こんぺいとう

 欲望というのは、どういう形をしたものなのだろう。

 黒田雪路という男にとって欲望の形というのは、大きく出っ張っていたり、へこんでいたりするものだった。
 何かを欲しがるためには取り付く島を探すための引っかかりが必要だというのが、黒田の意識が作る世界観だった。
 特に黒田の異性に関する欲望というものは直接的で、わかりやすく尖っていた。
 そのことを思えば、と、黒田はぼんやりと休憩している女性に目を遣る。
 その女性、緑川円子は表面に引っかかりのない人間だ。存在の感触が絹の布地に近い。するすると流れるような心地よさだ。
 いや、寧ろそういう人だから逆にちょっかい掛けたくなったんだろうけど。
 黒田が一人で不気味に肩を揺すっていると、冷やかな視線が刺さる。
「……あ、いたのか」
「ずっといます。ユーキーを殺してくれるまで」
 いつの間にか斜め後ろに立っていた女子高生、小泉明日香は淡々と言って、また待機状態のアンドロイドのような棒立ちに落ち着く。その足元を痩せた犬が心配そうに歩き回っていた。
 そこで唐突に静かな時間が終わる。一人騒がしい二十四歳児、岩谷カナが戻ってきたのだ。
「ししょう、表のお掃除終わりましたー」
「そう」
 緑川が一瞥をくれて一言で流すと、カナは敬礼の真似事のようなポーズを取ってから、寒さを思い出したように指先を擦り合わせ、思いついたように痩せた犬を抱き上げて椅子に収まる。
 カナはよくそうして痩せた犬を構っていた。秋に入ってからはその頻度は上がっている。冬になれば手放さないのではないかと思えるほどだった。
 犬を目で追っていた明日香もそれにつられて、同じ方向に少しだけ移動する。積極的に触ることこそ少ないが、明日香は犬の毛並みや体温を嫌ってはいなかった。
 緑川は静かな暮らしこそ殆ど失ったものの、慣れてそれなりに流すことができるようになっていた。何も積極的になるとか、交流するようになるとか、そういった事ばかりが順応ではないのだ。
「それで?」
 緑川は、さっきから無意味に作業台に着いている黒田に向けて聞く。それで、今回の来訪についてはどんな言い訳を聞かせてくれるのか、と。
 黒田は反射的に浮かべるいつもの軽薄な笑みを浮かべて、身振りを加えて申し開きをする。
「いや、ほら、お土産。渡したでしょう。信玄餅。仕事で山梨まで行って来たもので」
 大嘘だった。県内で仕事をした際、土産物屋に置いてあったのだ。他にも他県の定番のお土産がいくつも置いてあった。お土産を買い忘れた客が慌てて買って行くのだろう。
「手土産はいいけど、肝心の用事を聞いてない」
 緑川も用事などないとわかっていながらちくりと刺す。黒田に対してだけはどうにも、反発心が抜けなかった。
「……あー、あ、そうだ。蜂。今は蜂は巣を作ってませんか?」
 黒田は苦し紛れに話題を逸らした。以前、専門外の害虫駆除を行った黒田としては妥当なつもりの話題だった。
「……お陰様で」
 対する緑川の目は冷ややかだ。それもそのはず、黒田は害虫駆除をやり遂げることができなかったどころか、半端に刺激して蜂を暴れさせただけに終わったのだから。三か所以上刺されても、存外、無理に知恵を絞ることに熱中すれば忘れてしまえるものだ。
 蜂の巣は本物の害虫駆除業者が片付けた。呼んだのは黒田だった。
「あー……ははは」
「………………」
 懲りずに訪れては気の利いた台詞のひとつも言えず、とぼとぼと女子高生を背負って帰って行く。黒田はそんなことを何度か繰り返していた。
 緑川はなんとなく、そんな黒田のことを理解していた。何度会っても何があっても、黒田は面白くもない冗談しか言えない。個展を台無しにした恨みはあれど、銃を持っていたことも今となってはどうでもよいことだった。
 会話が途切れると、緑川は次につくる予定の器のことを考え始める。注文されてつくるものなので、依頼者の要望と実際につくることが可能なものの範囲、手心、その三つを掛け合わせて更に土や手や火が形を決めていくのだ。
 黒田はそんな緑川を前にひとつ息をつくと、立ち上がって窓に向けて伸びをする。窓の外はすべてが秋に染まっていた。都会と違い邪魔するものがなく、四方をすべて四季に囲われて、この小屋は佇んでいる。
 黒田はなんの前触れも考えもなく、なんとなく、緑川の手に自分の手を重ねる。土掘りと陶芸で固く鍛えられ、かさかさした、それでも自分のよりは細い手。
 緑川は怪訝そうに不機嫌そうに黒田を見上げる。けれど黒田はいつも反射で浮かべるはずの笑みさえ浮かべず、少しの間ほけーっと緑川を見つめる。
 黒田が今緑川に対して抱いている感情は、尖っていないし、殆ど出っ張ってもへこんでもいない。かといって無欲になったわけでもない。
 欲望の形というのは、こんなにもまるくなるものなのだろうか。
 歳を取って即物的な欲求が少し遠くへ行ったのともまた違う、球体の欲望。
 ふと気づいて、黒田は口元を緩める。
 自分で自分に困りながらも少しだけ可笑しくて、黒田はダメ元で要求を口にする。
「あの……結婚してください」
 黒田は初めて、未来が欲しかった。

対になってる漫画→『はなせないからはなしてください

 黒緑美味しいって1/6の頃から言ってる。黒田の遺伝子が未来に残りたがるとしたらきっと、

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