死者の横恋慕

 魂がどこにあるのか、という命題がある。
 単純に脳だと考えることも出来る。けど、それでは説明できないことも起こる。内臓移植で記憶や性質を得たり、性格が塗り替わったり。
 その割には、細胞がすべて入れ替わるくらいでは自己同一性は失われない。
 魂の在り処を誰も知らない。ただ漠然と、心臓の比重が大きいような気がするだけ。
 ただ、私には確信があった。
 もしも心臓の比重が大きいなんて考えが許されるのなら、喰種にとっては赫包もまた、比重が高い臓器なのだろうと。
 こんな現象もある。
 脳に損傷が起こると逆側の脳が機能を肩代わりし始める。人間の胃が摘出されても小腸が一部の機能を代わりにこなす。
 まあもっと言えば喰種は腕くらいならもげても生えることが多いし、結構色々治っちゃうのだけど。

 果たして三波麗花の一部はぐちゃぐちゃにされて丁寧に整えられて、小さなケースの中に収まった。
 そこに私は……三波麗花の魂の一部は含まれていたようだ。心とも呼べない小さな欠片。
 欠片は腕を生やすように機能を補うように、それひとつだけでひとつの意識として息づき始める。勿論、ヒトのかたちをした生き物ひとりぶんの精緻さや大きさはしていない、小さな意識だ。
 記憶が遠く霞んでいることすら、自覚しているのかしていないのか、わからない程度の。
 それでも、気が遠くなるような退屈の中で、私はあの夏の日々を恋しいと感じていた。

 なんだか懐かしい匂いで、私の意識はにわかに目を覚ました。
 しかしその匂いもすぐに酸性の匂いに上書きされる。雑食動物であるところの人間の吐瀉物の香り。あんまり好きな香りではない。
 だから私はすぐにすべてを閉ざした。
 その後も何度も懐かしい匂いで目を覚ましては酸性の匂いで閉ざしてを繰り返す。繰り返す。
 ある時はもうひとつ懐かしい匂いがしたけれど、それでもやっぱり、何かを億劫に思う感覚でまた閉ざす。
 そしてもう何度も何度も繰り返した後、そのときはいつもより遠く感じる懐かしい匂いに起こされた。
 私は「今はケースの中にいるのだな」と気づいて、同時に「では今までは出されていたのか」と気づいた。
 不思議なもので、ケースの上を撫でているだけの匂いの主の温度が、何となくわかる。時間を掛けて向き合おうとしているのが、何となくわかる。
 それから少しずつ、私は懐かしい匂いの主にケースから出されることが増えた。酸性の匂いはもう、滅多にない。
 でも、それだけ。出されるだけで、私は何もせず、何もされずにケースに戻されて、微睡みから眠りに戻る。
 私は、私が今何なのか、よくわからなかった。

 ある日、懐かしい血の匂いで、私ははっきりと目を覚ました。
 私はやっと理解する。『ああ、私は道具になったのだ』と。
 そして同時に理解する。私の使い手が命を奪われようとしていることを。
 一瞬、いい気味だと思った。
 三波麗花をこんなに小さくした原因が使い手だと直感したからだ。その他に、心に疼く正体不明の何かも同時に『いい気味!』と訴える。
 だけど私の意識は使い手が私の名前を呼んだ声を拾う。拾ってしまう。
「三波……」
 だから私はほんの少しだけ、“ほんとうに”目を覚ます。
 夏の匂いを錯覚する。動き方を思い出す。“この臓器”の動かし方を、思い出す。
 この人が愛し守るのは生者だけだと知りながら、ものの想い方を思い出す。



 そんな顔しないで、富良くん。
 私たち、あんなにも一緒になって喰種を狩ったじゃない。
 私が喰種――同類の化け物共を売っている間。贄を要する儀式のように繰り返す間。
 だから、クインケ――道具になった私なら、もっと身近で戦ってもいいでしょう?
 クインケ以上の――幽霊めいた動きをしてる癖に説得力ないなって思うかもしれないけどさ。
 一度くらい、私に君を守らせてほしいな。
 だって内心はどうあれ、私たち、お友達だったでしょう?



「………………」
 俺はランタンを手にしたまま、立ち尽くしていた。
 先程の攻撃を受けて飛ばされたシュタイナーを拾いに行くことすら出来ない。
 一度は生きているような動きで俺に向いた攻撃を弾いて逆に相手を一突きしたランタンは、もう、うんともすんとも言わない。
 交戦中の喰種は腹に刺さったランタンを苛立たしげに握って、乱暴に引っこ抜くとそのまま大きく振りかぶって投げ飛ばす。
 硬直したようにランタンを握ったままでいた俺は、見事に吹き飛ばされる。脚が折れた。肋骨がひどく痛む。だけどランタンはもう何もしない。
 俺が操作しないから動かない。という因果関係に気がつくのに、時間を要した。
 俺は、ふっと三波麗花の笑顔を思い出した。
 そして手元のランタンを見る。ランタンは何も言わない。微笑まない。動かない。
 そこで初めて、俺はランタンが《クインケ――道具》であるように見えた。
 学んでいた通りの動かし方でランタンを振り回して、飛びかかってきた喰種に何とか当てる。
 ――――俺は、
 複雑かつあやふやな感慨に満たされて、クインケであるランタンに向けて口を利きそうになるが、口が上手く回らない。
 ――――三波、俺は……
 援軍の声が聞こえた辺りで、俺の意識は途切れた。

 掌編。恋愛の話ではないけれど。
 有馬も三波も富良のこと適正に侮っていたのだろうけど、その分気を許す余地があったのも富良だったのではないかと、そういうことは思っています。
 リゼの赫包の中に居たほんとうのリゼとお喋りする辺りを連載で読んでいた頃書いた。

 環境にもよりそうだけどふりがな見づらいので補足→喰種(同種の化け物共)、クインケ(道具)、クインケ以上の(幽霊めいた)  そとなみがやる無茶なような確かに意味はいっしょなようなふりがな実は好き。  この話のイメージ膨らます前のイラストはこちらこのSSのために描いたイラストはこちら

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