助け合いの国 -Have you family?-

 穏やかな気候に恵まれた春、なだらかに波打ったような地形の道を、一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走っていた。モトラドには寝袋や鞄、今の気候には必要ない茶色いコートなどが積まれている。
 モトラドの進行方向――このままの速度で走り続ければ三十分程で到着する辺りに、ほどほどに大きい国の城壁が見えていた。
 モトラドの運転手は、若い人間だった。十代中頃から後半程。銀色フレームのゴーグルの下の目は大きいが、全体的に精悍な顔をしている。
 黒く短い髪の上に鍔と耳を覆うたれのついた帽子を被り、白いシャツの上から黒いベストを着て、腰を太いベルトで締めている。そして、腿と腰に一丁ずつハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)を付けていた。
「キノー、次の国はどんな国?」
 モトラドが人間に話し掛けて、キノと呼ばれた人間はやや言いよどみながら答える。
「師匠曰く……なんというか、少し反応に困った国らしいよ、エルメス」
 エルメスと呼ばれたモトラドはそれを聞いて、楽しそうに返す。
「あのキノのお師匠さんが反応に困るなんて、どんなとんでもない国なんだろうね!」
「さあね。詳しくは話してもらえなかったから」
 キノはそれだけ言って、近づいて行く国の城壁を見つめた。
 サンドベージュの、何の変哲もない、高すぎることも低すぎることもない城壁だ。草原が広がるこのエリアの景色にもよく馴染んでいる。

 三十分程して、キノとエルメスは予想通り国に到着し、門番に話し掛けられた。
「我が国にようこそ。旅の途中ですか? それとも移住?」
 若い男の門番はキノとエルメスに向かって、笑顔でそう尋ねた。
「前者です。問題なければ三日間の滞在を希望します」
 キノが答えて、門番は頷きつつ引き出しから簡単な書類を出す。
「一応は銃火器や刃物……それから普段武器として使っているその他のものの申告をお願いします」
 そして、アンケートみたいなものなのですが、と前置きして、キノとエルメスにこう尋ねた。
「お二方は、どういったご関係ですか?」


「うん、悪くない国だ。治安もいいし、このホテルもそれなりに安いし、ご飯も美味しいし、シャワーも熱いお湯が出た」
 一日が終わる頃、キノが濡れた髪を拭きながら、満足そうに言った。
「そりゃよかったね」
 ベッドの近くに停められたエルメスが答えて、それから付け足す。
「お師匠さんはどこに反応に困ったんだろうね」
 この国は、モトラドやパースエイダーの燃料や弾に困ることもなく、店や公共機関には要所要所には高度な機械技術も導入されている。百年以上前からこんな調子で、機械技術だけ少しずつ進歩させながら平和に暮らしてきたのだという。
 しかしキノは、エルメスに向かって片眉を上げて言う。
「わざと言ってないかい?」
「バレたか」
 エルメスはあっさり認めて、そしてやや楽しそうに提案する。
「明日街の誰かか、役所か博物館か何かの人に聞いてみたらいいよ。どういうことなのか」
「そうするつもりさ。今日はもう寝るよ」
 キノは答えながら部屋の電気の電源を落とすと、平均的な大きさのシングルベッドに潜り込む。
「おやすみ、エルメス」
「おやすみキノ」


 次の日、キノはいつも通り日の出と共に起きる。カノンと呼ばれるパースエイダーを使って抜き撃ちの、抜くところまでの練習を部屋で済ませると、エルメスを叩き起した。
 それからキノは、エルメスを引いて朝食のバイキングに行った。元より食が細くはないが、食べっぷりが微笑ましいと言ってどんどんと料理を追加してくれるスタッフの厚意に甘えて、普段と比べてもかなりたらふく食べた。
「びんぼーしょー……って感じでもないか。今回は」
 エルメスがひとりごちた。ホテルのスタッフたちは美味しそうに食べるキノをとても嬉しそうに見ていた。
 ホテルでの用事を済ませると、キノとエルメスは予定通り散策に出掛ける。ホテルオーナーの家族だという男に渡された簡易な観光用地図を見ながら、まずは国の中心部に位置する大きな公園に向かう。
「……やっぱりそうだ」
「うん、やっぱりそうだね」
 キノと、エルメスが言った。
 キノは公園のベンチに腰掛け、エルメスはその近くにスタンドで立っている。
「ここに来るまでもそうだったけど、公園に来てみるともっと多いね」
 キノが感心したように言って、エルメスが補足説明でもするように付け足す。
「今日は国民の多くが仕事や学校を休む日らしいから、特にわかりやすいのかもね」
 公園には、親子連れが多かった。
 近くの芝生にいる二人の子供は、それぞれ『おとん』と『父さん』と呼ぶ二人の男に交代で持ち上げられて歓声を上げながら、日陰にいる『ママ』に手を振っている。
 走り回っていて転んだ男の子は泣きそうな顔で、『お母さん』と呼ぶ二十代の男に抱きつく。
 明らかに人種が違うきょうだいや、手を繋いだ男女に当たり前のように合流して抱きつく女もいた。
 道中でも、そのような光景はいくつか見られた。
「誰かに話し掛けてみようかな」
 そう言ってキノが立ち上がろうとすると、先に、二十代後半程に見える男が話し掛けてきた。
「やあ、きみは昨日来てくれた旅人さんだね?」
 男は白いシャツに黒いスラックスを身につけ、革靴を履いている。
「知っているんですか?」
 キノが尋ねて、
「ああ、東の門番と昔馴染みでね」
 と男が答えた。そして続ける。
「どうだろう。旅人さんさえよければ、お茶でもしながら旅の話を聞かせてくれないかい? 丁度姉さんの家に行くところなんだ」
 キノはエルメスの方を、顔を見合わせるように見遣ってから、男に答える。
「ええ、ぜひご一緒させてください。この国のこともお聞きしたいです」
 すると男は国内のどこでも文章や文字の遣り取りができるという端末で何かしながら笑う。
「ああ、そうだね。旅人さんにも聞きたいことが沢山ありそうだ。――お。姉さんから返事が来た。楽しみにしているそうだよ」


 キノがエルメスを引いて男について歩くこと二十分ほどで、その家に着いた。
 男の姉が住んでいるという家は住宅街の隅の隅にある小さな木造の家だった。入口には段差がなく、ドアも大きく、二輪車が往来しやすいつくりだ。
 男は勝手知ったるといったふうにドアを開けて、キノたちを招き入れる。
 入ってすぐの空間に、玄関との境が曖昧な広いダイニングが広がっている。
 そこにはダイニングテーブルの脇には、一台の自転車が止まっていた。
「姉さーん、来たよー」
 男が声を上げると、正面のドアが開いて二十歳ほどの、背の低い女が出てきた。
「わぁ、ごめん! いらっしゃい。旅人さんたちもようこそ!」
 女は特徴的な声でそう言うと、慌ててエプロンを外しながらダイニングテーブルを指す。
「どうぞ、座って頂戴」


 お茶とお菓子を頂きながら、キノはエルメスと一緒にいくつか旅の話をした。男も女も、物珍しそうに話を聞く。
 テーブルの周りを、三人の人間と二台の二輪車が囲んでいる。一番奥に自転車、その隣に女、女の正面に男、手前側にキノとエルメスの順だ。
 人間全員がお茶のお代わりをした頃合いで、キノは切り出す。
「ところで、この国の人々は、他の国と違った家族の持ち方をしている方が多いようですが、その辺りについて聞かせてもらってもいいですか?」
 すると女は「あ」という顔をして、照れくさそうに言う。
「そうですねぇ、旅人さんからしたら珍しいですよね! やだなぁ、あたしたちばっかりお話珍しがっちゃって」
 続いて、苦笑した男が少し考えてから言う。
「……この国は……そうだね、結婚という制度がない国なんだ」
「と、いいますと?」
 キノが聞き返すと、男はキノとエルメスを見遣って言う。
「前はあったんだけどね。必要なくなったんだ。この国は、男女でなくても、二人でなくても、恋愛感情で結ばれなくても、家同士に付き合いを持たなくても、家族になれる。『助け合いの契約』によって家族になることが出来る国なんだよ」
 するとエルメスが
「助け合いの契約なんてモトラドと運転手みたいだね、キノ」
 と口を挟んで、キノが
「少し違いそうだけど……」
 と返してから男女に向き直って説明する。
「ボクたちもそういう呼び方の約束をするんです。推進力とバランスをそれぞれ提供し合って走るので」
 途中まで首を傾げていた男女が、なるほどと返した。
 それから男は、話を戻すけど、と置いて言う。
「……どこをどう説明したらわかりやすいだろう。キノさんとエルメス君は、似たような制度を導入している国を訪れたことはあるかな?」
 その質問にキノが少し考えるそぶりを見せて、エルメスが答える。
「家族になったり、家族をやめたりが盛んな国はあったよ。他の国の『離婚』みたいに家族を離れることができた。生まれ育った家からも簡単に抜けられたし、逆に『妹募集!』とか『お祖母ちゃんになってください!』とかって貼り紙もあった」
 すると女は大きめのクッキーを半分に割りながら、苦い顔をして言う。
「なんだか怖いですね。あたしなんかすぐ逃げ出してしまいそう」
 その反応から察してキノは返す。
「と、いうことは、この国では家族を変えるというのは頻繁ではないんですね」
「そうだよ。一度結んだ契約の破棄もそれほど多くはないはずだし、生まれ育った家と縁を切るなら、それこそ相手の暴力などの大きな理由が必要になる」
 男が良い質問をした生徒に対するような笑顔で答えた。
「なるほど、違いがよくわかりました」
 キノは頷いてから、続ける。
「ボクはなんとなく、恋人は複数持たなくてはいけないという法律がある国を思い出しました」
「『持っていい』じゃなくて、『持たなくてはいけない』ですか?」
 男は驚いた顔で聞き返した。
「はい。なんでも一対一で相手に拘りすぎるせいで、自分や相手を深く傷つけることが多かったそうで、対策としてそうなったと聞きました。その国では恋人の性別や種別や年齢にも拘らないのが普通でした」
 キノが簡単に説明して、お茶のカップを傾ける。
 男女も釣られるようにカップを傾けて、それから女と、男が口々に言う。
「すごい。後半の『拘らない』はうちの国と同じです。でも前半の『拘らない』は驚きです! この国では、複数の相手とお付き合いすることも、誰か一人に拘ることも認められています」
「面白いね。拘らない、か……。その視点から説明を加えるなら、私たちの国では、家族内の立ち位置にも拘らない国だよ」
「と、言いますと?」
 キノが促して、男は身振りを加えながら続ける。
「まずね、私たちは一番最初に通う学校で、昔の家族観を学ぶんだ。近隣の国での家族観でもあるかな。男親が『お父さん』で、一般的にこんなイメージで、昔話だとこのように描かれていて……とかね。その上で、“しっくり来る”立ち位置で呼ぶようになるんだ」
「つまり?」
 途中で、エルメスが促した。
「例えば女親一人と子供一人の家で、子供が親を『父ちゃん』だと思って親もそれを認めたら『父ちゃん』でいいってことさ。法律上では単に『家族』だからね」
「なるほど」
 今度はキノが相槌を打った。
「それから子供を設けるような間柄でも、お互いが『親友』だと思うなら『親友』でいいし、『きょうだい』だと思うならそれもよし。家族として助け合いの契約を結ぶかどうかも、お互いとの関係の距離感や考え方、既にいる家族との兼ね合いから、協議して決めることになっているんだよ。ちなみに一応、血の繋がりが濃くなりすぎるような子供の設け方は推奨されていない」
「助け合いの契約を結んでいない人同士に子供が出来たらどうするのさ?」
 エルメスが疑問を挟むと、丁度お茶で口を湿らせていた男の代わりに女が答える。
「新しく契約を結ぶことにする人が多いです。でも、協議によってどちらかの家族として育てて、もう片方は外からサポートに入るケースもそれなりにありますよ。この国は他の国と比べて子供好きが多いみたいで、家族たちの手を借りることは難しくありませんし」
「あとは……そうだな。家族の契約はグループ単位で結ぶこともあれば、バラバラに結ぶこともある。他の国でいう“離婚”みたいなことも出来る。制度としてはそんな感じかな」
 男が付け足して、キノが言う。
「なるほど。少しややこしいですが、面白い制度ですね」
「ははは、本当にね。ややこしいし、協議も大変だ。でも、それでも妥協したくない奴が多いんだよ。国民性ってやつかな」
「それに、他の国のお話を聞く限りだとあたしたちってのほほんとしていて独占欲が薄いみたいなんです。勿論好きな人が他の人にばっかり構っていたらやきもちくらいはやきますけど、自分にもちゃんと構ってくれたらそれで満足しちゃう人が多いんですよ」
 男と女は笑って言った。
「ふぅん。でもなんだってそんなややこしい制度を作ったのさ? やっぱり妥協したくない人が多かったから?」
 エルメスの質問にまた男が答える。
「いいや、きっかけはあった。百二十年ほど前にきっかけがパタパタと重なった年があったんだ。この国には家族にしか認められていない権限がいくつかあってね。例えば『危篤患者への面会』や『他の遺族を差し置いての遺産相続』……」
「あ、わかった!」
 エルメスが口を挟んで、キノがエルメスを蹴る。
「続けてください」
 女は一人と一台の様子に微笑む。男も微笑ましいものを見る目で見て、続きを話す。
「国民的人気歌手が、『危篤患者』だった恋人の死に目に会えなかったせいで悲しい歌しか歌えなくなってしまったんだ。今なら助け合いの契約を結んでいたような相手だったんだけど……恋人は結婚していたし、同性だった。当時の国の制度では、同性との新規の家族関係にすら対応出来ていなかった。そこで遺された歌手と夫が、制度を変える活動を始めた」
 男はそこで一拍置いた。
「同じ年、かなり売れていた作家が死んだ。そして『遺産はすべて弟に』と遺書に書いたがほぼ無駄になった。弟のように可愛がってはいたけど、法律上は赤の他人だったんだ。本人と折り合いが悪かった作家の叔母に、遺産の殆どを取られてしまった。そこで作家と近しかった人々やファンが、歌手たちの活動に合流した」
 そして息をつくと、男は残りのお茶を飲み干してまとめる。
「それ以外にも細々とした事件が重なって、話し合われて、今の形になったのさ」
 最後まで聞いて、丁度お代わりのお茶を飲み干したキノが、軽く微笑んで言う。
「よくわかりました。詳しいお話までありがとうございます」
「ほんとほんと! いつでも説明出来るようにしてるのかと思ったよ!」
 エルメスの言葉に、男は照れくさそうに言う。
「私は学習塾…………学校とは別に勉強を教えるところで先生をしているからね。本当はもっと上手く説明できてもいいくらいだよ」
 そして、頃合いと見たのかキノが質問する。
「最後にもうひとついいですか? ずっと気になっていたのですが……」


「ふぅ……変わった国だ。過ごしやすくていい国で、変わった国だ」
 ホテルの部屋に戻り、ふかふかのソファに沈んで、キノは言った。
「そうだねキノ。まさかあの二人が“恋人同士”みたいな関係だとは思わなかったし、あの先生がその後別の彼女の家に行くのもなかなか意外だった」
 エルメスが返して、キノは微妙な顔で笑う。
「エルメス、わざとだろ」
「まあね!」
「いいけどね」
 とぼけた遣り取りのあと、キノが呟く。
「でも本当に意外だ、意思なき物とも家族になれるなんて……」
「理屈はわかるけどね。『家族として認められれば、余分な荷物が許されない災害時にも“連れて”行ける』ってとこ。認められるための条件もいくつかあったし、他の国でも“そういう人”は何人か見た」
 エルメスが言って、キノも頷く。
「師匠たちがこの国のどこで反応に困ったのかも、なんとなく予想がついたよ。きっと本当に反応に困ったのは、出国のときだ」
「えー、なになに、教えてキノ!」
「わざと言ってるモトラドには教えないよ、エルメス」
 キノはエルメスと意地悪しあうのを楽しむように笑った。


 次の日、キノはいつも通りの朝のあと、午前中いっぱいをエルメスとの観光に使った。名物料理を食べ、展望台からの景色を楽しみ、大道芸を見て、名物料理を食べた。
 そして、燃料や携帯食料、他の国で高く売れそうなものを買い込むと、訪れたときとは逆側の門から出国する。
 入国時に記入した簡単な書類を確認し、中年の門番に握手を求められて、応じる。
 最後に門番は、アンケートみたいなものなんだけどね、と前置きして、キノとエルメスにこう尋ねた。
「お二方は、この国でいうと、どういった関係だい?」
「お、やっぱそれ聞いちゃう?」
 エルメスが楽しそうに茶々を入れて、キノはそんなエルメスのタンクを小突く。
 それから、用意していた答えを口にした。

 キノは少しだけ、照れくさそうな顔をしていた。

 なるべく原作準拠を目指したはずがそこまででもなく、エルキノで書いたけど原作の方がエルキノ。
 前回更新時に置くの忘れていたエルキノ。アニメのお陰で再熱できた。特に意識していないときでもある意味では公式だと思ってます。ただわたしの性癖は歪んでいるのでエルメスに姉みを感じています。

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