紙の粃は渦をまく(『渦をまく夕方』×花桃)

メル氏の『渦をまく夕方』に乗せて妄想した花桃。想いあってはなればなれ時空。クロクロと現を駆ける辺り準拠の『僕』『私』時空。

・花咲
 別れの日だからって、必要だと思ったからといって、昨日は彼女に冷たく当たり過ぎただろうか。
 彼女がそれくらいで動じたかどうかはともかく、ぼくはなんだか、さみしくなってしまっていた。
「…………」
 さわさわと葉が擦れる音がする。風が、彼女がなぞったレールの先へと向けて穏やかに吹き抜けていく。
 彼女が行ってしまったまちがどこだか、教えてもらってはいないけれど。なんとなく、ここより都会なんだろうとは思っていた。
 例えば、東京タワーを見飽きるような。
 ここに住んでいる者からすれば夜に見る夢のような現実味のない日常が流れるまち。
 僕は帰り道、ふいにみかんの木の下で無意味に写真を撮る。夕暮れに映える、なんてことない『終わった』景色。枯れた美はあるもののあまりに有り触れていて、残す必要性を感じない光景。
 それを保存しようとした指先に向けて容量不足を訴える携帯電話から、彼女の写真を一枚消した。

・桃子
 引っ越し先にはまだ色々なものが足りていなかった。
 たとえば、洗濯機。
 注文はしてあったものの、まだ届いていなかった。一日二日の我慢だとわかってはいたけれど、私は敢えてランドリーに足を運ぶ。
 いつか彼とも、こんな風にさびれたランドリーを訪れたことがあった。確か夏場に、洗濯機が壊れて。
 放り込んだ衣類が回るのを眺めていると、その布の色彩が作る渦の中に、思い出が投影される。
「……やっぱり、言えばよかったかな」
 実はあのとき電車でわたしは泣いていたなんて、そんな今更過ぎる告白みたいなことでも。『あなたシャツ逆よ』なんて、“気づいている”とひけらかすような愚かな告白でも。
 だけど、それも、刻一刻と過去に流れて行く。
 口にしても、味気もなくなる。
 色落ちしたタオルの、かつて文字だったものみたいに。
 今着ているぶかぶかの上着のポケットの中身も、きっと。

・花咲
 長く長く思えるような、毎日生きていたら終わっていたような、よくわからない感触のまま気がつけば結構な月日が経っていた。
 当然、なのか、そうでないのか。彼女からの音沙汰はない。勿論こっちからだってない。
 ただ事務所には時折報告の手紙が届いているようで、エリオットが一枚、写真を見せてくれたことがあった。
 その幸せそうな笑顔を見て、僕は余計に連絡を取る気をなくした。

・桃子
 最初はどうなるかと思ったけれど、慣れなかったこのまちも住み慣れれば気に入るものだ。
 どこへ行ってもあの頃の思い出が覗かないのも、私にとっては好都合だった。
 けれど、と、茜色の空を振り返る。振り返ってしまう。
「…………ルイージ、中途半端にマリオね」
 あの日、からかって口にした言葉をぼそぼそと口に出す。甘酸っぱい思い出がもう朽ちているのだと自覚させられて、心の表面を洗い流そうと涙の粒が何滴か、したり落ちる。

 あの日が、ほんとうのほんとうに最後になると知っていた。きっと、お互い。
 言いたいこともたくさんあったし言われたいこともたくさんあった。きっと、お互い。
 でも積み重ねたものもこれからも何もかもが一斉に動こうとするものだから、ぐにゃぐにゃの渦になって、全部滲んで消えてしまった。
「……やっぱり、言えばよかったかな」
 なんだか少しつらくなって、私は今更、別れの日に彼に貰った上着を持ってランドリーに足を運ぶ。
 引っ越した日に行った場所で、ポケットの中身に気がついた場所だ。

・花咲
 そういえば、言わなかったけど。
 実はあのとき、ぼくは泣いていて、それを必死に隠していた。そっけなく振る舞うことで誤魔化していたけど、いっそ言ってしまうのも手だったななんてばかなことを思う。
 君だけで一杯の胸の内を、『もう好きではない』と事実を告げた口で言っても仕方ない。それはわかっているのに。
「いっそ直接言えばよかっただろうか」と時折、考えてしまうのだ。
 何故なら、渡さなかったはずの手紙にはその想いの一端を記してしまっていたし、その手紙は誤って、彼女の手に渡っていたのだから。
 彼女はあれをきっと、とうに読まずに捨ててしまっただろうけど。

・桃子
 私はコインを投入して、蓋を閉める前にもう一度だけ、上着のポケットを手探りで確認する。
 別れの日、くしゃみをした私に彼がくれた上着のポケットには、手紙が二通入っている。
 私が渡した彼宛ての手紙と、彼が渡さなかった私宛の手紙だ。
 彼はこういうとき、閃かないだけじゃなく、冴えないらしい。最後の最後にドジを踏んだものだ。
 自然と口元に笑みを浮かべたまま、私は洗濯機の蓋を閉める。
 …………これは悪いこと。でも、私の悪事なんてきっと、今更だ。弁償するとしても、どうにかなるだろう。

 そして、夕暮れのランドリーで、業務用洗濯機は回り出す。ぐるぐる。回る洗濯機。ぐるぐる。

2017年とかに書いたらくがきですがなんとなく収納。
結実しなかったもの。

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