雪合戦をする話 -As long as human being,-

 地上には雪が積もっていた。
 雪化粧と呼んでしまうと厚化粧すぎるほどの雪だ。近辺の倒壊してぺしゃんこになった建物など、見えもしない。
 見えるのはただ、倒れずに立っている木々だけ。
 まちの遺骸はすべて覆われ、最初から人など一人もいなかったかのようだ。
 空は水色に澄み渡り、その白さを照らす。
 その風景は、失った生活への哀惜を差し引いても余りあるほど、美しかった。
 ぼくたちは今からそれを、汚しに行く。



 星命教は、街頭演説なんかしていたのが嘘のように『去る者追わず』の団体だ。
“来ぬ者”を振り落とす代わりに来る者拒まずを続けていた成果で人が増えて、中層部以下の人々が不安を隠し切れずにいることとも関係はあるのだろう。上層部の余裕ある対応がシェルターのキャパシティの大きさ故なのか、それとも中層部以下をいつでも切り捨てられるからなのか、ぼくらにはわからないのだ。
 だからぼくのような未成年でも、志願さえすれば兵隊になれる。
 国が用意する兵力とは違い、ぼくたちは色々な人の寄せ集まりだった。信仰故に表に立つ者、金銭や立場の保障のために立ち上がる者が主で、後者はあまり恵まれていない者が多い。ぼくは所謂裕福層の人間ではあるけれど、どちらかといえば後者だった。
 父と義母《はは》の間に生まれる予定の弟か妹のために、ぼくが出来る唯一がこれなのだった。
 寄せ集めであるぼくたちは基本的に歩兵にあたり、責任はそれほど重くならない代わりに肉体と精神を酷使することとなった。一通りの訓練を積んで地上に出て、探索に日々を費やし、時々民間人を捕まえて地下へ案内し、本当に時々、人を殺した。
 未だ以てぼく自身の手を汚したことはなかったが、ぼくを含む組織の働きによって人が殺されたのは事実だ。だからぼくの心には『人を殺した』という感覚が強くこびりついていた。
「まあでも、死ぬよりいいだろ。16bit所持のレジスタンスはおっかねーらしいぜ」
 そう言ってぼくの弱気に歯を見せたのは、同い年で同期の少年兵だ。彼が志願兵となったのは星命教への信仰心故ではなく、また金銭や立場の為でもなかった。
 彼は強いていえば、空を信仰していた。
 冗談めかして「だってアマテラスいい女じゃん?」と言っていたことがあるけど、あながち冗談と思えない何かがあった。星命教への信仰心と金銭への執着を嘯き、自らの考え方に反してまで地上へ向かう軍に参加する彼は、一歩進み方が違っていれば敵対勢力にいたのかもしれなかった。
「16bitって、未だに何か、信じ難いんだよね、実は」
 先程の彼の言葉に、ぼくは引き続きひそひそ声で返す。
 食堂での無駄口くらいは咎められることもないのだが、星命教への背信と思われそうな発言は流石に堂々とはできない。
 そんなぼくの様子に、彼は少し意地悪そうに笑って、貴重な肉類を口へ運ぶ。
「まあ、オレらにゃまだ噂程度だよなぁ。一番おっかねー能力者が美女だっつー話も、正直出来すぎっつーかなんつーか」
「絶世の、じゃなかったっけ?」
 噛んでいた鯖を飲み込んでぼくが言うと、彼は声をひそめるのをやめて笑い声を立てる。
「盛られすぎだろっ。どうするよ、最期に見る顔がとんでもない醜女だったら。辛すぎだろ」
 醜女って。
 相変わらず全体的に変なやつな上に言葉選びも独特だ。けれど、そんな奴だからこそ、信仰もなく育ちもおぼっちゃんで隊から浮きがちなぼくと仲良くしてくれているのかもしれなかった。
「こら」
 近くに来ていた班長が、ぼくらの子供じみた盛り上がりを軽く咎める。
 二十代中盤で、背が高く、目つきが鋭く、でもすこし童顔の班長は『敬虔な信者』というやつだ。班長くらいの役職には、そういう人がなる。もっと上は権力がある人か、国の方から寄越された人材が配置されている。
「滅多なことを言うんじゃない」
 班長は拳骨の代わりにぼくたちの頭に一度ずつ手を置いて食堂から出ていく。恐らく明日以降のことを確認するために、会議室へと向かうのだろう。
「……どこから聞こえてたかな」
 ぼくが不安になって訊ねると、横に座る彼は大雑把に頷いた。
「最後だけじゃね。大丈夫だよ、あの人はそんなことじゃ怒んねえから」
 良くも悪くも鷹揚な反応だ。
 ぼくは彼と違い、後ろめたさに心臓をちくちく刺されていた。
 班長は、いい人だ。ぼくたち年少の兵に対しては特に優しい。この短い間だけでも恩が山ほどある。星命教の言い分に反する意見を言っているのは、班長には聞かれたくなかった。
 星命教への信仰を理解できないなりに、ぼくは班長に憧れているのだ。彼のような大人になりたいし、彼をがっかりさせたくはない。
 その感情は、父に対する感情に近い。理解できないなりに、という部分も含めてだ。
 父はぼくの母を――妻を失ったことを受け入れる過程で星命教に入れ込み始めた。
『星を理解せよ』だけ聞かされると完全に典型的なアレな新興宗教である星命教は実際はもうすこし狡猾だ。『星』にとって人が増えすぎてしまったことを理由にして「人類にとって素晴らしい人ほど選ばれて死んでしまう」「そもそも生まれて来れない運命を辿る」と、人の心の隙間に入り込んだのだ。
 新しい命も否定されている訳じゃない。ただ、お布施やそれに準ずる……例えば家族の兵役等の働きがなければ、《すこしばかり》肩身が狭くなる。
 そういう意味では、ぼくは星命教はくそったれだと思う。自分と家族の命を救われておいて言う台詞ではない気がするから、口にしたことはないけれど。
 ぼくが動けばそれでいいのだと、割り切ってきたのだけど。
 物思いを挟みつつ食事を終えると、ぼくたちは消灯時間すら待たずに眠りにつく。ゆっくり眠ることができるのは地下にいる今のうちだけだからだ。
 明日からはまた地上に戻り、まだ残っている人々を探して進軍して行くことになる。
 ぼくたちは四から五人の班を四つ纏めた、救護班含む歩兵小隊を基本に動いていた。星命教経由の志願兵ばかりを集めた小隊で、例外は小隊長くらいだ。
 装備は主に大小の銃で、戦闘に参加するときは戦車等の大きな装備を持つ部隊と合流する。
 普段はくまなく調査・偵察を行うために(もしかしたら、物自体を惜しまれているのかもしれないけれど)、ぼくたちは徒歩で移動する。勿論荷物もそれほど沢山持てないから、地下や地上にある拠点を離れていられるのは一週間程が限度だ。
 ぼくたちの小隊だけでレジスタンスと交戦したことはまだない。16bit能力非所持のレジスタンスであっても、装備によってはぼくたちは圧倒される。応援を呼んでも来るまで戦って生きていられるかわからない。機械の悪戯を警戒しているせいで空路の一切が使えず、応援の到着もさぞ遅いことだろう。
 運が悪ければ使い捨てられる。ぼくたちは、その程度の存在だった。



 翌日、ぼくたちは当初と予定と違った装備で地上へと向かうことになった。
 いつものように、父と義母《はは》と弟か妹(そろそろ生まれているだろうか)の三人に宛てた遺言書を預けて、ぼくは隊につく。
 地上には、雪が積もっていた。



「処女雪!」
 例の彼が早速浮気して雪に大の字ダイブをかましていたお陰で、ぼくは少し冷静になった。
 危ない、危ない。あまりの美しさに圧倒され、足を踏み出せなくなりかけていた。
「あ、転んだだけです!」
 ヘルメットまで落とした彼が勢いよく元気に言い訳をして、班長に拳骨を貰っている。小隊長は舌打ちをしているけど、全体的に隊の空気が和んだので不問にしてもらえそうだ。
 そうして改めて雪景色を見遣ると、今度は楽しい気分が沸いてくる。何せ、積もった雪を見るのは小四の頃の大雪以来……大体五年ぶりだ。
 はたと周りの顔を見回せば、ぼくや彼のように一瞬でも楽しい気分になってしまったのは隊の五分の一以下のようだ。殆どの人たちは、雪の中を進む危険や大変さを思っているのか、表情を固くしている。
 そんなぼくたちの表情はすべて、半時もしないうちに険しいものとなった。
 いつもより体力を削られ、体温も奪われ、ときに雪による天然の落とし穴に落ちて、進軍は困難を極めている。
「なんで雪解け待たねえんだ……」
「一日でも早く一人でも多く、民間人の保護を……って、配属初日に言われたろ……」
 ハイとローの変わり身が早い彼に言い返したはいいものの、ぼくも『なんで』と思ってしまっている。正直、キツい。
 幸い天気はずっと穏やかで、元々雪が珍しいくらいのこの地域では気温も雪国ほどひどくはなっていない。
 瓦礫のせいでできた隙間に落ちることは恐ろしいものの、山間部でもないため、急な天候の変化もなさそうだ。
 とはいえ道中は悪路で、調査のために班ごとに周辺を見て回ることもなかなかに困難だった。
 ぼくたちは予定の半分も消化しきれずに雪上キャンプを立てて、野営に入る。
 獣避けの火の番を兼ねた見張りの二、三人のチームに、ぼくは丁度、例の彼と班長と共に振り分けられている。
 前のチームの人に叩き起されたばかりで寝惚けていた頭は、テントの外に出てそよ風に撫でられただけで、一瞬で覚めた。
 火の側に座って暫くしてから、やっとすこしだけ眠くなるくらいだ。
「そういえば、班長って前は何してたんですか?」
 沈黙を破って、彼が急にそんなことを言い出した。
 確かに、ぼくたちは間違いなく学校に通っていたけれど、班長は前に何をしていたのかわからない年齢だ。いきなりそこから会話に入るのはちょっとぼくにはよくわからないけど。
 班長は苦笑しながら、遠い目をしてゆっくり口を開く。
「塾講師だったよ。勉強と子供が好きだったし、教師になるほど金もなかったから。アルバイトから始めてそのまま就職した」
「勉強が、好き。ですか?」
 思わず問うてしまう。学校の勉強は大抵の若者に嫌われているし、かく言うぼくも、嫌ってはいなかったが好きだと思ったこともなかった。
「……というよりは、真面目にコツコツ何かをするのが好きなだけだったんだろうな。考えることが好きなやつにはいつも負けてたよ」
「へぇ……そうだったんですね」
 彼は相槌を打つが、ぼくは考えに沈む。
 今の扱いの悪さに甘んじることにまで、班長は真面目であろうとしているのだろうか。もしそうだとしたら、何だか切ない。
 ややあって、班長はぼくらの目を見て言う。
「……お前たちに俺がどう見えているかはわからんがな、俺はもしものときは、お前たちくらいは逃げてもいいと思っているんだ。例の美人に遭ったときもな」
 後半の冗談めかした部分で、ぼくはかあっと頬を赤くする。やはり昨晩の会話はかなり聞かれていたようだ。
「班長は逃げないんですか」
 対して彼はずけずけと物を言う。全く気にしていない。
 班長は胸ポケットをごそごそ漁って、ひと目で手作りだとわかるお守りをちらりと見せて笑う。
「お守りがあるから平気だよ」
「星命教にそういうの、ありました……?」
 彼が彼なりに控え目に指摘する。
「いや、違うよ。そもそも星命教は意外と古くからの信仰を否定してない。それくらいは知識として知ってるだろう?」
 困った生徒でも見るような優しい目で、班長は言う。
「そういえば、そうですね」
 確かに、ぼくの父も星命教の教典と一緒にぼくを産んだ母の位牌を大切に保管していた。
「昔から使われてる弾除けのお守りだよ。まあ、若干効果は薄いだろうけどな」
 珍しく、なんというか……えぇと、ちょっとバカっぽい笑い方をする班長に、彼もニヤーっと笑い返す。
「彼女か何かですか?」
「まあな」
 さっぱりわからない様子のぼくに、彼がそっと耳打ちをした。
 ……な、なるほど。



 雪中での行軍は、三日でぼくたちを完全に疲弊させた。
 特に二日目は本当に酷かった。溶けて固まり、また少し溶けて重くなった雪が、ありとあらゆる形でぼくたちを阻んだのだ。
 怪我人も何人も出た。同じ班のお酒の話が好きな方の先輩は表面だけが凍った雪の上で五メートル以上滑り、滑った先で足をざっくり切ってしまい、今は救護班と行動している。
 途中で本部や他の拠点と連絡を取り、積雪量が少なかった地域へと進行方向を変えなければ、ぼくたちは容易く遭難していただろう。



 四日目。今日は朝から雨が降っていた。冷たい水は直接的にぼくたちの体を冷やし、ダメージを与えていく。まるでナイフか何かが降ってきているようだ。
「あと五キロだ! 次の拠点ではゆっくり休んでいい! 酒でも肉でも私が掛け合ってやる! もう少し頑張るんだぞ!」
 普段ムスッとしているのが仕事のような(実際仕事でもあるのだろう)小隊長が懸命にぼくたちを励ましている。
「……っあ」
 足を滑らせても、ぼくは咄嗟に受け身も取れない。ぼくの代わりに体を支えてくれたのは班長だった。
「大丈夫か」
「はい、はい。今、転ばなかったので」
 朦朧と受け答えをして、また進む。
 もう、例の彼すら軽口を叩かない。上官たちと衛生兵の人たちの指示や励ましの言葉だけが、雨音の中で張り上がる。
 果たして、目指した拠点は…………廃墟だった。
 人は勿論いないし、建物も激しい交戦から破壊されて、今にも崩れそうな状態になっていた。唯一の救いは、この辺りまで来ると雪がほぼ溶けて、地面が見えていたことだろうか。
 小隊長が、通信機器に向けて怒鳴りつける声が遠くに聞こえる。
 随分前に放棄された拠点と目指した拠点は紛らわしい場所にあり、拠点の名称も受け継いでいて、小隊長の持つ地図も古くて……とか、そんな理由が朧気に読み取れる。
 主に精神的に限界に近かったぼくたちは早い時間からキャンプを建て、特に疲弊している者から休むこととなった。
 激しい雨は夜になるとそのまま雪になり、ぼくたちに襲い掛かった。テントの倒壊を防ぐために定期的に内側から叩いて雪下ろしをしなければならず、ろくに眠れない夜を明かした。



「おい、おい、起きろよ」
 朝、いつの間にか眠っていたぼくを起こしたのは、例の彼だった。
「なんだよ……」
「いいから来いって」
 もう少しでいいから寝たいぼくを無理に引っ張って、彼はテントから外に出る。
 いつの間にか、空は綺麗に晴れていた。彼が浮足立っているのはそのせいだろうか。
 彼は見張りを続ける二人とも笑みを交わしてテントを離れる。今見張りに立っているのは射撃が上手い青年と、衛生兵の中年。どちらも、『お坊ちゃん』なぼくを敬遠している人たちで、あまり話したことはない。
 ぼくは色んなことに戸惑いながら、彼の背を追う。
 彼は一晩で脛まで積もった粉雪をものともしない足取りでずんずん進んで、廃墟の欠片の影に隠れるように張り着いた。
 後から着いて行ったぼくも、一応彼に倣って張り着いてみる。
「見ろよ、あれ」
 ぼくたちの身長ほどもある廃墟の欠片の向こう、彼の指さす方を見ると、そこには何匹かのうさぎがいた。
「かわいいだろ。うさぎだぞ、うさぎ」
「……うん…………うんっ」
 近づいたら逃げそうだけど、うさぎたちはぼくらの足音や声で逃げる様子はない。きっとまだ子供なのであろう、小さい個体も混じっている。
 とても久しぶりに見るうさぎという生き物は、ふくふくした毛を持ち、柔らかく温かそうで、とても……とてもかわいかった。
 つい、感動してしまうほどに。
「何、泣いてるんだよ」
「泣いてないだろ」
 彼にからかわれて、ぼくは反射的に嘘をつく。熱い涙は頬ですぐに冷えきって、放っておいたら凍りつきそうだ。
 うさぎたちはすぐにどこかへ行ってしまったけど、その姿は疲れきっていたぼくたちの心を和ませるには充分だった。
 そしてその後、テントの近くまで跳ねるように戻ったとき。彼は、ぼくに雪玉を投げてきた。
「な、何すんだよ!」
 ぼくが文句を言うと、彼は大笑いする。
 何かが、切れた。
「あははははっ!」
 ぼくは可笑しくなって、彼に雪玉を投げ返す。
「何してんだお前らー」
 見張りに立っていたうちの一人が、文句を言いながらも笑う。もう一人も笑っていた。
 ぼくたちが遊んでいて騒がしかったからだろうか、中で寝ていた人たちも次々に起きてきた。
 そして、怪我のない人たちのほとんどが参戦してきた。
 止めようとする人もなく、皆バカみたいに狙いの定まらない雪玉を投げつけ合う。
 皆もう、限界だったのだ。
 大自然に嬲られ、頼みの拠点はスカで、精神も肉体もボロボロで。
 その上遭遇しもしないレジスタンスに警戒し続けて。
 そもそも人間が遭いもしない危険に延々警戒し続けるなんて土台無理な話なのだ。
 普通に生活していた頃だってそうだった。長らく天災に見舞われていない地域で、防災グッズを取り揃え続けていた家庭が何割あったことだろう。
 こんなに疲弊してまで警戒を続けるなんて、そんなの、無理だ。しかもぼくたちの殆どは、訓練もそこそこの志願兵なのだ。
 もうどうにでもなれと思った。
 そして同時に、ぼくは明日のぼくたちを想像していた。
『昨日はどうかしてた』『昨日レジスタンスに遭遇していたら死んでたかもしれない』『バカなことをした』
 そんな風にきっと思う。きっと危険でバカで、ヒヤッとする、でも笑える過去になるのだ。
 けれど廃墟の欠片の影に隠れて雪玉を作っていたぼくが不審な静けさに顔を出すと……………………仲間たちが、倒れていた。
 ……えっ?
 銃声もなく、ただ笑い声が断ち切られて、撃たれたような傷を伴ってそこに転がっている。
 呆然としながら、もう一度廃墟の欠片に身を隠す。
 いや、いや、嘘だろう。これは流石に、嘘だろう。
 何分ほど隠れて固まっていただろう。何分ほど無意味に雪うさぎなんか作っていただろう。もう一度向こう側を覗くと、やっぱり仲間たちは皆倒れていた。
 縺れる足で近くにいた班長に駆け寄り、肩を揺らす。
「は、班長、どうしたんですか?」
「………………」
 班長は何も言わない。
 変だ。班長は肌身離さず、弾除けのお守りを持っているはずなのに。『あいつの下の毛が入ったものなんて、なくして誰かに拾われたら帰還しても殺される』って、言っていたのに。
 ぼくはすぐ近くに倒れていた彼の脚を揺さぶる。
「おい、ふざけるなって」
「………………」
 彼も何も言わない。というか、口だった箇所が判別できない。流れ出る血だけが雄弁に、雪の上に命の色を印していく。
 目の前の現実を、受け止めることが出来ない。
「あらら」
 呆然としていたぼくの耳に、普段聞いていたより高い音域の声が飛び込んできた。
 顔を上げると、見慣れない女の人がテントから出てきているところだった。
 すらっとしたシルエットで、ロングコートを着ていて、肩までの髪がすこし跳ねていて、鼻筋が通っていて、ゴーグルを上げて出てきた目は大きめで……ちょっと見るだけだと、ただのやんちゃそうで綺麗なお姉さんだった。
 けれど、ぼくはすぐに、この人が『一番おっかない能力者』だと気がついた。美人だったし、何よりその視線が、同情を含みながらも、同時にどこまでも冷たかったからだ。
 ぼくは何故か逃げ出さずに、彼の脚をまた揺さぶる。湧き出る思考も、彼への語りかけばかりだ。
 おい、確かにちょっとかわいかったぞ。何でお前が敵を見る前に死んで、ぼくの方が生きてるんだよ。お前の方が身を隠すのも、走るのも、上手かったはずだろ?
「なあ、なあ……っ」
 彼に声を掛け続けているぼくの視線の先で、女の人が銃口をこちらに向ける。
 その腕が上がり、指が撃鉄も起こさずに引き金を引くまでの時間が、異常にゆっくり感じられる。
 ぼくは、母さんの泣き顔を思い出した。
 ぼくは昔から、女の人が悲しい顔をしているのがほんとうにだめで。
 母さんが泣くときはいつも、必死になって笑わせようとした。
 今思えば泣きたいときだってあったはずなんだけど、ぼくはどうしてもそういうことを考えられない性格のようだった。
 次に、父さんに妊娠を報告するときの義母《かあ》さんの白い顔を思い出す。
 あの人はぼくが志願兵として家族の元を離れるときに、父さんと一緒に沢山泣いてくれた。
 ああ、そういえば彼は自分の母親との思い出をひとつしか覚えてないと言っていたな。晴れた午後のことだって。もしかして、アマテラスってそういうことだったのかな。
 そこでぼくの思考はふいに記憶を抜け出して、目の前の女の人に焦点が合う。
 冷酷に、射撃場の的でも見るかのような冷静に細められた目と、目が合う。
 何故だか、泣いているように見えた。
 自分でも理由はわからないけれど、最後に見る女の人がそんな風では、嫌だと思った。
 ぼくはほとんど無意識に、震える唇を小さく動かした。
「笑って」



「おやすみ少年兵」
 最後に心臓を撃ち抜いた少年兵のまぶたを下ろしてやると、まるでただ眠っているかのような安らかな顔になった。
 全員のまぶたを下ろしてやるような余裕はないけど、これくらいはしてやってもいい気がしたのだ。
「…………なんだったんだろ」
 独り言を零す。死ぬ間際、この子は私に何を言ったんだろう。敵意も悪意も全く感じられなかったし、命乞いでもなかった気がするのだ。
 というか、何でこいつら呑気に雪合戦なんかしていたんだろう。何かあったんだろうか。
「……いや、うん、駄目だ。駄目」
 私は自分の考えを振り落とすように頭を振る。忘れてしまわなければ駄目だ。仲間を守るためには、相手の気持ちなんて考えていられない。早いところ仲間を呼びに行って、食料とか防寒具とか、色々、利用させて貰わないと。
 立ち上がった私は、他に隠れている奴がいないか建物の内外をぐるっと一回りし、最後に廃墟の大きな破片の裏もチェックする。
「……あらかわいい」
 雪玉と一緒に、一匹の雪うさぎがちんまり座って、小石で出来た目でこちらを見上げていた。葉がなかったのか、耳まで真っ白に、雪で表現されている。
「よしよし、お前は連れて帰ろうか」
 かわいらしいのは悪いことじゃないだろう、多分。周囲の敵も、一掃したし。
 私は片手が塞がっても銃を扱えることを確認し直すと、雪うさぎを小脇に抱えて、近くに隠れている仲間の元へと歩き出す。
 腕の中の雪うさぎを見下ろすと、久しぶりに自然と頬が綻んだ。

シリーズ的に『女』ネタが多い気がしますが、本編に物足りなさを覚えた要素を補間する意味の二次創作でもあるので、多分これで合ってる。多分。

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