アンヘルシーフレンズ
「ヘイ、そこの美少女」
 屋外、午後。一眼レフカメラをぶら下げた不審な女にそう声を掛けられて、僕にはすぐに、僕の隣を歩く美女を指しているのだとわかった。
 ので、桃から生まれてゆっくりと熟しつつあるような美貌の彼女を庇うようにして即座に振り向いたところ、「お前じゃねえよ」と言われるに至った。
 そして、その横暴な物言いに反論することは叶わなかった。相手が僕を思い出す方が早かったのだ。
「ペドメーター!?」
 そのオバサン……いや、二十代中盤の女性は、ぼくの高校時代と大学時代の同級生だった。



「懐かしいー。あの子の結婚式でちらっと見掛けて以来だわー」
「はぁ、そうですか」
 僕は君のことなんて見掛けたとしても覚えていないし、学生時代の記憶が朧気にある程度だよ。
「だってきみ大学すぐにやめちゃったじゃない」
「はぁ」
 僕の無関心オーラに頓着することなくひとしきり懐かしがった後、元同級生は退屈し始めていたトウキに、指で作ったファインダー越しに話し掛ける。
「貴女、私に撮られてみる気はありませんか?」
「急に何」
 トウキは僕に半ば隠れるようにドン引きしている。そんなところも愛しくてたまらないわけだが、この瑞々しさも残り僅か数ヶ月で昇華しきり、十六歳などという残酷な時を迎えると思うと僕は今すぐトウキを抱きしめ以下略。
 ……失礼、僕はロリコンだ。女性の成長とは十五歳までのことであり、以降は衰退だという考えを譲る気のないロリコンで、ついでに職業は探偵だ。
 今回は、本当に職業はついででありおまけだ。……はて、今回とは何のことだったか。
 脱線はともかく、『トウキを撮る』というのは聞き捨てならないぞ。
「何を撮る気ですか。まさか如何わしい写真でも撮る気なんじゃ……」
「鼻の下伸びてるわよロリコン」
 毅然と言い放つはずの発言の途中で彼女の容赦のない指摘を頂戴した。花丸だ。僕の頭が。
 その慣れたやり取りに、元同級生は「およよ」と目を丸くする。
「ペドメーターに彼女がおる。生意気……」
「うるさい」「彼女じゃないわ」
 僕らの同時のツッコミ(悲しい哉、内容はすれ違ってしまった)にカラカラ笑う元同級生の顔を見ながら、僕は思い出す。
 そうだ、この見下すような言い方……。
 この元同級生は、僕が水族館デートに誘われて無関心から怒りを買ったクラスの女王みたいな女子……の、取り巻きの一人だった。
 中でも僕のロリコンを一番に毛嫌いし、女王当人を差し置きかねない程の刺々しい態度を取ってきた奴だった。
 元同級生は僕の顔に何かついているのか言い訳するように頭に手をやって、それからトウキに跪いて、見上げる。
「自主制作の少女映画に出演していただけませんか」
「少女映画ぁ?」
 トウキはピンと来ない様子なので、僕が出る。
「きみみたいな素敵な少女を主題にした映画ってことかな。……君、ロリコンを毛嫌いしてたんじゃなかったのか?」
 説明の時点から眉を顰めだしたトウキにちょっとゾクゾクしながら、僕は今度こそ毅然とした態度を貫く。
 聞き捨てならない。是非撮っていただきたい。じゃなくて、あやしい。
「それは訊かないでよ」
 元同級生は苦笑ひとつで僕をあしらって、引き続きトウキを勧誘しにかかる。
「貴女の今の美しさを、映像に残したいと思ったんです。勿論元々そういう映画を撮る気はありましたけど、一目見て、残したいと思いました」
 元同級生は真剣に語り掛ける。
「貴女はこれからとても綺麗な女性に成長するわ。だけど今の……少し不安定で、繊細で、儚いきらめきは一瞬なんです。アマチュアとはいえ勿論ちゃんと出演料も払うし、露骨なエロとかも予定にないです。あ、演技もいいです、美を主題にするなら筋書きとか邪魔なだけだし」
 トウキが意思を窺わせない表情で見下ろしても、そいつは怯まない。
「……あ、あー……。ペドメーター……ってこのお兄さんのことね、この人に付き添ってもらってもいいし、男が居るのが嫌だったら手伝ってもらうのは女の子だけにするし、えっとえっと……」
 というか、必死だった。
 トウキは少しの間、静かに元同級生を見据える。
 もしかしたらトウキなりに、殺人事件との遭遇率のことを考えているのかもしれない。近頃は僕を名探偵にすることを諦めたのか、もしくは僕が自主的に名探偵を演じざるを得なくなる機会が増えたからか、彼女は少し、イベント事に消極的になっていた。
 それはそれで不憫な話だ。そもそもトウキにはそういった運命への屈し方は似合わない。
 僕の心配をよそに、トウキはひとつため息をつくと、僕を見上げて、ニヤリと見下した。
「ロリコンってストレートな変態ばっかりなわけ?」
 そしてふぎゃーと大袈裟なリアクションを取る元同級生に向き直る。
「いいわよ。ただし、色んな人に囲まれるのは疲れるから、貴方だけで撮って」
 流石に機材の関係上無理なんじゃないかと思った僕を尻目に、元同級生は声を弾ませてトウキの両手を握る。
「ありがとう!!」
 即座に僕がその手を引き剥がした。というかどさくさに紛れてトウキの手をにぎにぎして抓られたのは他ならぬ僕である。



 撮影当日、レフ板(綺麗に撮るために被写体に光を当てる道具)とかどうするんだろうという僕の疑問はすぐに氷解した。
「ペーター、角度ズレてるよ!」
 マイク付きのごついカメラを担いだ同級生に激を飛ばされて、僕はげんなりとため息をつく。
 僕、明日も仕事なんだけど。そして僕の帽子は黄色じゃなくて緑だ。
「ルイージ、みっともない。シャキッとしなさい」
「わかった」
 すぐに復活した。トウキの激ならいくらでも飛ばされたい。寧ろ浴びたい。
 トウキは元同級生に用意された白いワンピースに身を包み、麦わら帽子を被って、まだつぼみの方が多い向日葵畑に佇んでいる。
「トウキさん、寒くないですか?」
「大丈夫」
 近頃どんどん濃くなってきた青空の下、撮影は淡々と進んでいく。進捗の程すら分からない。わかるのはトウキが今日も天使以上に天使な小悪魔だということだけだった。
 元同級生は時々位置を指示する程度で、トウキの麗しさを褒め称えることも、逆にポーズや動きに文句をつけることもなく、ひたすら集中して、カメラを構えている。『瞬間』を逃すまいとするその目は、まるで肉食獣のようだ。
 少し撮ると元同級生の借りてきたバンに乗せられ移動し、次の映像を撮る。基本はその繰り返しだった。
 時折着替えも挟まれた。僕が手伝いを申し出たのは言うまでもない。誠に遺憾ながら、断られたことも言うまでもなかった。
 二日目も、初日と同じように撮っては移動とひたすら進んだ。
 そして、正にあっという間の最終日を迎えた。



「今日はこれで撮ります」
「何これ」
「8ミリカメラってやつですよ」
 元同級生に渡された8ミリカメラを物珍しそうに手に取るトウキの可愛らしさに思わず「今こそ撮るべきだろう!」と怒りたくなったが邪魔もしたくなかったので自前の携帯電話のカメラで我慢した。
 最近の携帯電話、というかスマートフォンはカメラの性能がよく、外部保存も駆使すればいくらでも撮れる。ああ、可愛い。我ながらどれもよく撮れている。
「打ち合わせで送った通り、今日は普段着で撮りますね」
「うん」
 にまついていた僕の前で何気なく交わされた会話に僕は目を見開く。
「待った。君、いつの間にトウキの連絡先を聞き出したんだ」
 通りで二人の間で話の通りがいいと思ったら!
「え、普通に……着替えのときだったかな」
 僕の嫉妬に気圧されたのか、元同級生は控えめに申告する。
 トウキは受け流すように、しらーっと目を細める。
「わたしを撮るっていうのに、連絡先がルイージだけじゃ不便でしょ」
「だけど、こんな怪しい奴になんか教えて……」
 僕が気持ち悪く食い下がると、トウキは更に衝撃の事実を投下する。
「あの木曽川っておじさんとも交換してるし」
「嘘だろトウキ」
「ルイージ気持ち悪い。死んで」
 そんな風にシンプルに罵られる一幕もありつつ、撮影は無事終わり、トウキは主演女優として小さなブーケを受け取った。
 その後、僕とトウキは一度帰宅し、元同級生も車を置きにどこぞへ行って、元同級生の奢りで打ち上げに繰り出すことになった。
「クランクアップおめでとうありがとう!」
 ハイになっている元同級生に合わせて、僕とトウキも一応、コップを掲げる。
 居酒屋と食事処の中間くらいの店の隅の席で、元同級生は梅サワー、僕はウーロン茶、トウキはアップルジュースを手にしている。料理はもう暫く後だろうか。
 ごくごくと気持ち良さそうに梅サワーを煽っていた元同級生は半分程空けたところでジョッキを置き(既に顔が真っ赤だ)、鞄を漁って、僕とトウキにひとつずつ、封筒を渡す。
「今回の報酬です。ペーターにも雑用代。薄謝だけど」
「これはどうもご丁寧に」
 軽く受け取る僕とは対照的に、トウキはしっくり来ないようで、焦点のぼやけた目で封筒に書かれた額面を眺めている。
「一応、中身確認してね」
 その一言にもふわふわ曖昧に頷き、本当に数えているのか怪しい手つきでお札を弄る。
「あっ。……ありがと。」
 言うべきことを忘れていたと感じたのか、トウキはつんのめるように述べて、頭を下げた。
 愛すべき成長の一幕に、僕のロリコンではない部分まで感動しかけて喉を詰まらせ、慌ててウーロン茶を煽る。
 元同級生は正面に座るトウキも、斜め前の僕にまで微笑ましいものを見る視線をくれて、徐ろに立ち上がるとトウキの頭をそっと、ただ触れるだけのように淡く撫でる。
「トウキさんが、あなた自身で手に入れた正当な報酬です。きっと役立ててください」
 言ってから恥ずかしくなったのか元同級生はぎこちなく尻を下ろすとジョッキで顔を隠すようにそわそわと梅サワーに口をつける。
「わかったわ」
 トウキの小さな声を聞き終えるかどうかくらいの所で最初の料理が運ばれて来た。



「ペーター、ごめんね」
 と、酔いがピークだったときは怪しい呂律で絡んできた元同級生は一時間程度ですっかり復活し、しっかりとした足取りで僕らの隣を歩いている。
 僕ら、とまとめたのは、僕が眠ってしまったトウキをおぶっているからである。太腿や体温の柔らかさが腕や背中に沁みる。
 事の顛末はこうだ。元同級生が直前で注文を変更し、新人店員が対応しきれなかった。そうして運ばれて来たピーチミルク(酒)をピーチミルク(ノンアルコール)だと思い込んでいる元同級生とトウキが飲み物を交換してしまい――トウキが酔って笑って疲れて寝てしまったのだ。
 トウキが寝ている間に三つ隣のテーブルで食中毒騒ぎっぽい何かがあったが、彼女は一切反応せずにすやすや眠っていた(寝顔フォルダが潤った)。多分あの人は殺されたのだろうが、関わらないで済みそうのならやはりそうする。
「あーもー可愛い! トウキさんのほっぺつつきたーい。かわいいー」
 まだ酒が抜けないのか元同級生が陽気に口を滑らせる。
 なんだこの野郎気持ちはわかる。
 僕はすっかり重くなったトウキを背負い直して、初夏の夜風に浸る。
 最後の夏だ。
 やがて元同級生が、静かに口を開いた。
「昔のこと、さ、今更過ぎて謝るのも白々しいから、概ね何も言わないでおくつもりだったんだ。さっき言っちゃったのはうっかりです」
「…………」
 今言われても、僕からは何も言うことがない。
 元同級生は沈黙をどう受け取っているのか独り言のように続ける。
「ペドメーターってあだ名考えたのも、私だったっけ」
 いつ聞いても完璧な名付けだった。縮めてペーターにさえしなければ、文句を付けようがない。
 そのことを口にしようとした僕を遮って、元同級生は言葉を続ける。
「あたしさあ、女の子が好きなんだ」
「そりゃ女の子が好きじゃなきゃ少女映画なんて撮らないだろ」
 そんなの、ヒューマンドラマ好きがコアな趣味のスプラッタを撮るようなものだ。
「そうじゃなくて、あー…………うん。そうね。レズビアンなの」
「だったら何だよ」ぼくなんかロリコンだぞ。
 溜めた割にどうでもいい身の上話で、僕はぼそりと本音を突きつける。同性愛者なんて、同士でもなければ世間から認可されつつある立場だろう。
 元同級生は苦笑するばかりだ。
「昔は自分は『ノーマル』だって思いたかったの。だから余計にきみのこと目の敵にしたんだと思う」
 僕が黙っていると、元同級生は話の〆のつもりなのか唐突におどけた。
「それだけだよん」



 季節は巡って、桃の姫かつ滑らかな陶器であった彼女はただの桃子になり、『トウキ』は記録と、記憶上のものとなった。
 今の桃子はどちらかというと元姫というより……女帝だ。うちの探偵事務所で一番権力があるんじゃないだろうか。所長も含めて。
 そんな彼女が、あのとき撮った映画を見ながらふいに呟いた。
「そういうばこのとき、『水族館の周りで撮りたい』って言ったら即却下されたのよね。他は最低でも検討はされたのに」
 無論そのときの僕は映画に夢中で反応したのは暇を持て余して一緒に見ていた同僚のエリオットくらいだったのだが、僕は何故か、夜中にそれを思い出す。
 そして閃かない探偵・花咲太郎に似つかわしくない閃きと共に、ひとつの記憶が蘇った。
 僕をデートに誘った例の女王に当てつけなのか何なのか招待された結婚式では確か、記念撮影のひとつが臨時のカメラマンに変わったのだ。
 撮ると申し出ていた新婦友人が泣きすぎて倒れたのだと聞いて、おめでたいなと呆れたことを覚えている。
 今思えば、それは……。
 ついでにもうひとつ記憶が蘇る。
 水族館の一件の後すぐの頃のことだ。僕の嗜好が学校で発覚したのはその時期で……例の女王は、特にその性の特異さを貶す立場を取っていた。
 元同級生は、僕が水族館で袖にした形の彼女のことが、好きだったのかもしれない。何年も後の結婚式ですら、泣きすぎて過呼吸を起こす程に。
 ぼくは理解し得なかった『裏側』に触れた気がして、寝返りを打つ。
 いや、そうだとしても今の僕には関係のないことだ。
 僕と桃子が相当傷つけあってここに収まったように、彼女も抱いていた想いの分傷つけられ、傷つけただけのことだろう。もう関わることがない以上、他人事のはずだ。
 だけど。と、少しだけ思う。
 こっちこそ、ちょっとごめん。
「関係ないくせにって思ってたのは、撤回だな」
 もしかしたら誰よりも傷ついたかもしれない元同級生を想って、ぼそぼそと口に出す。そこだけは、密かに覆すことを選ぶ。
 彼女はかつて、自分自身を傷つける嘘をつき続けていた。これからもきっと、そんな嘘をつくのだろう。
 あの夜、最後の最後に泣きそうな顔で、それだけだと下手な嘘をついたように。

 誰かしら皆、何かのために嘘をつく。
 僕だってやっぱり、嘘はつく。
 偽名もバンバン使うし、守るものの大きさの分、納得を先送りする機会も、隠し事をする機会も増えていく。
 なんて不健康なんだろう。
 せめてその不健康さが、周囲の人々の、大切な友達の糧となってほしい。
 そんなことを、瞼の裏側の暗闇に祈った。

 ともだちのはなし。

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