あいのみもとで。-children-

 俺には米林に愛されている自信があった。
 それは米林と近しい者なら大抵が持っているものだ。
 例えば髭丸がそれを問われれば「パイセンの愛はいつも感じてますよ!」などとよくわからない勢いで述べるだろう。
 シャオならば「才子さんはいつも可愛がってくれますし、お世話させてくれますし……」とうっとりしだすかもしれない。
 安浦は「えぇー……そうですね、米林さん、『愛してるぜ』とかなら簡単に言ってくれそうですよね」と気弱に推量するだろう。
 今の六月でも「才子ちゃんは、私たちがどうなっても迎えてくれるかな」くらいには……実際は米林は六月の帰りを待っているのだからもっと信じていいと思うのだが、それくらいには言ってくれるだろうか。
 それからカネキケン、になった佐々木さえ、もしかしたら……。真戸もひょっとすれば……。
 そして不知が生きていたら、盛大に照れた後で「まー、アイツは周りの誰にでもそうだろ」と直感的に的を射たことを言うに違いない。



「おぉ〜瓜江班長、まだ仕事かぁ」
「ああ」
 お前もまだ起きていたのか。
 深夜、追加のコーヒーを淹れやすいからとダイニングで持ち帰りの仕事をしていると、自室に籠っていたはずの米林が出てきた。
 部屋の電気は俺に合わせたのかつけず、フットライトを頼りにキッチンの方へと入って行く。しばらくして流し台の作業用の電気だけがついた。
「もっと才子たちに仕事割り振ったらええがな」
 米林はそう言いながら冷蔵庫を開け、閉じ、コーヒーを淹れ始めた。
「ほぅ……」
 俺がカウンター越しに測るような視線を向けると、米林は『ふぐっ』とわざとらしく喉を詰まらせ、意見を反す。
「……あんまり多いと才子は無理やけど」
 そんな様に気が抜けて、俺は相好を崩す。PCに収まった情報を前にして、無意識に少し固くなっていたようだ。
 米林がソファ越しにノートPCの画面を覗く。
「……ウリ。ホントに昼間、こっそり調査しとるんやね」
 キッチンの火元から、お湯の匂いと、沸騰する音がする。
「米林、もう沸いてるぞ」
 俺が話を逸らすように言うと、米林はちょこちょこ走って行って火を止め、カチャカチャと食器の音を立てながら話を戻す。
「今やってる仕事が通常業務やろ? ウリならこんな時間まで掛けなくても済むはずの」
 俺は観念して現状の確認に応じる。
「そうだな」
 湯を注がれるコーヒーの芳香の中、俺は班長としての言葉を続ける。
「今はクインクス班も手が掛からないし、大きな作戦もない。お前が苦手な資料仕事ばかりだ。気にするな」
「そうか」
 米林はそこまで言うといつもの小さな歩幅で俺が座るダイニングテーブルにのところへ来て、コーヒーを置いてから隣の椅子に座る。
 コーヒーは二つ。米林自身の分と、俺の分だ。俺のマグカップは元々殆ど空のまま置いてあるので、俺の分は来客用のマグカップに入っている。
「すまん」
 礼を言うつもりでそう言って、俺は米林が淹れたコーヒーに口をつけた。
 米林が扱えるのはインスタントコーヒーぐらいで、今回も例に違わずインスタントなのだが、案外と悪くないと思えてしまう。
 それから仕事に戻ろうと姿勢を正す、が、米林が何も話さないのが不審だった。ゲームもせず漫画も読まずテレビも見ずに黙って座っているなんて、珍しい。
「どうした」
 問い掛けると、米林はやや下を向いたまま首を横に振る。
「いんや。暫く、居てもいい?」
 珍しいに輪をかけて意外な願いだ。
 何か聞くべきかとも思ったが、俺はただただ、返事代わりに黙って仕事に戻った。
 あと少しだった仕事を、先程より気持ち急いで無理矢理けりをつける。
 横を見ると、米林が空のマグカップを両手で包んだまま見返してくる。
 俺は液晶がついたままのノートPCをぱたんと閉じた。また朝一で確認することもあるかもしれないのだ。
 光源がフットライトとキッチンだけになり、気持ち暗くなった部屋で米林はぽつりと言う。
「変な夢見た」
 問わず語りをするほどの話す気概は感じないが、何か詰まらせているような感じはする。
 俺は正直、米林の夢の内容なんかに興味はなかったが、気遣いの真似事くらいはする。
「それで、起きたのか」
 よくよく見ると酷い顔だぞ。
「うん」
 米林はこっくり頷いて、話し始める。
「今日、ハルちゃんの顔見に行って。むったんたちともすれ違って。色々もやもやしたまま寝たのが悪かったんだと思うわ」
 少し、話が止まる。俺は黙って続きを待っている。
 薄れたコーヒーの匂いの代わりに、染み付いた生活の匂いと、米林の匂いが感じられた。
「夢の中で才子、シラギンに会ったんよ。むっちゃんとシンサンペが居なくなって探してたら、頭に輪っかつけたシラギンが『こっちにも来てねえ!』って。才子もシラギンも『どうしよう、変なところで迷子になったらどうしよう』って大慌てで、手分けして探すことにした。でもそのうち才子自身どこにいるのかわからんくなってきて、ウリからも『お前どこを探してるんだ』って電話で怒鳴られて、そのうちシャオたんとヒゲちゃんからも『どこですか』『無事ですか』って連絡貰って。ママンにも電話したけど繋がらなくて」
 米林が唾を飲む。俺は口を挟みたいのを堪えて、待った。
「そんで、見覚えのない場所を必死に走ってたら、覆面作戦で話した喰種の人らを見つけて。話し掛けたら教えてくれるってわかったんやけど……前、騙して色々聞いたから、声掛けれんくて……。段々風景も消えて真っ白になってきて、必死で走っても何も見えんし誰も居らんし、泣きそうになってたらウリ坊から連絡があったんよ。『不知の妹の容態が変わった。お前も六月もどこにいるんだ』って」
 それから米林は小さな体を更に小さく丸めて呟いた。
「……こわかった」
「そうか」
 何が怖かったのかとは、聞かなかった。
 ただ、米林が小さく震えていることが、俺には恐ろしかった。
 こんなとき、米林が慕っていた佐々木なら、容易く、何の他意もなく肩を抱いて背中を叩いてやったのだろうか。
 俺には精々、抑え切れない他意をひた隠して肩に手を置くくらいしかできなかった。
 しかし米林はそんな俺の精一杯など簡単に飛び越える。いつもそうで、今日も変わらずそうだった。
 米林は鋭く短く息を吸って、俺の胸に自分から飛び込んで来た。
 髪から汗のような蜜のような牛乳のような暖かい匂いが漂ってきて、俺は頭で考えることが出来ず、衝動任せに米林を抱きしめる。
 嫌がるわけでなく、寧ろ擦り寄ってくる米林に油断をして、俺は米林の頭に、普段は髪の結び目がある辺りに顔を伏せた。温もりも匂いも先程よりよほど近くなり、鼻先や唇が髪に触れる。なんだかひどく懐かしいような気持ちになった。
 よねばやし。
 俺が名前を呼ぼうと小さく息を吸ったとき、米林は千切れてしまいそうなほど痛々しく脆い声で、その名前を呼んだ。
「シラギン」
 俺は一瞬、微かな思い上がりを暴かれたようで、冷水を被ったような気分に陥りかける。しかし緩みかけた腕をもう一度深く回して、少し強めに抱きしめた。
 別に、腕の中から別の名前が聞こえたところで、それが何だどうだと考える必要性などないのだ。
 俺には米林に愛されている自信があった。
 それは米林と近しい者なら大抵が持っているものだ。それ以上ないものだ。
 これだけの愛情を注がれておいて、何を恐れ、何に拗ねればいいというのか。
「米林」
 改めて名前を呼び、体を離して顔を見つめる。
「ウリ……?」
 僅かに涙の残滓が残る目をして、米林は俺の顔を見返した。
 俺は両の手で、確かめるようにゆっくり米林の髪をかきあげ、小さな軟骨が収まる耳に触れる。
「俺のことを、どう思っている?」
 今、何を確認しようとしているかわかった上で、また好きだと言ってくれるか?
 そちらにはあまり、自信がない。
 米林は恥じらうように目を伏せて、そのまま歯を見せて笑おうとする。
「……好きよ。才子は、ウリが好きよ」
 前にも聞かされたその言葉に俺が安堵で目を閉じると、米林の温度が近付いてくる。
 瞼を上げるまでの数瞬で、頬にキスをされた。
 俺は前のときと違って、今は返す言葉を持っている。
「俺もだ。米林」
 そして俺は米林の唇に、唇の先で触れた。
 米林はくすぐったそうに身をよじるが、逃げ出そうとする素振りは一切見せない。
「いいんか、班長」
「こっちの台詞だ」
 このアホ。
 小突きたくなるような発言を言葉だけで突き返して、俺は米林と額を擦り合わせる。前髪がふさっと浮いた。
 米林は首の角度を変えて、もう一度唇同士の接触を起こさせた。
 こちらからも同じように口づける。すると俺は今度は勢いづいてきて、二度三度繰り返す。
「ん……んっ……」
 押し負けた米林が小さく声を出すもので、余計に止まれなくなってきた。
 頭では『このままここで』となるのは拙いとわかっているのだ。ここまでにしておくか、外に……そう、熱冷ましに散歩にでも行くか二人でどこか別の……ともかく一度止めなければ……。
 考えようとしながらも俺は、食欲に負けるかのように舌で米林の唇を割り、少し開いた唇を貪る。
「ん、ぅ……ウリ、や……やめ……」
 あとちょっと。
 まるで、朝あと五分あと五分と宣う米林のような理屈で長いキスをする。
 しかしそれも米林の寝間着の襟に手を掛けそうになって何とか止める。
 俺は息を吐くと、また腕を背中まで回す。
 自分の両手の自由を奪うためだけの乱暴な抱擁。我ながら情けない。班長だというのに共同生活の自覚が足りない。
 と、米林の手が、俺の髪を優しく梳いた。
「……居てくれてありがとな」
 両手で抱き返しながら、米林はため息のついでのように囁いた。耳に掛かる息が熱く、くすぐったい。
 俺が力を緩めると、米林は腕を離して顔を上げる。
 優しく細められた目と視線が合って、俺は無意識に柔らかな頬に触れる。
 恋を痛むものだと定義するのなら、きっと、これは恋とは呼べない。
 だけど、ここにいるのは紛れもなく、愛しい存在だった。
 俺は米林の顔にかかる髪を払う。顔の皮膚を指が撫でただけなのに、米林は眠りかけのように表情を安らげさせる。
 そして、最初からタイミングを知っていたように、二人同時にゆっくりとまぶたを下ろす。
 もう一度だけ、触れるだけのキスをした。



 ソファーに移動して、俺たちはしばらく取り留めのない話をしていた。
 大切な歯車がいくつも欠けたままのシャトーだが、こうして二人で話す時間もたまには悪くないと思えた。
 とはいえ米林は米林だ。二十分もしないうちに俺の肩にもたれて寝てしまった。体温と匂いが心地よく、そのままでいたら俺までソファーで寝こけてしまいそうだった。
 俺は米林を背負って、部屋まで運んでやる。
 散らかって足の踏み場が少ない中、何とかベッドまで運んで寝かせてやる。意識のない米林は地味に重かったし耳元のいびきは煩かったが、まあいいかと思えた。
 数分寝顔を眺めてから、俺は自室に戻ろうと米林の部屋を後にする。
 米林が何か幸せそうな寝言を言うのを聞きながら、後ろ手にドアを閉めた。

元の方っていうかR-18な方っていうかちるどれんじゃない方これ
表紙的なやつこちら。ちょと大きいかも。

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