをした私の横では可愛い人だった。
 誰よりも可愛い人だった。
 さて、私の料理は今落とし蓋をして、あとは暫く煮て盛りつけるだけとなった。
 店では出せない大ざっぱな味付け。勝負用の創意工夫と呼べるもののないレシピ。好き嫌いがわかれる濃い味付け。時間短縮を優先させた具材の切り方、火の入れ方。
 私が作っているのは、『家庭の肉じゃが』だ。
 勝つ気でいながら、そんな料理を選ぶことを、譲れなかった。審査員は、私と四宮先輩なのだ。
 それに勝機もないわけじゃない。
 先輩が帰省した際お母さんに持たされた煮物の味は濃かった。勝手に摘まんだので知っている。(無論即座にげんこつされた)
 ふと四宮先輩の方を見ると、先輩も料理を煮込んでいるところだった。そういえば今日は一度も相手の料理を見ていなかった。
 ポトフのような匂いがするし最初に見た材料も大体そんな感じだったけど、何だろう。あの四宮先輩が料理勝負に家庭料理を出すとも思えない。ポトフだとしても何か普通と違うポトフかも。
 そんなことを考えている間に、こちらの料理はいい具合に煮えてきた。火を止めて、あとは実食前に器によそうだけだ。
「できました」
 宣言して、深く息を吐く。一安心だけど、少し物思いが過ぎたのか、調理が終わったというのに結構やることが残っている。
 まだ洗えていなかった調理器具を洗って、先に洗っておいた調理器具と共に拭く。勿論鍋とお玉だけは後回しだ。
 四宮先輩の方はというと、丁度火を止めるところだった。
「完成だ」
 よく通る声でそう言われ、私は肉じゃがを器によそう。飾るでもなくただ普通に移されただけの料理は、本当にどこかの家庭に出てきそうなものだ。多めに作った分は明日のご飯にでも使おう。
 料理を出された四宮先輩は何か変な顔をしたけれど何も言わず、私も何も言わない。箸と器を置くカタリという音が目立つて聞こえる。
 私たちはただ隣に座って、いただきますからごちそうさままでまるで無言で実食を終えた。我ながらなかなか普通に美味しい。
 無言に気まずさはない。ただ、伝わり方が少し怖い。
「次は俺の番だな」
 四宮先輩も私に倣ったように淡々と料理を器によそってスプーンと共に並べ、私の隣に座った。
 やっぱりポトフだ。まずい、天気予報を見損ねた。ヒョウだったらどうしよう。
 そんなふざけたことを考えながらも、先程のようにいただきますをする。
 あたたかないい匂いがしたポトフは、実際に食べてみてもあたたかく、美味しい。具もシンプルで、変わったところはない。
 一口食べて、プロの現場で出す『家庭料理』の最適解は恐らくきっとこれだ、と感じた。家庭とプロ、両方の良さをほとんど殺さずに一つのスープに溶け込ませてある。美味しい。
「………………」
 美味しい、のに、胸がいっぱいになって、私は途中でスプーンを置いてしまった。
 カチャリという音に反応したのか、四宮先輩の視線が一瞬こちらに向く。だけど先輩は完食するまで手を止めない。
 違うんです、と言いたかった。美味しかったです、と。だけどそれすらも胸に支えて、私は何も言えない。
 先輩は「ごちそうさま」と呟いてから、正面を見たままの透明な表情で私に話しかけてくる。
「残されてしまったからには、票は貰えなかったことにするぞ」
「…………はい」
 理由を話しても無駄だと察して、今はそれだけを言う。
「それから俺も、お前の品は遠月での勝負で出される料理としては、認められない」
「……そう、ですか」
 言葉を選んで話しているのがわかって、流石の私も「美味しかったですか?」とは訊けない。不味かったと言わなかったことが答えなのだろう。
「引き分けだな。どうする?」
 そう問うとき、四宮先輩はやっと私の顔を見る。夕陽に照らされたその顔は、少しだけ晴れやかで。
 だから私は、にっこり笑って提案する。
「種明かしだけでもしましょうか。なんて言うつもりだったのか」
 理由をつけて先に言わせよう。
 私の思惑を知ってか知らずか、四宮先輩は種明かしのやり方を提案する。
「じゃあ同時に紙に書いて見せ合うか」
 公平だ!

 ということで、勝手に見ようとして叩かれながら、言うつもりだったことを紙に書いた。
 夕陽は消えかけている。電気をつけておいた調理室が明るく見えてくる頃だろうか。そんなことを思いながら、小さな紙を四つ折りにし、交換する。
 ここからは消化試合だ。
「「いっせーの」」
 声を揃えて、紙を同時に開く。
「………………っ」
 予想できなかったわけじゃない。寧ろ察していたと言ってもいい。だけど私は、その『答え』に息を呑んだ。
『お前とは付き合えない』
 几帳面な、少し右上がりの筆跡だ。私が覗こうとしたとき引いていたのであろう線だけがぶれている。
「…………なんだこれ」
 先に言葉を発したのは、四宮先輩だった。
「なんですか、なんだこれって!」
 カチンと来て、抗議しながら自分の文面を覗く。別におかしくない。
「だってお前、なんだよ『私とつきあわないでください』って」
 何がツボに入ったのか肩を揺らす四宮先輩に、私はずずいと先輩が書いた方を見せる。
「先輩こそなんですかこれ。命令にもお願いにもなってませんよ」
 ほれほれ、と目の前で揺らしながら文面を反芻する。これって、
「なんかすごい自意識過剰な人みたいですよねこれ」
 なんだかじわじわ来る文章だったので段々と笑い混じりになりながら指摘する。駄目だこの人すごく面白い。
「告白もされてないのに、まるでお付き合いを迫られて断るような文面書いちゃうなんて流石四宮先ぱ……」
 そこまで言った辺りで先輩の拳がこめかみ辺りにめり込んできた。痛い痛いうわこれあんまり手加減してない痛い。
「ヒナコお前だって人のこと言えねえだろうが!」
 四宮先輩が顔を赤くして怒鳴る。私はそれが可笑しくてまたこみ上げる笑いを少しこらえて火に油を注ぐ。
「私はいいんですー。四宮先輩だから駄目なんですー」
 だって、『四宮先輩だから』面白いんだもん。
「余計な口しか利けねえのかお前はッ!」
 それからしばらく泣くほど笑って死ぬほど怒られて。私が制服に着替えたせいもあり、想定よりかなり帰りが遅くなった。
 そういえば、最後まで服装に突っ込まれなかった。
 私たちは校舎を出て、長い道のりを徒歩で辿っていく。
「叶えろよ」
 帰り道、ずっと黙ったままだった先輩は主語を省いて静かに言った。きっと前を向いたまま言っているのだとわかって、私もそれに倣う。
「……先輩こそ」
 私は料理人としてのあなたを、とても尊敬しているのだから。
 ここ、遠月茶寮料理學園は、一握りの料理人を育てるための教育機関だ。就職という言葉の平均的な意味も、普通の学校とは違う。
 夢を譲れない私たちは、春の夜風に吹かれてゆっくりと冷やされていく。
 いつも通りに別れるために、残りの日数など忘れたふりをして。

―――――

 諦めた恋のことを思い出していた。
 きっかけは恐らく、先程恵ちゃんと幸平くんを見かけたことだったんだろう。
 秋の選抜本戦、審査員として招かれた私にとって、ここが懐かしい母校だからかもしれない。
 彼らの姿が、遠い日の自分たちの姿と重なったのだ。
 らしくもない感傷のせいで、うっかり恵ちゃんに声を掛けそびれてしまった。
 私はひとつ息を吐いて、人目もないのにいつもの笑顔を作る。そして、心の中でそっとおどけてみせた。

 次世代の料理人たちやい、あんまり真似しないでくれたまえよ。

日向子さんはおちゃめ機能搭載。
イメージソングはファルシータ・フォーセットのメロディー。

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