無垢なサカナと寂しい神サマ Chapter4

 電波女と青春男7巻のP71最後の行〜P72最初の行からの二次創作。

 ブルーベリーが甘いのがとても不思議だった。だって、赤以外の果実は甘くないと、ずっと思っていたから。
 それもよくよく考えると、別の色、例えば緑色の果実なんてのもあるんだけど、それでもやっぱり、青いのに甘いのが取り分け不思議で、偶に許せなくなるほどだった。
 自分の足で支えている強化ガラスの扉の向こうをぼうっと眺める。そこにはカリカリと不愉快な音で扉をひっかくだけのよわった人間が居た。まだ鍵をかけなければ抵抗に押し切られそうだった頃、嫌味で置いた林檎やおにぎりや苺や納豆や生米や焼き立てだったはずのお餅やスープやわざわざ鉄皿に置いたステーキは、もうとっくに変色し、嫌なにおいしかさせていない。それが強化ガラスの扉の向こうの糞尿や嘔吐物のにおいと混ざって、ひどいことになっている。ただ、もう慣れたので殆ど分からない。
 異臭の中、彼女は耳元で囁く。
「もったいないことするのね」
「うん」
「嫌味なら目の前で食べればよかったのに」
「だって、面白いと思ったんだよ。どんなに腐ってもこいつはこれを求めるんだろうなって。でも……」
「でも、って、案の定じゃない。だから嫌味を重ねて、鍵を外したんでしょう?」
 確かにそうだ。嫌味。足で支えると移動出来ないし、どうしても移動が必要になったら扉を手で支えながら鍵を掛け直さなきゃいけないから、それくらいの理由がなければやらない。
「…………うん、だけどさ、嫌味ももう作業っていうかぼくにはこれが意思を持っているなんて、もう信じられないんだよね」
「ひっどーい」
 彼女がくすくす笑うので、ぼくは言う。
「きみだって、そうだったんじゃないの?」
「んー。わたしはねー、べっつにー。だってすぐやったもの。こんなんしなかったもん」
「じゃあちゃんと『人』だと思ってやったんだ……えげつねー」
「あなたに言われたくなーい」
 今度は二人でくすくす笑う。
「…………」
「…………」
 喋って笑った後の無言は、少し、苦手だった。持ち込んだ座椅子によりかかるぼくにのしかかるような形で抱きつく彼女の髪を梳いて、自分をなだめる。
 ふいに彼女の青白い皮膚が目に入った。首の皮膚は薄く、瑞々しい。舌を這わせると、一瞬汗の塩気がして、すぐに、皮膚自体の甘い味がする。彼女はひとつも反応しない。
 青いのに甘い。ブルーベリーを食べるときと同じ、秩序を乱される感覚がして、赤い色を見るために歯をつきたてる。
「痛い」
 棒読みのように彼女は言った(彼女は笑う以外の表情を殆ど出さない)。ぼくの舌の上には、お世辞にも美味しいと言えない血の味が広がっている。しょっぱい……だけじゃない。鈍い鉛のような、嫌な感じがする。赤いのに。
「まず……。お前の血って赤いよね?」
「む、またお前って言う……。赤いじゃん」
 彼女が体を離して、自分の肩口を指でなぞり、その指を眺める。ぼくからも彼女の赤い血がよく見えるようになった。彼女は薄い赤色の唇から、それより僅かに赤い舌を出し、赤い血を舐めた。
「皮膚は青いのに、皮膚の方が甘いなんて……」
 ぼくがむくれると、彼女はなだめすかすようにぼくの額にキスをして、また、ぼくに抱きつく。いや、今度は抱きしめるって方が正しい。好きな相手に包まれるときの多幸感。異臭に慣れた鼻が掬いあげる、女の子の匂い。
 僕は血を避けて青白い部分の皮膚だけを舐める。傷口の横や上ではなく下の方を舐めてしまったせいで、垂れる血を避けて段々下がることになって、
「…………?」
 もっと下まで行っても無反応だったら傷つくな、と思って、やめた。流石に矜持が。
「青いものが甘いって許せない」
「じゃあ世界中のブルーベリー爆破しましょう。わたしは好きだけど」
「無理だよ」
「じゃあ、どうするの?」
「きみの肌を真っ赤にします」
「えー……やめてよ。今度新しい本が出るのよ?」
「本の虫」
「そんなブックワームのこと好きなのは誰よ」
「……っていうか殺すは意味違うし」
「じゃあ何のつもりで言ったの?」
「え…………言わなきゃだめ?」
「だめ」
 どすん、とガラスの硝子の扉が大きく揺れて、音がする。
 なんだ、こいつまだ居たの。
 もう完全に頭から倒れたそれは、ぴくぴくと痙攣するのみになっている。そんなものを見ているうちに、彼女は可愛いやきもちで視線を鋭くしていく。
「あーっと……だね……」
「うん」
「……照れたり、恥ずかしがったり、そういう状態にしようと、そういう、いや……自信ない」
 訂正したあと、死ぬほどお風呂につからせて茹でダコにする、という行為を思いついた。ぼくの目の前にある彼女の首筋は青白いままで、何も起きない。
「具体的に」
 彼女は無慈悲だった。昔から異常に相手の羞恥心を煽るのが好きなのだ。
「えー……」
「なあにぃ?」
 声から、彼女のにやついた頬がとても自然に想像出来る。恥ずかしがっているとどんどんドツボにはまりそうだ。ぼくは出来るだけ冷静になろうと、意識して、息を吸って吐く。
「……キスの先」
 つっけんどんにぼくは言った。
「口にキスしたことすらないじゃない」
 冷静な彼女が言った。
「じゃあキスしていい?」
 拗ねた子供のようなぼくの問いに、彼女は体を離す。
 最早意識しなくなっていた体温がはぎとられ、ぼくは心細くなる。彼女も眉根を寄せて、そして目を細めた。
 またカリカリと音が聞こえ出した。
 彼女は目を伏せる。ぼくはその頬に手を添える。冷たい。
 ぼくばかり、照れているような、なんとも言えない気持ちになる。だけど、もうここまで来たら……。
 赤い唇の甘さに自分なりの秩序を求めるという名目がちらつく。名目が本心になる。でも、普通にキスしたい気持ちも消えない。思い切って両手で彼女の頬を包み、顔を上げさせる。抵抗はなかった。彼女はぼくの唇を見つめる。
 ぼくは顔を近づけ、そっと彼女の唇を舐めた。リップクリームの味しかしない。二度、三度と舐める。人体の表面らしい優しい甘さがわかって、安堵。
「甘い」
 それから、一センチの距離を置いたまま散々逡巡して、それから、唇と唇と重ねた。
 強化ガラスの扉の向こうから、枯れた声の呪詛が聞こえた。あれが喋れることが不思議だという感想と、まだあの人間喋れるんだという感想が生まれ、そしてすぐに消えた。
 彼女の腕がぼくの背中に回る。ぼくの腕が彼女の腰に回る。でも、お互い唇と唇をくっつける以上のことはしなかった。

 彼女も照れてくれているといい、そんな風にぼくは思った。

 カリカリカリカリ。

 タイトルは適当に付けました。そもそもえーじがどんな本書くのか細かく想像つかないし……。とりあえず、男の方が『殺してる最中』ってのが気になって、考え始めました。
 あ、この人たちは子供っぽいけど一応高校生〜大学生くらいの年齢のつもりです。どんな内容だったんですかね、あの映画。そして原作。

 最初はTwitterで下書きなしで書きました(一部、直前のつぶやきなら消して直したりもしたけど)。そっちのVerはこちら(Togetter)

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