Goodnight,my halloween.

※一身上の都合により少女妄想中。はすべてを通し読みしないで飛び飛びでめくっています。
ガールズ・オン・ザ・ランは雑誌掲載時に全文読んだ。



 わたしのハロウィンの思い出は、足の痛みと共にある。

 少しでも外に出なければと義務感に駆られて街まで出てみたはいいが、どうやら今日はハロウィンだったようだ。
 アオが忽然と失踪して、長い時間が経ったような、少しも時間が過ぎていないような、そんな日々だった。
 ただ、奇妙な確信だけはあった。
 アオは、ずっと追い求めていた何かに追いついて、【あちら側】に行ってしまったのだと。
「ハッピーハロウィーン!」
 騒いでいる連中を横目に、わたしは行き場を探す。喫茶店でも入って座ろう。流石に久々の街でこんなに騒がしかったら体力が持たない。落ち着きたい。
 生憎、知っているチェーン店はどこも混みあっているようで、並んだり待ったりしなければならないようだ。
 ひとまず一番賑わっている場所、栄駅周辺から遠ざかるように、南へ向けて歩いていく。
 地下鉄沿いだからか人もそんなに減らないが、その代わり店も減らない。
 うんざりしながらせかせか歩いていると、チラシ配りをしている青年にぶつかってしまった。
「すみません」
「いえ、こちらこそ。あ、よかったら」
 青年は頭を下げると同時にすかさずチラシを差し出してくる。
「え、ええ、はい」
 反射的に受け取ってしまって、わたしは仕方なく、歩きながらチラシを読む。コピー用紙にモノクロ印刷のそのチラシには、『ハロウィン期間25%オフ! 仮装してない人のみ入店可!』と書いてある。いや、普通やるとしても逆じゃないか?
 ただ、チラシの店は喫茶店らしく、ここから少し南下した辺りにあるようだった。……丁度いい。
 些か痛みだした足を見下ろして、わたしは得体の知れない店に入ることを決めた。


 仮装禁止の張り紙がある木の扉を開けて店に入ると、狭い店内には二組ほど客がいるだけだった。静かなBGMと落ち着いた談笑に、ドアベルの音が割って入る。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
 エプロンをした妙齢の女性店員がカウンターの向こうから席を案内してくる。どうやら、その人以外ホールに店員はいないようだ。
 わたしはコートを脱ぎながら手近なテーブル席に座る。
 つい、癖で鞄を横に下ろそうとして、正面の席に置いた。席を空けておく必要はもう、ないのだ。
 テーブルに置いてあるメニューを睨むふりをして、顔を伏せる。こんなにも簡単に文字も読めない視界に陥れることが、ほんとうにいやだ。
 鞄にハンカチが入っているか考えて、だめだと思い出したので袖でそっと拭う。
 アオがいたときならハンカチもいつも持っていたのだ。アオと一緒にいるために、しっかり者の役割を自分から負っていたから。
 今はその必要もないのだ。わたしには何の必要もない。演じるべき『しっかり者の自分』を失った自分をどう扱っていいのかわからなかった。
 ……ひょっこり、帰ってきてはくれないだろうか。
 少しでも油断をすれば、そんなことばかり考えている。
「気持ちが落ち着くハーブティーなんかどうですか」
「っっ!」
 いつの間にかテーブルの傍にしゃがんでいた店員に声を掛けられて、わたしは声にならない悲鳴を上げかける。
 泣いているところを見られていたのだろう。そう理解してそそくさと帰りたくなる。顔が熱い。
「ハロウィンですから、外で怖い目にあったんですよね。ここは人間のお客様しかいませんから、安心してください」
 誤魔化してくれたつもりなのかなんなのか、店員はラベンダーカラーの柔らかそうな紙ナプキンと文字が印刷された紙をテーブルに置いて言う。
 わたしは返答に困って、とりあえず注文だけする。
「……ハーブティーを」
 しかし店員は要らん気遣いというか、再確認を入れてくる。
「今わたしがご案内したものでいいですか? 美人に磨きがかかるお茶とかもありますけど」
「い、いえ、おすすめので」
 わたしはあまり長く会話をしたくなかったため、最初意図した注文で押し切った。
 とことこと店員がカウンターに引っ込むのを見て、わたしはほっと胸を撫で下ろす。
 暇になったので携帯電話を弄ろうかと思い立って、そしてやめる。
 ずっと、大学に入ってからずっと、アオからの返信を待ち焦がれていたのは、今使っている携帯電話だった。何の通知も来ない画面を眺めているだけでまた泣きそうだ。
 携帯電話を手に取らない代わりに、わたしは店員が置いて行った紙を読む。
『ハロウィンの起源と当店のハロウィン』と題されている。
 ……反ハロウィンのような運営をしているくせに、不思議な店だ。
 しかし読み込むと、一応意図あっての取り組みだということはわかった。
 文面はこうだ。
『ハロウィンは《あちらとこちら》の境界がなくなる日。
《あちらの者》のような格好をして身を守る習慣があります。
でも、隣にいる人が《あちら側》か《こちら側》か、わたしたちにもわからなくなってしまいますね?
ですから、当店は本日《こちら側》の皆さんしか入れないようにしています。』
 真面目に理屈を考えるとどうやって無事に街を歩いてきたのかわからなくなりそうだが、そういうことは敢えて考えないのだろう。
「はい、ハーブティーです。お砂糖はお好みで」
 紙を読み終わった辺りで店員がハーブティーを持ってきて、今度は余計なことは何も言わなかった。
 砂糖を適当に入れてぐるぐるかき混ぜながら、ぼんやりと思う。
 こんな喫茶店に来るなら、普通友達と連れ立って……そう、たとえば、たとえばいなくなった人の話をしあって……。
 でもわたしにそんな選択肢はなかった。アオにばかり熱中してきたわたしにはそこまで深い付き合いの友達はいなかったし。
 それに、その浅い付き合いの友達にアオを引き合せるなんて以ての外だった。家族にすらアオの話は最低限しかしてこなかったし、会わせることもほとんどなかった。
 わたしにはアオの話をできる人がただのひとりもいないのだ。
 だってわたしはアオの話をするより、アオと話がしたかった。ずっとそうだったのだ。
「あ」
 ハーブティーがびちゃりと零れて我に返る。
 いつのまにか勢いよくかき混ぜすぎていたようだ。
 だめだ、同じことばかりぐるぐる考えすぎては。混ぜすぎたハーブティーと同じく、わたしの頭の中身まで零れて飛び散ってしまいそうな気がする。
 ラベンダーカラーのナプキンでテーブルとコースターを軽く拭って、わたしはハーブティーを口にする。初めて飲む類の味ではあるが、普通に美味しい。
 アオはこういうの好きだったか/またアオのことばかりになっている。
 どこにもいないのはわかっているのに。
 でもハーブティーの香りに落ち着かされるからか、飲み干すまでの十数分間、押しては引いていくアオへの感情で涙を零すことはなかった。
 アオが帰ってこないあの部屋に帰りたくはないが実家にもまだ帰りたくないわたしは、空っぽのカップの前でぼんやりと口を開けている。
 嫌だった。
 何もかも、嫌だった。


「お客さん、お客さん」
 店員に声を掛けられてふと我に返ると、店内にわたし以外の客がいなくなっていた。目を開けているつもりだったのに、寝入ってしまったのだろうか。
「すみません、今日は所用が出来てしまって。まだ6時半ですが閉店になりました」
「えっ」
「すみません急に」
 店員はぺこりと頭を下げたが、そうではなかった。すぐ帰るつもりだったのに、想定外に時間が経っていたから慌てたのだ。
 そそくさと会計を済ませて喫茶店を出ると、そこはハロウィン真っ只中だった。
 丁度パレードがここを通り抜けるタイミングだったようだ。何やらBGMを奏でながら、『ハロウィンパレード』と書かれた旗を持つ者を幾人か交えた集団が往きすぎていく。
 本格派ばかりを集めたパレードなのか、全員死人や化け物をモチーフとした仮装をしている。何かのキャラクターのコスプレとかは混じってないようだ。
 これは……確かに、【どちら】の者かわからない。
 壁際に避けてパレードを見送り、無意識に詰めていた息をつく。
 パレードが行った方向を見ると、商店街に入って行く珍妙な後ろ姿の群れが見渡せた。
 なんて日だろう。そう思ったとき、艶やかで長い髪の主がパレードから飛び出した。
 またたく間に横道へと走り抜けていく影に、ドキリとする。まさか、まさか。
 わたしは思わず駆け出していた。
 既に遠ざかり始めていた後ろ姿は血まみれで、べろべろに剥げた皮膚を白い服と一緒に靡かせていて、仮装でなければ死者としか思えない姿かたちをしている。
 それでも、綺麗な長い髪をさらさらと背中の空気に乗せるようにして、走っているのだ。
 走っている。
「待って」
 わたしは無我夢中でその人を追いかける。
 必死に前に出ようとするあの走り方は。
 あの髪は。
 いつも追いかけた姿は。
「アオ!!」
 叫んでも待ってはくれなかった。
 ただわたしを夢から覚ますように、その人はトイレに駆け込む。
 そして出てきたのは、勿論まったくの別人だった。というか女ですらなかった。
 不自然なまでに美しい髪はウィッグで、必死の走り方だってきっと、すごくトイレに行きたかっただけだ。
 わたしはそそくさとその場を脱し、とぼとぼと歩きながら周りを見渡す。
 いるわけがない。
 でもわたしはさっきまで、無残な姿でもいいからアオに会いたいと思っていた。
 いっそぴくりとも動かない死体でもいい。
 アオはわたしがすがりつく空っぽの体すら残していってくれなかった。全身と全霊、全部を持って【あちら側】へ行ってしまったのだ。
「痛っ……」
 急に足が痛いことに気づく。意識してみると、右足も左足もそれぞれ疼痛に襲われていた。多分結構前から。
 久しぶりに外に出た上に、走るような靴を履いていないのに全力疾走したせいで、足を痛めたようだ。
 わたしは気合の入ったゾンビと同じような足取りで駅へと向かいながら、なんだか笑ってしまう。
 笑って、泣いてしまう。
 滲んだ視界に、暗くなって人工の明かりが惑わす街。
 化け物や死体の姿をした人たちと普通の格好の人たちの区別がどんどんつかなくなる。
 誰でも見つけてしまえそうなその景色の中でさえ、今度こそアオは見つけられなかった。
 そんな人生であるのが、とても、口惜しかった。

 わたしのハロウィンの思い出は、そんな足の痛みと共にある。
 だから三十路を迎えた今でも、足を傷める度に滲んだハロウィンの風景を思い出してしまうのだ。

自作曲『おやすみ、マイハロウィーン』より。

index