地球人、今日の彼女の晩ご飯。

 彼女はぼくのことが三度の飯よりは好き、らしい。
 もっとも、日に三度も食事を摂る生活は、ずっと前に失ったけれど。



 地球は今や、異星人たちが分割して所有している。何年も前に、地球を一番跋扈する生き物が代替わりしたのだ。
 ぼくと彼女はそんな地球で、いつも手を繋いで歩く。いつからかそれが習慣になっていた。
 勿論呑気な旅路ではない。さっきも、この辺りの地域を支配する異星人の子供に、口なしになってもらったところだった。
 地球人でいう十代半ば、ぼくたちくらいの歳の異星人は、もうぴくりとも動かない。握り込んでいた刃物を奪っても、生き物ではなくなったそれは何も言わなかった。
「ポチは殺生が上手いねぇ」
 のんびりした口調で、彼女がぼくに話しかける。
 彼女はそうしていつまでも異星人の死体の側にしゃがんでいる。死体の近くに居るぼくたちは関係者だとバレバレだ。
「タマ、そんなのいいから早く行こう」
 ぼくは焦って、少々きつい言い方で彼女を急かす。
 ぼうっとしていた彼女だけど、手を握ってぐいと引っ張るとそのままついてきてくれた。あまり調子に乗って思い切り走っても転ぶから、小走りで進みながら隠れる場所を探す。
 普段ならば、一般の異星人に見つかってもさほど心配はない。けれど、今は別だ。身なりの整った異星人を返り討ちにしてしまったのだから。
 ぼくたちは運悪く、あの異星人に襲われてしまった。異星人、特に情操教育のなってない子供は、むしゃくしゃした、くらいの理由で地球人を嬲り殺すことがあるのだ。他生物・多人種に対する地球人と同じに。
 実際にこうして襲われるのも、三度目だろうか。本当に運が悪い。ぼくだって無駄な殺生は嫌いなのに。
 というより、ぼくは何かを害したり壊したりすることを楽しむ気持ちすらも、あまり理解できていない。何かを殺すときも、いつも心は凪いでいた。普通は暴力を駆使していると脳が勝手に楽しくなるものらしい。
 彼女はいつかそんなぼくを「きれいな心なのね」と評した。「人間じゃないみたい」と。
 日が傾いていく中を歩いていると、ガレキの山に辿り着いた。大体二十五メートル四方くらいの面積に、文字通り山のようにそびえている。山の中の方を覗くと廃車になったバスもあった。なんとか身を隠せそうだ。
「この中の方に隠れよう。ほとぼりがさめるまで」
 彼女はぼくの言葉に頷くので、ガレキの山に入っていくことが決まる。追手があってはいけないので、ぼくは彼女を先に行かせた。
 ぼくたちは無造作に積まれたガレキを崩さないように慎重に、その隙間に体を滑り込ませていく。いくつもある柱の残骸のお陰か、簡単に崩れそうにないのは僥倖だ。
 先を行く彼女がバスの窓があった場所から体をねじ込む間、後ろを振り返る。ガレキの山の外側からはさほど離れていないため、光が差し込んできている。つまり、ちょっと探せば見つかる場所ではある。
 幸い異星人たちは地球人の文明を「汚らわしい」と評し、ある種恐れてもいる。地球人が犯人だと断定されない限り、ガレキの山には手をつけないだろう。……結構、希望的観測だけども。
「ポチ……?」
 バスの車内から彼女がぼくを呼ぶ。
「あぁ、ごめん、ちょっとここの安全性について考えてた」
 ぼくは応えて、バスの車内に体をねじ込んだ。
 と、そのとき腕にピリリと痛みが走る。
 ひとまず車窓を潜り抜けてから確認すると、どうやら残っていたガラスで右肘付近を切ってしまったようだった。それほど深く傷ついた自覚はないのに、生温かい感覚がとろとろと腕を伝う。
 怪我はともかく、ぼくは彼女を連れて外から覗き込んだときに見えない位置まで移動する。座席に座ることも避け、床に腰を下ろした。その間も血は滴ってきている。
 手っ取り早く自分で舐めてしまおうかとも思ったけれど、流石に舌が届かない。ぼくはそんな間抜けな様子をぼうっと見ていた彼女に苦笑してみせ、お願いをする。
「なんか勿体ないし、舐めてくれる?」
 言いながらちょっとだけ、セクハラとかいうやつに近いかな、と思った。
 そんな言葉に彼女は微かに頷いて、数秒の躊躇いの後、傷口を舐める。ざらついた舌の熱さに本能が何かしらの期待をしそうになって、僕は慌てて目を逸らした。
 だけどすぐに彼女が頃合いを見失って困っていることに気づいて向き直る。
「そろそろ平気」
 そっと額を撫でると、今度は彼女の方から目を逸らした。
 傷口を見る。結構な深さがあった。もしかしたらまた血が滴ってくるかもしれない。布がほしいところではあるけれど、余計な布なんか持っていないので、あとは放置しかない。こんなことならあの異星人の衣服を拝借してくればよかった。地球の布とは違うなりに、役には立っただろうに。
 辺りはまだ静かで、ただ鳥が飛んだり風が吹いたりする音が聞こえるだけだ。あの異星人の死に家族が気づくとしたら、多分今夜。慌てて隠れてしまったけれど、もっと遠くまで逃げた方がよかったかもしれない。
 水と食糧の残りからして、籠城は二晩が限度だろう。
「とりあえず、今晩の宿はここにしようか。明日以降、どう逃げるかとか考えよう」
 ぼくの考えに、彼女はただ黙って頷く。二人が生き残る術を必死に考えるのは、ぼくだけだ。彼女には生き残ろうという意思があるわけではないから。
 彼女はどちらかというと希死念慮を抱いている方だ。その証拠になるかはわからないけれど、彼女に彼女自身の食糧を持たせると、すぐに捨てて餓死を選ぼうとする。
 だから、ぼくたちがそれぞれ肩に掛けている鞄の中身は、食糧だけ逆なのだ。彼女の鞄には彼女の水とぼくの食糧、ぼくの鞄にはぼくの水や生活道具(ナイフ等)と彼女の食糧が入っている。
 ぼくはそんな彼女にいつも、食事することを強要している。だから彼女はきっと、ぼくのことなんか大嫌いだろう。「三度の飯より好き」というかつての慣用句を使った冗句だって、本当かどうかわからないくらいだ。
「そろそろご飯にしようか」
 ぼくは食事のことを考えたついでに提案する。すると彼女はゆるりと首を振った。
「今はいい。ポチだけ食べて」
 ぼくが言い返そうとすると、姑息なことに付け足しがあった。
「私の……は、ほら……取っておくべきだと思うの。少しずつ食べてもあと三食分くらいしかないし」
 彼女はつっかえながら、それでもしっかりと言い切った。ぼくが強く見つめても、
「ね?」
 結局、彼女は目を逸らさなかった。
 ぼくはため息をついて、それを容認する。朝食は絶対に食べさせて、次の食糧もなるべく早く入手しようと決める。
 そんなぼくを横目に、彼女は山菜を鞄から取り出す。実に気楽そうだ。彼女自身の食事のときにもこんな風だったらいいのになぁと、ぼくは少しだけ思う。
「うぅんと……どれくらい食べる?」
 彼女はひとつかみほどをぼくに渡しながら、首を傾げる。
「いや、今回はこれくらいでいいや。ありがとう」
 ぼくはなるべく優しく微笑んでそれを受け取る。あらかじめ食べられる状態にしておいたそれを口に入れる寸前、ぼくは軽く感謝を捧げた。
「いただきます」
 勿論空腹を満たすには足りない。けれど、食糧はなるべく多く取っておくに限る。今のような生活を続けるうち、節約癖は自然に身についていた。
 本当のところを言うと、肉や魚が恋しい。地球人向けの農業が廃れて以来ほとんど流通しなくなった米や麦も恋しい。昔は、普通に食卓を囲んで食べていたのに、今は食べられなくなってしまった。
 そんなことを考えながら、山菜を食べる。生きていくためだ、贅沢は言えない。
 ぼくの食事が終わって、ぼくたちは暇に明かしてお喋りを始める。話題なんてないから、ぽつりぽつりと、小さな火を灯しあうように、なんでもないことを。
「明日は晴れるかな」
「そろそろ雨が降ってほしいなぁ」
「また、星を見ようね」
「また、蛍を見たいね」



 いつの間にか眠りこけていたぼくたちは、話し声で目を覚ました。
 一瞬警戒するものの、すぐにそれを解く。聞こえてきたそれは地球人の声質で、日本語。
「あ……こんばんは」
 窓から入ってきた男は、地球の、日本人だ。
「どうも……」
 ぼくは会釈する。彼女はぼくの背に隠れて小さくなってしまった。
 バスにやってきたのは男を含めた三人の地球人で、男と連れの女と子供のようだった。子供は男の背にくくりつけられている。
「ここ、今夜いいかな?」
 疲労がにじむ笑顔の男に、ぼくより先に彼女が応える。
「いい、ですよ」
 小さな声だった。



 男が子供を下ろし、女が背負っていた荷物を下ろして落ち着くと、ぼくたちは挨拶や情報交換を済ませる。彼女も背中に隠れるのはやめて、意識がある四人は自然と車座になっていた。
 男たちは異星人たちの様子がおかしいことに気づいて、急いで今夜の宿を決めたらしい。
「いやぁ、下手に視界に入ったら即尋問されそうで、冷や冷やしたよ」
 異星人たちは相当ピリピリしていたらしい。男は安心したように笑っている。
「そうでしたか。やはり、何か誰か、探しているようでしたね」
 ぼくは異星人の子供を殺したことを伏せて、話を合わせた。
 女も頷いて、それから眉を下げる。
「お互い大変だったわね」
 男女は夫婦だそうだ。見たところ三十代半ば程。連れの子供は九歳ぐらいに見える男の子で、二人の子供ではないらしい。衰弱した子供は、今は眠っている。
 ふと肩に重さがかかって、見ると隣に座っていた彼女が居眠りをしていた。ぼくが男女に目を遣って苦笑してみせると、微笑ましそうな視線が返ってくる。多分ぼくたちが体格の近い少年少女だから、余計に。
「君たちは、その……異星人たちに支配される前からの知り合いなのかい?」
 穏やかな眼差しで男が問う。
「いいえ。実はぼくたちは二人とも、同じ実験施設で彼らに扱われていたんです。逃げるときに、一緒になりました」
 そう返すと、女の方が声を漏らす。
「まあ……。この子も、異星人の実験施設から逃げてきたのよ」
「ではその子も、何かの変異体質ですか……」
 ぼくは男女に比べ顔色の悪い子供に視線を遣る。確かに、まだ少しの丸みは残っているものの、ろくに食べていない様子が見て取れた。
「この子は海魚しか食べられないそうなんだ。……もう、長くはないだろう」
 男が小声で、まるで自分の体でも痛いかのように言った。
 確かに、長くはないだろう。海魚を入手するのは、とても難しいのだ。海は近くにあるけれど、この近辺の海の魚は随分と減ってしまっている。
 実験施設では、そんな不便な体の地球人が、今日も作られては試されている。異星人たちの実益のために、奴隷階級である地球人を使って。
 地球外ではかつて、病としての偏食が大流行した。異星人たちは随分と苦しめられたのちに、それを軍事・医療に転用しだした。そして、地球人類は、格好の実験台になったのだ。
「海魚、ですか。ぼくはまだいい方です。山菜や草……地球の地上の食物なら、大抵食べることができますから」
 相槌だけでは味気ないと思い、自分のことも話す。けれど話さない方がよかったかもしれない。
「じゃあ、そっちの子も?」
 女が視線で彼女を指す。やっぱり藪蛇だった。
 彼女は、人に自分が食べるものを知らせたがらない。昔の暮らしでは普通食べないものだったし、彼女は普通の神経を持つ地球人だからだ。そりゃあ、隠したいだろう。
 ぼくは慌てずに目を伏せて、ゆっくりと首を振る。
 男女はそれ以上訊かず、男の方が別の話題を振ってくれる。
「私たちは、強制労働が苛烈すぎる場所から逃げてきて、地球人保護団体のところを目指しているんだ。そこでの労働さえ始めてしまえば、元の所有者に見つかっても連れ戻されないように守られるらしい。きみたちはどこへ向かっているんだい?」
「ぼくたちはまだ、あてもなく過ごす予定です」
「そうか」
 男は、共に行動しよう、とは言わなかった。下手に人数が増えるのは愚策だと知っているのだろう。
「そろそろ寝ましょうか」
 ぼくの提案によって、次々におやすみなさいをして、男女はすぐに寝ついた。
 ぼくだけが、しばらく目を開けていた。



 男女はその次の朝、目覚めると慌ててガレキの中のバスを発った。ほとぼりもタイミングも考えずに出ていってしまった。ぼくが驚かせてしまったせいだ。
 異星人たちに捕まっていないといいんだけど……。
 ぼくたちはもう二日程、バスの車内で様子を見ていた。途中雨が降ったから、籠城中の水分補給は随分と楽だった。
 二日経った次の朝、ぼくたちは異星人たちにとっても未開である鎮守の森に身を隠した。新しく彼女の食糧が手に入ったために、荷物の重さが不安要素となっていた。幸い見つからずに逃げ込めた上に丁度いい洞穴もあり、身を隠すどころか定住すらできそうだった。
 逃げ回っていても、今のように少し安心できていても、朝は来て、夜も来る。
「タマ、ご飯だよ」
 今日の夜もぼくはいつものように、彼女に食事をするよう乞う。
「うん」
 彼女は諦めの表情で頷いた。その様はぼくに、どうしようもない現実を再確認させる。
 これはすべて、ぼくのためだ。
 彼女のことが好きなのも、彼女に生きていてほしいのも、彼女に食事をさせたいのも、ぼくなのだ。
 理由なくただ好きで、触れたいのは我慢できても、放っておいて死んでしまうことに我慢ができないのは、ぼくなのだ。
 彼女はそんなぼくを、大抵の場合受け入れているようにも見える。ただそれは、やはりあくまで無気力に従っているに過ぎないと思う。
 前に一度、食べることを拒否する彼女にぼくが咀嚼したものを無理矢理食べさせたことがあった。彼女が露骨に抵抗したり嫌な顔をしたりしなくなったのは、その時からなのだ。
 それはある意味、性的暴力により彼女を従わせたのと同じだと思う。結果的とはいえ、彼女を押さえつけて、唇と口内に直接干渉してしまったし。
 直後彼女の食べ物を誤飲して吐血したのは、きっと天罰だったのだ。
「じゃあ」
 と彼女の声で我に返る。意識が過去に行っていた。ぼくは慌てて、既に手を合わせていた彼女に倣う。
 彼女は、はりつめて、おごそかに、短く息を吸う。そしてその儀式のような空気を纏ったまま、その言葉を発する。
「いただきます」
 ぼくは彼女がこう言うときの声がとても好きだ。その震えすら、とても美しいと思ってしまう。だから、ぼくの言葉は一歩遅らせて発した。
「いただきます」
 ぼくたちは食事を摂る。今は多くて、日に二度。
 だけどもしも、日に三度の食事を摂る生活に戻るような夢物語が叶うとしたら……。
 いつか彼女が、せめてぼくよりは三度の飯を好きになれたらいいなと、身勝手に祈った。



 ぼくは昼間そこらで採ったノビルとゼンマイを食べる。
 彼女は、ガレキの山のバスで出会った男の子を食べる。

2014年1月頃「 」文庫から発売していた短編です。いやぁ、潰れちゃって再掲を宣言してからかなり経ってしまった。編集さんには結構推敲手伝ってもらってたから掲載原稿そのまま使うのもなーって思って弄ることにしてそのまま放置していた期間が長かった。ごめんご。
「きれいな心なのね」の下りはアドバイス受けて書いたけど流石に重要だからそのまま。色々あったけどこの小説がこうなったのは彼のお陰なので、そこはブレずに感謝したい。
ちなみに当時作ったCM動画はこちらです。

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