心中失敗

 目が覚めて「あれ、生きてる」と思った。
 枕元の時計には朝の九時の表示があり、五時間は寝落ちしていたことがわかる。
 隣を見ると、私より背の低い男が規則正しい寝息を立てている。
 育ちの良さが滲み出る、綺麗な仰向け。……服着てないけど。
 そう、よく考えたら二人とも全裸だ。布団の下にだって何も着てない。

 私と箕作さんは、前の晩を生き延びてしまったのだ。


  ◆  ◆


 私達はギンガさんに迷惑を掛けすぎたし、これからも迷惑をかけることが決まりすぎていた。
 だからこれ以上のことになる前に死のうと、私が箕作さんを誘った。
 箕作さんも最初は拒絶したけれど、どうやっても自分の思う通りにはいかない現実を直視したのか、最後には私の隣に着いてきた。
 心中だった。
 私と箕作さんをギンガさんの――隆文さんの前から排除するための。
 出来ればGPSストーカー女も排除したかったけど、残念ながら色々と無理だった。
 それは置いといて、私たちは死ぬために、経営難で潰れたばかりのラブホテルの一室まで来ていた。
「でもさー桔梗ちゃん…………はもういないのか。小夜ちゃんさ、これで却ってもっと隆文さんの迷惑になるってことも考えないワケ?」
「私達が存在し続けたときの方がギンガさんにもっと迷惑かける」
 そんなくだらない問答もしながら、淡々と荷物を整理し、二人分の刃物を確認する。曇りも欠けもない、大振りのナイフだ。
 私は絶対に箕作さんを仕留めるし、箕作さんもきっとちゃんと、私を仕留めてくれるだろう。
「俺最後にシャワー入りたいな」
「水もガスも止まってるから我慢しろ」
 柔らかいベッドの上に座って、二人とも刺殺の邪魔になりそうな固い上着は脱いでおく。
 私はスマホを確認しながら箕作さんに言う。
「さっきも予習したけど、鳩尾から刃を入れて上に、心臓目掛けて刺せば効率がいい。出遅れた方はそこ目掛けて刺す。いい?」
「で、先攻は即死しないとこ狙うんでしょ。出遅れるとつらいね」
 箕作さんは覇気をなくした喋り方だ。
 私はナイフを磨きながら、そっと箕作さんの方を伺う。
「…………方法変えたいの?」
 しかし箕作さんは急にミツクリさんの顔で笑う。
「まさか! 最後の喧嘩になるんだろ? 望むところだよくそおんな」
「……ならいい」
 対話ができないなら私もわざわざ対話してやりたくないので、もう取り合わないことにした。
 そして、私達は最期だったはずの揉み合いを始めた。
 リング代わりの柔らかいベッドの上で、足を取られながらも引っ付かみあう。
 けどそこは滑りやすくもあって、絡み合ったままベッドに転ぶ。幸い半端にナイフが刺さることはなかった。
 私はすぐに体勢を立て直すかそのままナイフを使うかを選び取ろうとするが、箕作さんは私のスカートの裾を踏んだまま、落としたナイフを拾うこともなく私の両腕を押さえる。
「……オイ、どうした」
 私が聞くと、うつむき加減の箕作さんが小さく何か呟く。
 箕作さんの手が震えていた。
 箕作さんはもう一度、今度ははっきりと言った。
「俺、死ぬの、怖いです」
「今更……ッ」
 私が言い返そうとすると、箕作さんは私の体をそのまま押し倒す。
「怖い……怖いんです……殺すのも死ぬのも怖い……」
 そして、何か言わなければと開いた私の唇を、箕作さん自身の唇で塞いだ。
「やめろッ」
 一秒にも満たない口づけのあと、私はそう叫びながら箕作さんの脚を全力で蹴っ飛ばして暴れる。
 でも箕作さんの方が少し力に勝るようで、振り払いきるのに時間がかかる。ナイフも揉み合ううちに弾かれて飛んでいってしまった。
「……いやだよ。こわい。いやだ」
 そうこうするうちに箕作さんはついに泣き出してしまった。
 人のファーストキスを発言を遮るためだけに奪ったのはそっちなのに、なんか釈然としない。
 けど暫くそのままでいると、ベッドに体育座りでべそをかく男を前に、私はなんだか悪いような気になってきた。
「……箕作」
 私はふかふかのベッドを足元に、場所選びに失敗したなと後悔する。固い床の廃道場とかなら、きっとこんな柔らかい気持ちになることもなかった。
 私は箕作をぎゅっと抱きしめた。
 自分自身を抱きしめていた箕作も、私に縋り付く。
「死ぬ前に、いいですか?」
 情けないことを言う箕作の顔を拝んでやると、それがあまりに子供みたいで、私もダメだと言う気をなくしてしまった。
 頬をべちゃべちゃ流れる涙の川を舐めてやって、それで、私達はもつれ合った。


 箕作は、汗とそれ以外の体液の匂いがする暗闇の中で、こんな話をした。
 私が『私達の大切な恋を玩具にしないで』と怒ったことを、ギンガさんから聞いたと。
 箕作はそれをどんな文脈で聞いたかも、どんな機会に聞けたかも言わなかった。
 そして私に長い、長いキスをして、内側から揺さぶりながら、苛立たしげに呟いた。
「小夜、お前なんか敵なのに……なのに、あたたかくて、気持ちよくて、もう、わけがわからなくなる」

 それから先は箕作らしい情緒不安定を発揮して「どうせ死ぬんだから中で出していい?」とか抜かしたり、そのあとから「もう死ぬのホントにやめない?」とか抜かしたりしてきて、朝方までもう支離滅裂な夜だった。


  ◆  ◆


 昨晩のやらかしはともかく今日は朝だ。
 朝から心中するというのも何だか気が萎える。
 私はそっとベッドを抜け出して一人で帰ろうとする。が、腕が腰に巻きついてきた。
「一人で帰るんですか?」
 声の主の箕作さんは完全に寝ぼけていて、声もかすれきっている。別の女と間違えているのかもしれないくらいだ。
「はい」
 私がつられて敬語で返すと
「……昨日の晩の責任とります」
 箕作さんはよくわからないことを言う。責任? 付き合うとか? それはない。お互い好きでもないのに付き合う理由はない。
 いや、それとも死ねなかった責任を取ってセッティングし直すというのだろうか。なら聞く価値はある。
 私が思い直して箕作さんの方を見ると、思いのほかしっかり起きてる顔でそいつは言う。
「病院、行くでしょ。デキてたらやだし。ならせめてお金くらいは俺出すから」
「…………病院」
 それもそうだった。近いうちに死ぬ寸法でばかりいたから、万一延期延期になったときのさらに万が一ことを考えていなかった。
「……え、もしかして……そのときは産むつもり?」
 私の変な沈黙を誤読した箕作さんが妙なことを言い出すので私は総毛立つ。
「なわけないだろお前の子なんか。数日の間に仕切り直そうと思ってただけだ」
「でも俺、やっぱ死ぬのは怖い」
 箕作さんは私から手を離さない。服を着させてくれ。
「そ。なら私は先に死ぬから」
 つれなく伝えて私が腕からすり抜けると、ベッドに残された箕作さんは、私の目を見て言う。
「俺は小夜さんが死ぬのもやっぱ怖いと思ったの」
「うるさい」
 私は黙らせたくてピシャリと言った。
 私だって別に好き好んで死にたいわけじゃない。ただギンガさんの前から完全に自分を消すにはそうするしかないだけだ。
 けど、箕作さんは怯まない。
「君がいなくなったら誰も俺を止められないのわかってんのか!」
「情けない内容で凄むな! 自分で始末つけろ!」
「行くなっつってんだろ!」
 箕作さんは体を伸ばして私の腕をひっつかみ、無理やりベッドに引き戻す。
 やや足腰の立たない私は箕作さんの上に転ぶ。そして姿勢が整わないまま背中に腕を回されて身動きが取れなくなった。
「話を聞いて。頼むから」
「…………」
 私は、こいつに絆されやすいんだろうな。そんなことを思う。
 聞いてと言った箕作さんが黙るから、二人とも暫く息しかしてない。
 だけど、鼓動と体温が伝わって、これは生きている間だけのことなのだと思い知らされた。
「……何がしたいんだ、お前は」
「それを今考えてる」
 私の問いに、箕作さんは平坦な声で言う。
 そろそろ姿勢が苦しいので私は箕作さんの腕を引き剥がして、手だけ繋いで横に寝そべる。
 まったくドキドキしないな、なんて今更なことを思った。
 でも、手だ。箕作さんの手。指。骨。皮膚。生き物の温かさ。これを奪う方法しか思いつかないことは、不思議と少し悲しく思えた。
「君はすごく簡単に、当たり前のように自分を擲つけど、フツーそうはできないし、フツーは身近な奴がそうしたら嫌なんだ」
 箕作さんが、こっちを見ているのか見ていないか判然としない細い目つきのまま、ぽつりぽつりと話す。
「銀河鉄道に出てくる蠍は、自分の身を百ぺん焼けと、言ったようだけど。それは美しいそうだけど……お前がそういう自分を選ぶのは、ムカつく」
「? 何言ってんだお前」
 話が見えない。銀河鉄道? ギンガさん繋がりか? 以前のように煙に巻くために遠回りしているわけでもなさそうで、私は純粋に首を傾げる。
 箕作さんはたっぷり十秒は悩んで、ちょっと嫌そうに切り出した。
「だから、こうしない?」
 そのあとに続いた言葉のせいで、私は箕作さんと二人、連れ立って病院に行くことになった。

  ◆  ◆


 そして、
「今日のリビング写真当番俺だろ!? なんで勝手に決められてんだよ」
「お前が寝坊するのが悪い。それにこっちのギンガさんの方が今日の天候に合ってる」
 私達はお互いの監視者として一緒に暮らしている。
 住んでいる土地からして離れていたから、ここに落ち着くまでにも紆余曲折はあったけど、なんだかんだ上手くやってしまっている。
 あの晩以降は、寝たことも、死のうとしたこともない。
 恋を捨てられない私たちは、また恋がはみ出さないように、お互いの手足を押さえつけながら静かに暮らしている。

※むしろ失敗したのはいえなの方です

小夜はこんなに弱くないし箕作はこんなに殊勝じゃないよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
正直例の失恋回のあともぴくしぶとかから消さないだけでも褒められたい(二次創作はそのときの解釈が保存された方が後で読み漁るときに嬉しいため)やつだけど一応記録として……。
これの次に書いたやつの方がずっとキャラつかめてます。R-18なのでサイトにはのっけれないが。

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