・夢小説って意外と書き手自身の性格とかは反映させないものが多いと思う(自己投影とかって照れちゃうしねっ)ので、逆に思い切り書き手を(それこそ過去も性格も世界観に馴染む範囲でなるべく)反映させたらどうなるのか、というのが兼ねてより気になっていまして。それを、やってみました。そんな実験作の面があります。
・エロパートは分離させていますがどちらにせよセックスはします。
「きっしべたいっちょぉ〜〜〜! お疲れ様で〜〜す!!」
悪魔退治を終えて、東京本部に戻る途中で岸辺隊長を見かけたものだから、わたしは元気よく声を掛ける。
返事はない。隊長はただのしかばねではないけど、わたしに呆れているきらいがあるので。
でも無反応でもない。返事の代わりのように、ボディランゲージとして機能するくらいの大きめのため息はつかれた。
わたしは構わず駆け寄って、隊長のお背中にタックルする。
「頑張って悪魔狩ったんで抱いてくださいっス!」
隊長はびくともしない背中姿のまま、わたしの要望を即座に棄却する。
「却下。やめろそういうの」
いつものやりとりだった。
「あはは〜」
わたしは笑って誤魔化して、決して『はい』とは言わない。ただまあ、しつこく追い回すこともしない。
軽く会釈をしてから、来た道をちょっと戻ってバディの元へ戻る。
「あんたなぁ……」
半年くらい前から組んでる留貝君もまた、ため息と共にわたしを迎えた。
「いつものことじゃないですか〜」
わたしがいい加減に流すと、留貝君もそれ以上は言わない。
最初こそ『あんたとバディ組まされた方の身にもなれ』と本気で怒っていたけど、いい加減慣れてくれたようだった。
「報告ちゃっちゃと終わらせて早く帰りましょっか」
わたしは急に走りたくなって、留貝君の手を取って走り出す。
今日は岸辺隊長に会えたからいい日なのだ。
留貝君はわたしの四人目のバディで、歴代のバディの中では二番目に付き合いが長い。
新卒採用で訓練を終えてそのままわたしと組んだので、この子にとってはわたしが初めてのバディである。
割と付き合いのいい子で、彼女いないときはわたしと遊んでくれるのでありがたい存在だ。
「センパイ、その煙草何?」
「ああ、この間ホコ天でギター弾いてた中国人と一緒に演奏したときに貰ったんです」
「ホントに何やってんだ。仮にも公務員が無認可のライブに参加するなよな」
無認可とは言ってないじゃん。無認可だったけど。
と、いつもと違う煙草に言及されたところから流れるようにお説教を食らっていた。まあ、じゃれあいの範疇だ。わたしも留貝君も本気じゃないし、小突いてくる手もあくまで優しい。
「というか、センパイ、ギターとか弾くんだな」
「んー一応弾けますけど、滅多に弾きませんね。テキトーですテキトー」
わたしは会話の終わりに枕元の灰皿に灰を落として、もう一口この変わった匂いの煙草を味わう。タールきっついからふかしでしか吸えない。
「どんな味するの?」
暫く黙っていた留貝君が好奇心に負けて、右手を差し出してきた。そうして要求する自分に不服なのだろう、やや拗ねたような顔をしている。
そんな留貝君を見たら、わたしはなんだか悪戯したくなってしまった。
わたしは煙をもう一口食んで、留貝君の口の中に吹き込む。ついでに残りの煙草は灰皿に押し付けて消した。
「独特だけど結構美味いで」すよ
最後まで言わせて貰えなかった。
口を塞がれて、言語以外で舌を忙しくされる。
「ほんとだ」
留貝君は改めてわたしの体を倒しながら、ぼそりと囁いた。
「留貝君、明日わたし」
「すみません」
明日わたし朝見たいアニメがあったんだけど、謝罪の形をしたちょっとした強要で、あれよあれよとそういう流れに戻る。
留貝君はちょっと謝ればわたしに許されるってことをわかっていて、あんまり言うこと聞かないし先に謝ってくる。
……しかし、標準語だ。初めてこういうことをした次の朝にずーっと言ってた「堪忍」「堪忍」って関西弁の謝罪が可愛かったからまた聞きたいんだけど、なかなか方言出るようなシチュエーションで謝られる機会がない。
そのことが、日曜朝のアニメを見逃すことよりよっぽど残念だった。
見ての通り、わたしはバディとはそういう時間を共にする方だ。少なくとも組んだ人全員と一回は寝ている。相性悪くて一回でやめといた相手もいたけど。
そういった行動は、わたしの最初のバディの影響が根深かった。一週間だけ一緒に働いてすぐに殉職した、長身の美女。
彼女が度重なる仲間の死に凍えきった体でわたしを求めたとき、肉体は触れ合わさるとあたたまるということを本当の意味で知った。いやまあ単純にめちゃくちゃ気持ちよかったのもあるけど。
そういう理解も含めて、あの一週間は濃かった。神様が世界を作って一日休む長さだけある濃さだった。
その中で教わったことも、重要なことばかりだ。
セックスは意外と便利に使えるツールだってこと。毎日死化粧のつもりで鏡に向かった方がいいってこと。いつ救護班に見られるかわからないから下着にも気を遣った方がいいってこと。
それから、美女はなかなか死ねないってことも。
同期の姫野が死んだ目で出勤してきた。いい加減泣けもしないらしく、目の周りは真っ白だ。
わたしも前回泣かなかったし、大体同じような頃合だろう。
「おはようひめのん」
二つ隣のデスクからわたしは声をかける。二人ともデスクワークなのは珍しい。
「あぁ、おはよ」
両の視線を下に落としたまま、姫野は返す。こちらを見ない。
それもそうだろう。わたしたちの間の空席は、昨日殉職した姫野のバディの席だったのだから。
昨日二人で出向して、そして姫野だけが帰ってきたばかりなのだ。
姫野は実力がしっかりそなわっていて、ちゃんと自分の身を守れるし、恐怖もある程度コントロール出来る強さがある。
その上、とても綺麗な子だ。
だから毎回生き残る。
デビルハンターが悲惨な現場で自分だけ生き残る理由なんて、いくつもある。しかし運以外で大きなものは三つだ。
一つは犠牲が必要な現場のせいで――そして自分は逃げ切る側になって。
一つは実力で――そしてそれが周りを守れるほどのものには届かずに。
一つはあわれにも守られて――そして相手が自分自身を守る余力を持たずに。
今回の顛末は詳しく聞いていないけど、女の子は庇われることが多くて、不本意といってはあれだけど変な生き残り方をしてしまいがちなのは確かだ。美人だと更に打率が上がる。
わたしもひめのんも巨乳美人だからな〜……。
そんなことを考えながら報告書をまとめて、次の件で資料室に籠っている留貝君のところに顔を出して、付け加えでもらった資料の分も仕上げて提出して、さて定時上がりだぜー、というところでわたしは改めて姫野に声をかける。
「姫野、煮詰まらないなら今日は一旦終わりにしません? 飲み行きましょ」
「んぅー……」
しかし、乱れた資料のほとり、遅々とした進行の報告書から姫野は顔を上げない。
「いや、いい。やってく。私のことは気にしないで」
「そぉう〜……」
姫野に拒否されて、食い下がれるほどの関係でもないわたしは自分のデスクを軽く片付ける。
それから、姫野含む同フロアの職員たち(かなりまばらだ)に別れだけ告げてさっさと廊下に出た。
「あ」
虫が報せる程度の予感はあったけど、その通りに岸辺隊長がいた。
「お疲れ様ですっ」
わたしは早速寄ってって、声のトーンを下げるのにかこつけた距離で挨拶する。岸辺隊長も短く返してくれた。
岸辺隊長は今日も立ち姿だけで格好良い。草臥れた役を演じる俳優みたいだ。実際に草臥れていて更に酒臭いのはご愛嬌。
酒気に混じる体臭からは遺伝的な相性の良さを感じるので、わたしには余計に色っぽく思える。いつも通り、すてきだ。
なのでとりあえず、挨拶の続きをかます。
「今度の大きい討伐も頑張るんで抱いてくださいっス」
「ヤだ」
うん、予定調和だ。
わたしは予定調和のついでに本命の話題を口から送り出す。
「じゃあ姫野のやつ連れ出してくださいよ。多分待っててもあの子、夜中まで出てきませんよ」
「そうか」
「そうですよ。さぁさぁ行ってください」
言いたいことを言い切って、わたしは隊長の背中を手で押す…………みたいにする。ビクともしないので押せてはいない。
けど岸辺隊長はわたしに向かって片手を上げると、さっきまでわたしがいたオフィスに向かって歩き出す。
わたしは安堵した気持ちで会釈すると、すれ違って廊下へと進み出した。
ちょっと歩いて階段降りて自販機寄ってちょっと歩いて、留貝君が作業をしているはずの資料室を覗くと、目的の人物は簡易な椅子と机で見事な居眠りをしていた。
揺り起こすと、寝ぼけつつも「すみません」と目を開ける。残念、標準語だ。
でも寝起きの顔に服の跡がついているのがあどけなくて笑ってしまう。
こーんなに可愛い子が死んでもわたしはきっと泣けないんだなぁと思うと、逆に泣けちゃいそうだった。
「あ、岸辺隊長っ、おはようございます!」
わたしは油断している岸辺隊長に元気よく抱きつく。避けられなかったのは有り難いけど……うーん左手がすかすかしやがりますねぇ。
「……起き抜けにそんだけ動けりゃ体の方はよさそうだな」
振りほどかない岸辺隊長はわたしの様子を静かに評す。
「なんとメンタルの方もよさそうなんですヨ!」
ここぞとばかりに無精髭に頬ずりしながら言う。……いや、そろそろ引き剥がしてほしいんスけど。やめどきがわかんねえ。
仕方ないので自分の方から離れて、さっきまで寝てたベッドに改めて背中ダイブする。いっっってぇ……。
病院だ。見たところ個室だろう。他に人の影は見えない。
背中が痛くてイラつくけれど、わたしは明るい表情を崩さないようにする。
「今回誰が生き残りました?」
ベッド横のパイプ椅子に腰掛ける岸辺隊長に聞けば、いつも通りの感情の読めない声が、惨状を語る。
「お前の残りの同期全員と、昴と、篠川、碇が無事だ。隈井は生きてるが仕事を続けるかどうかは微妙だな」
「あはは〜、あのあと久留米ちゃんと浜くんも死んだんですね〜」
どう反応したらいいかわからずにとりあえず笑っておくと、隊長もとりあえずのようにスキットルから酒を煽る。
岸辺隊長は飲んだくれだけど、持ち歩くほど酒を飲むのはキツいときだ。少なくとも今のところは。だから、今回のことも堪えているのだろうと伺える。
わたしは自分の顔を触って、さっきからあまり見えてなかった左目は包帯に覆われていただけで無事だってことを確認する。
そして、さっきからそんな気はしていたけど左手首から先に何もついてないことも確認した。背中はクソ痛いのに左手は痛くも痒くもないから現実感がない。あ、いや痛くも痒くもないは嘘。ない部分がかゆい。
隊長は静かな目でわたしを見下ろしている。あ、脚組み換えた。
「…………すみません隊長、また貴方の教え子殺しちゃいました」
わたしは堪えきれずに、言ってもしょうがないことを言う。
留貝君は、本当は生き残れた。わたしが死んでいたら、あの子は死ななかった。
わたしだって止めたのだ。順番からしたらきみが生き残るべきですって。左手が酷い有様なわたしより無傷のきみが生き残るべきですよって。
だけどあの子はわたしのお願いはあんまり聞いてくれなくて、謝罪の形をしたちょっとした強要を、すぐに持ち出してくる子なのだ。
そういう子だったのだ。
『センパイ、堪忍な。堪忍』
「お前も教え子だろう」
岸辺隊長の声で我に返るが、しっかし背中が痛いしつま先も段々痛くなってきているしで平静は保っていられなくなる。
「でも、ほんとならもっと上手くやれました。現着してからも、それ以前も」
留貝君がわたしに結構入れ込んでいるって、気づかないふりをしていた。ほんとは彼女ができても長続きしない理由だってわかっていたのに、あの子に甘えていた。
たとえばハッキリ袖にしていればこんな危ない仕事続けていなかったのではないかとか、そんなことを今更思う。あと、クソっ、肩甲骨まで痛え。
「申し訳ありません」
体を起こして頭を下げる。下げている間に隊長が立ち上がってこの病室から去ってくれることを期待して、下げ続ける。
気まずいし、何より色々痛いので悶えたい。痛みでのたうつ見苦しいところなんて一人前になって以来見せていないのだ。できればこのまま見せたくない。
なのに隊長は一向に帰らない。
「なんか聴取する事項ありました?」
わたしが頭を上げて聞くと、岸辺隊長は静かに首を振って、また酒。
でものっそりと立ち上がる。
「今日のとこは帰るわ。見舞いの果物もめぼしいモンはないみたいだしな」
「お疲れ様です」
なんとか最後まで顔を歪めずに岸辺隊長を見送った。
そして、
「いたいたいたいた……ぎぇぇ……痛い、無理無理何なんなんこの……はー……なんだこの……痛……っ。痛い痛い絶対背中から落ちたでしょわたし……!」
好きなだけみっともない顔と台詞を晒しながらナースコールを押した。
麻酔一丁お願いしま〜す!
病室のベッドで目覚めてから五日後、とっとと退院したわたしは一旦荷物を置きに家に帰ると事務処理のために本部に赴く。
今回は銃の悪魔の肉片が三つも手に入ったから、課全体の上層部の覚えもめでたくなればまとめるべき情報も事細かで、めんどくさい部分が多い。
特にわたしと留貝君の二人で対処したとこはわたし一人で書くのだからそりゃもうしんどい。
だからてきとうなところで切り上げて帰ることにした。本当の意味で『適当』なところかはともかく。
何せもう残業と呼べる時間帯に足突っ込んだ黄昏時だ。遅いくらいだろう。
わたしはぞわぞわと背を這う謎の居心地悪さから逃げるように家路を急いで、本部の階段を駆け降りる。
一つ踊り場を過ぎて次の階段を降りるとき、わたしは急ぐときにいつもそうするように、左手で手すりを掴んで遠心力に耐え……ようとしたのだが、
「ぎぇあ……っ!」
忘れていたけど今のわたしには左手がなかった。走った勢いに振り回されて壁にぶち当たり、それでも止まりきれずに滑らかに階段の上に放り出される。
あ、と思ったときには折りたたまれた膝が強かに階段を打っていた。頭から行かなかったのは不幸中の幸いだが、脛にも足の甲にも容赦なく階段の角が当たる、当たる。ゴンゴンと衝撃がすごくて、今は全然痛くないけど後で痛いってことは察しがついていた。
膝と脛と足の甲とで十二段全部を律儀に踏み下りたわたしは、立ち上がろうとしてまた左手がないせいでカクンとバランスを崩し、肩甲骨周りの筋を違えそうになってうずくまる。シンプルにつらい。
「何してんだお前……」
カートゥーンなら喜劇に分類される状態のわたしの上に、平坦にざらついた低い声が降ってくる。
顔を上げると、数人の職員と共に岸辺隊長がわたしを見下ろしていた。
そして、二十分後。
わたしは岸辺隊長に背負われて帰っている。
一人で帰れると主張してはみたものの、一時的にしびれが酷くて立ち上がれなくなっていたせいで放っておいてもらえなかったのだ。今も医務室で貼られた湿布がかすり傷に滲みて痛むだけで震えが出る有り様で、歩かせてもらえない。
今日は一緒にいた他の職員たち(そこに同期が混ざっていなかったのはわたしにとって幸いだった)に任せられる報告だけとは言っていたけど、やや申し訳なさも感じる。
とはいえ隊長の広い背中の上は心地が良い。読んで字の如く怪我の功名ってヤツだ。たぶん。
分厚いコート越しに、岸辺隊長の肩におでこを預けて、しばし目を閉じる。ああ、気持ちがいい。
「岸辺隊長、抱いてください」
いつも返ってくる拒絶の代わりに、岸辺隊長の足が止まった。
わたしも面食らう。
口にした言葉が、思ったよりずっと、ずっと切実な響きになってしまっていたから。
「ちがっ」
咄嗟に否定する。そしてそれが意味を成していないことに気づいて慌てて言葉を付け足していく。
「違います今のは間違えました! そんな真剣な話じゃなくていつものご挨拶でっ、ただ、その、ただ言ってて。言いたいから言ってるだけで本気で応えろって話じゃなくてっ」
言えば言うほど何かを掘り進んでしまっている感じがする。墓穴ってやつだろうか。
「ほう。それじゃお前、いつもその気もねえのに誘ってたってワケか?」
岸辺隊長が、たぶんわかっているんだろうにそんなことを言ってくる。
これ以上何を言っても自分が思う方向に進まないと悟ったわたしは逃亡を試みるために暴れてみるが、全く振り解けない。
だめだ。
「…………いつだって、本気で思ってましたし、思ってますよ」
勝てないと悟ったわたしがしぶしぶ口に出すと、隊長は前を向いたままぼそりと返す。
「なら検討の余地ありだな」
やめてほしいな。
頭で考えるより先に、そんなことを思う。それから、わたしは岸辺隊長の同情深いところを想って、薄情な内心を晒す。
「留貝君が犠牲になったことにはそんなにダメージ受けてないんですよ、わたし。ただ……」
ただ、わたしは
「ギターが二度と弾けないのが悲しくて、それで落ち込んでいるんです。そんな奴なんです」
可愛がっていた後輩兼バディを失ったことより、その子が自分のために死んだことより、元々ロクに弾いてなかったギターが弾けなくなることを深く悲しんでいる。
「で?」
「で……って」
岸辺隊長はわたしの気回しを一文字でばっさり切り捨てる。わたしはもう、だらしなく笑って誤魔化すしかできなかった。
「俺はお前がマジで言ってるかどうかしか聞いてねえ」
そう言って、岸辺隊長はわたしを背負い直すと、ゆっくり歩き出す。
後頭部の匂いがする。加齢臭もあるけど、体温の匂いだと、そう思う。
好き。
好きだ。
残念ながら、わたしはこの人のことが好きなのだ。
岸辺隊長の肩周りに回した腕に力が籠もる。傷だらけで弱った自制心が、ぶら下げられた餌を前に辛抱を手放す。
それでわたしは、真摯にお願いしてしまう。
「岸辺隊長、抱いてください」
「わかった」
案の定、隊長は頷く。
べつにこの人の中にわたしを抱きたいとかそういうのはないだろう。ただ、聞き入れてくれるだけ。隊長自身の意向は関係ない。
あーあ。だから今まで散々いい加減な言い方しかしてこなかったのに。
わかっていたのに。
岸辺隊長は真摯にお願いすれば多分抱いてくれる。って。
日を改めるのは野暮だし、かと言ってわたしの部屋は人を通せるような片付けられ方をしていないし、岸辺隊長のおうちもそれなりにアレ(オブラートに包んだ表現)らしいので、宿を取ることになった。
薬局とご飯だけ寄ってから訪れたのは、安っぽくもなく、かといってあまりに大袈裟に高いわけでもない、ちょっとしたホテルだ。
ちなみに、部屋に入ってわたしがまずやったことといえば、ベッドへダッシュしてダイブだった。
「……お前の場合、最初っからネジが外れてやがるんだよなァ」
他のまともな教え子たちを思い出していたっぽい岸辺隊長にしみじみと呟かれたけど、わたし気にしない。おっきなベッドだーいすきだし、走ったり飛んだりできる状態だってことも確認できたんだし。
「隊長の役職が隊長じゃなかった頃から隊長って呼び始めている時点で察してください」
言い返してひとしきりベッドを転がる。うーん、特殊な処置を受けたとはいえ左手が全然痛まないの逆に不気味だな〜。
「誰も先生って呼びやがらねえ……」
隊長がソファにどかっと腰を下ろしてぼやく。
まあ『先生』と呼べって言ってくる時点で呼ぶなって言っているようなもんだし。姫野たちも『師匠』としか呼ばない。わたしは響きが好きというだけで『隊長』と呼んでいた。いつのまにか本当に隊長になっていたけど。
わたしは足をバタバタさせて膝の可動域が戻っていることを確かめながら顔だけ岸辺隊長の方を向く。
「あ、隊長先シャワー浴びてきてもらっていいですか? わたし多分時間かかるんで」
如何せん入院していたし、下ごしらえが済んでいないので。
鱗を全部取る(比喩表現)などして人にお見せできる状態になったわたしは、髪を乾かして備え付けのパジャマを着て部屋に戻る。
「お待たせしました〜」
「おう」
予想はしていたけど、全然待たれてないな、わたし。
岸辺隊長はローテーブルの前のソファに座り、テレビを見ており、湯上がり美人の方を向くこともなくブランデーをロックでやってる。
わたしは何となく忍び足で隊長の隣に座って、ルームサービスで頼んだのであろうおつまみからチーズを一ついただく。
「盗み食いか?」
「なんの、つまみ食いですとも」
隊長の指摘と自分の主張の違いはよくわからない。なんとなくだ。
このまますぐに……という雰囲気でもなかった。だからわたしもテレビを見てみるけど、ブラウン管の中の野球チームのどちらが勝っているかすらよくわからなくて、すぐに退屈する。
「サラミももらいますね〜」
わたしは一枚かっぱらったサラミをくわえて自分の鞄を漁って、煙草とライターを取り出す。それからソファに戻る前にフロントに電話を掛けて、ペットボトルの水とかスポーツドリンクとかを数本お願いして、ソファに戻る。
「……んなに頼んでどうすんだ」
五百ミリペットとはいえ飲み物三本も四本もお願いしていたわたしに、岸辺隊長は片眉を上げる。
「最悪隊長が飲まなくても全部わたしが飲むくらいには必要になるので」
わたしはやや恥ずかしい気持ちを押してしれっと答え、煙草に火を付ける。この銘柄は最後の一本だ。普段買わないからいつも行く煙草屋さんに置いてあるかすらわからない。
と、岸辺隊長が珍しくじっと、こころなしか驚いたような顔でわたしを見ていた。
「え、何です……?」
嫌いな煙草だったのだろうか。ホコ天で知らない中国人にもらった煙草を、わたしは咄嗟に灰皿に押し付けようとする。
しかし隊長は、そんなわたしの右手首を掴んで、火を消そうとする動きを止める。
「…………いや、昔の知り合いが吸ってたやつで、珍しいから何かと思っただけだ」
いつも通り死んだ顔をしたその男が、動きの少ない表情筋の下でなにかの感情をざわめかせているのが感じ取れて、わたしはちょっと意外に思う。
「吸います?」
「いや、いい」
一応聞いてみたが、予想通り、払うように手を振って断られる。岸辺隊長は元々吸う方でもないのだ。
しかし、全く要らないということでもなかったようだ。
岸辺隊長はわたしの右手をそっと灰皿の上に乗るよう押さえると、逆の手でわたしの顔に手をそえて、唇を奪ってきた。
こんなんばっかだなこの煙草。いやたった二回だけど。
どうでもいい思考をそっと折るように分厚い舌がわたしの唇を浅く割る。わたしはそのまま深く交わるかと思って身構えるが、隊長はそのまま軽く口を吸ってすぐに離れる。
味見みたいな短いキスだった。なのに、驚くほど気持ちがいい。ついでにブランデーの香りが微かに鼻に抜けて、クラっとする。
「誰が吸ってたか聞いていいですか?」
わたしは平静を装いたいのか好奇心が勝ったのか自分でもわからないまま、くわえた煙草を指して問う。
岸辺隊長はわたしを、正確にはわたしの左耳を見据えて打ち返してくる。
「お前のそのピアスのことを聞いてもいいなら話してやる」
あっ。
わたしは慌てて煙草を灰皿に置いてピアスを外して鞄に投げて……よっし、ジャストミート! 中に放り込む。
「すみません、こういうときはちゃんと外すようにしてるんスけど……」
自分の名前とは掠りもしないアルファベットのピアスを、わたしは毎日左耳に着けていた。そんなことをしていたら誰かの名前だってことくらいは大体察しがつく。
「……思いのほか、あなたと、って思うと、緊張していたみたいで、忘れていました」
わたしは勢いで白状して、勢いで過去も語る。岸辺隊長の過去も気になるので。
「その、あれは、公安に来る前に片想いしてた女の子の名前です」
本当は今も片想いをしているけど、そこは流石に嘘をついた。
意識しすぎて女の子同士なのに手も繋げなくて、それで余計に忘れられなくなってしまった恋だった。
わたしを含めたこの世界丸ごと、鮮やかに振っていなくなった、年下の女の子。銃の悪魔なんかが大暴れしたせいで余計に『こんな状況下で自分の命を』と罵られてしまった、わたしの愛しい人。
色々と思い出して自嘲したまま、わたしはいつの間にか俯いてしまっていた顔を、今そばにいる好きな人の方に向ける。
岸辺隊長は発言のどこの辺りが意外なのか、少しだけ驚いたようにも見える顔でわたしを見ていた。
あまり黙って見られていても気まずくて、わたしは膝を抱えて、改めて隊長に水を向ける。
「……で、この煙草誰が吸ってたんですか」
「言いたくねえが……」
わたしに白状されつくした手前黙秘もできなくなったのか、隊長はブランデーグラスを結構な角度で傾けてから重い口を開く。
「昔好きだった女だよ」
だった、の響きは明らかに作り物だったけど、それ以上聞くのは野暮だとわかる口調だった。だからわたしも『ダウト』は心の中でだけ言っておく。
「隊長にもやっぱり、そういう相手は居たんですねぇ……」
間違えないように、ちゃんと過去形で言いながら、わたしは隊長のお顔に手を伸ばして、なんとなしに傷の縫い跡をなぞる。
隊長はその手を取って、煙草の香りがついた指先に口付ける。
わたしの方からも、その乾いた唇の上を親指でなぞった。
すると岸辺隊長は軽く口付けるだけでなく、わたしの親指に舌を滑らせて、続けて人差し指の先を口に含む。
温かくて柔らかい粘膜が、唾液がわたしの爪や指の間を少しづつ溶かすように這う。
「……ええと、ルームサービス遅いですね……?」
まだ盛り上がっちゃうわけにはいかないですよねー? という確認のために口にする。
「そうだな。それまではここで大人しくしてるしかねえな」
岸辺隊長はそう言いながらわたしを腰を引き寄せて、更に後頭部の髪のすき間に手を差し入れて逃げられなくしてからキスをしてくる。こいつわかっててやってるな。
「……っ、隊長……んぅっ」
意地悪されているのがわかっていても、息の熱さが舌の触れ合うざらつきが、簡単にわたしを捉える。
結局ホテルマンが部屋を訪れるときまで、わたしは絶妙に弄ばれた。
デビルハンターと寝ると何か新しい快楽やら技術やらを仕込まれることが多いのだということを、最初のバディが言っていた。
いつ死ぬかわからないから。人肌に触れたとき、何か刻むものがほしくなるのだと。
確かに、わたしはその人には全体的にかなり開発されたし、次の人にはアナルセックスのやり方と気持ちよさを仕込まれたり逆に何かしらやってあげたりしたし、次の人には一回しか寝なかったのに強く噛むのも時と場合によっては愛撫の一種だと教わったし、最後のあの子にはやったことなさそうなことは端からやってあげていた。反応が可愛かったし。
でも、岸辺隊長にはそういう意識はない気がするのだ。
隊長のそれは、生きることも生かすことも諦められない人の情熱の在り方のように思う。
わたしも隊長に何か刻むものがほしいとは思わなかった。けど、わたしのそれは隊長のとは違う。
わたしはこの人に対しては、なるべく痕を残さずに消えていきたいと望んでいるのだ。
しっかり寝ておいて説得力ないかもしれないけど。
朝、目が覚めると岸辺隊長はもう身支度を終えてソファでテレビを見ていた。
寝顔どころか寝起きすら見そびれたようだ。
わたしはベッドサイドに置いてあるペットボトルの中から辛うじて中身が残っているものを手にとってぐびぐび飲み干す。それから、枯れ果てた喉でなんとか挨拶をする。
「おはよ……う、ございます……」
「あんまり寝てると遅刻するぞ」
視線をこっちに寄越さないままの忠告。時計に目をやると、確かにそろそろ支度をしないと拙そうな時間だ。
わたしはパジャマを脱ぐとブラだけつけて、打撲に湿布を貼る。ついでに昨日頑張りすぎて傷めかけている筋にも貼っておいた。
「隊長も湿布いります?」
「要らん。お前はもう少し鍛えろ」
「戦闘で使いませんからねこんなとこ……」
親切心に老婆心で返されて負担をぼやきながらの朝はどことなく穏やかで、でもちゃんと乾いていた。
寂しいような安心したような気持ちで、わたしは公安の制服といつものピアスを身につける。それから隊長に駆け寄る。
「隊長っ。昨晩はありがとうございましたっ!」
お礼のついでにわざとくっつきに行くと、振り払うようなジェスチャーが返ってきて、いつも通り思いっきり邪険にされる。
岸辺隊長は一つ大きくため息をつくと、わたしの目を見た。
「これっきりにしとけよ」
朝日に包まれても真っ黒で、まだ夜の中にいるような瞳だ。
わたしはうーんと伸びをして笑う。
「え〜〜、どうしましょうねーっ」
大嘘だった。本当は一夜の夢を抱きかかえて生きて死のうと決めていた。だけどあんまり真面目に返事をしても隊長は困るだろうから。
それに、裏腹なのはお互い様だ。岸辺隊長は真摯にお願いすれば多分抱いてくれる。二度目だってきっと。
だからこそ、絶対に二度目はないのだった。
性格のねじれがそのままでておる……。岸辺隊長にご迷惑をかける自分のアバターとかいう拷問的なサムシング。
下記は先に描いてた夢絵。