これは……まぁ、なんだ、よくある話というやつだ。
俺と彼女が星命教という新興宗教の教えを正しいと思おうとしてゆく、胸糞悪くもこの星の上では有り触れた、つまらない話だ。
彼女とは同じ学習塾に通っていた。
俺が彼女をはっきりと認識したのは、最近入塾してきた彼女が俺と同じ上級クラスに上がってきた、小五の冬だった。
俺が定位置にしていた席の隣……つまり教卓正面三番目やや左に陣取った彼女の第一印象は、「なんだこいつ」だった。
ノートをほとんど取らずに絵を描いていると思ったら突然手を挙げて的を射た質問をしだすし、授業を聞かずにケータイを弄っていたかと思いきや俺に画面を見せて筆談で『さっき先生が言ってた肖像画これだって(笑)』と話しかけて来るし……。
彼女は勉強はしているけど全然真面目じゃなくて、何よりとても落ち着きがない少女だった。
真面目一辺倒な勉強の仕方しか知らなかった俺には、あまりに理解し難い人種だった。
そして、同じクラスになって一回目のテストで、俺は彼女を強く意識するようになった。意識といっても甘酸っぱいアレではない。強烈なライバル意識の方だ。
そのとき、俺は小三の夏以来初めて、同塾生に成績を抜かれた。
元より全国で見ればそこまですごい成績を取っていたわけではないが、それでも、この塾という小さな箱でくらいは一番を取れるのだということは、ちっぽけな俺にとっては大きなことだった。
だから俺の「なんだこいつ」は「なにくそ負けるかこいつ」になり、夏休みには心配した親に「遊びに出掛けろ」と問答無用で蹴り出されるくらいには勉強に励んでいた。
一応、たまに友達と遊びに出掛けたりもしていたのだが……今思えば、当時の俺はちょっと鬼気迫りすぎていたのだろう。
そうして、遊ぶ約束をした友達もいないのに蹴り出された俺がふらりと立ち寄った公園に、彼女はいた。
日焼けのしすぎで、肌が黒くなるどころか髪も少々あかくなっていた彼女は俺の顔を見ると迷わず駆け寄ってきて、突然こう言った。
「花火大会! 今日やるんだって。一緒に行こう!」
結局、その夏休み、俺は彼女と共に行ける範囲のすべての花火大会に行った。
彼女の自由研究は『花火の打ち上げ地点と観測地点の大体の距離、花火の光が届いてから音が届くまでの時間から、その花火が上がった大まかな高さを計算する』で、俺の自由研究は『花火の写真を撮り、火の色から推測できる材料の物質を調べて解説する』だった。
最初はお互い興味の方向が違いすぎて、話しかけられては鬱陶しく、話しかけては期待通りの反応が返らずに不機嫌になりとすれ違っていた俺たちだった。しかしなんだかんだと言いつつも何度も一緒に出掛けて、段々と噛み合わせることができる点が増えていった。
堅実な計画は俺の仕事で、臨機応変な対応は彼女の仕事。小学生なりに最高学年まで成長したのだと胸を張れるくらいには、俺たちはそれぞれの役割をこなして、お互いの目的を果たしていった。
その夏最後の花火大会は、ペンもノートも持たずに出掛けた。ずっと動きやすい格好で通してきた俺たちは示し合わせて浴衣でめかし込み、夜店で美味しくもない美味しいものを買い、ゲームに通じる紐が存在しないであろうクジでゲームを当てようとムキになって……ごく普通に、人混みの中から花火を見上げた。
「ねぇねぇ、私たちってちょっと似てて全然違うじゃんね?」
突然手を握ってきたかと思えばこれまた突然そんなことを確認してきた彼女に動揺して、俺は何も言い返せなかった。ただただ、彼女の手を振り払いたい羞恥と戦うので手一杯だった。
そんな俺に向けて、彼女はマイペースに話を進めた。
「結婚したら面白そうだよね!」
その日から俺たちは付き合い始めた…………なんてことは一切なく。意識しすぎてギクシャクしながらも、俺と彼女は関係性に名前のない、『仲良し』だった。
勉強の成績はいつも近かったが、数字上の勝ち負けで俺が負けた回数は、最初の何回かに留まった。
しかし俺は彼女の方が勉強の本質には肉薄していると感じていた。
俺は勉強のことは、したらしただけ身になり、反復した分だけ定着し……という部分が好きなだけだった。真面目に報いが保障されているのがよかっただけなのだ。
俺は『クラムボン』について模範的な解説しかできなかったが、彼女は作者の表現にもっと踏み込んで考えた。
彼女は何よりも考えることが好きだった。いつも何かの先や仕組みについて考え続けていた。わかってもわからなくても、とても楽しそうに。
そんな彼女の『一番の仲良し』でいることを誇りに思いつつも、俺はいつも激しい嫉妬を抱いていた。
しかしそれはお互い様のようで、俺はよく彼女に軽くじゃれる程度の蹴りを食らっていた。クラムボンの件も、「私は私でそういう万人にわかりやすくて簡潔な説明絶対無理だからね」と頬を膨らませていた。
小さく攻撃し合いながらも、俺たちはかなりの時間を一緒に過ごした。俺の家の経済事情が変わって塾に通わなくなっても、選んだ高校が離れていても、時間を作っては会っていた。
そうしていれば、遊びや雑談の中でも自然と役割分担が出来る。手広くそしてなるべく深く知識を得ておくのは俺の仕事で、知識をベースに組み立てて試して考えて作り上げていくのは彼女の仕事。とはいえ補い合っていても、ないものねだりが尽きることはなかった。
当時、思春期真っ盛りの俺はまだ見ぬ彼女の胸やら何やらにもかなり心惹かれていたが、それすら平気で上回るほど、彼女の頭蓋の中身が欲しくて欲しくてたまらなかった。
そしてそれは、二人揃って志望大学の志望学部に受かって未成年飲酒など嗜んだ日の夜、アルコールの味のついでに一線を越えることの味も覚えてもまだまだ同じだった。
ただ、欲しがるばかりでもなかった。
俺はその夜もいつものように、常温下のアイスクリームのように甘ったるく溶け出しそうな顔を声を暗闇の中に捉える。今、彼女の脳でオキシトシンとセロトニンが多量に分泌されていて、海馬のニューロンの数も増加しているのだろう。それを思うと、与える喜びとか交感の歓びとか、そんなもの以前に単純に興奮した。
俺が大学を卒業して彼女が大学院に進んだ年、俺たちは当たり前のように結婚した。お互い、二十歳以降はほぼ放任のスタンスを取る両親を持ったお陰もあって、話がトントン拍子に進んだのだ。
俺が、大学一年生の頃からアルバイトをしていた学習塾(かつて自分たちが通っていた塾だ)に就職出来ていたのも大きい。
数年後俺たちは、またこれも当たり前のように子供を望んだ。運良く、生活が軌道に乗ってすぐの頃に彼女は妊娠した。つわりは辛そうで、俺もサポートのための仕事の調整には苦心したが、そんなことにすら心が弾んだ。
どこがどれだけどちらに似るだろうか。或いは、隔世遺伝もあることだし全く違う要素を持って生まれてくるだろうか。どんな子でも、生まれて育ってくれるのならそれだけで、何でも構わなかった。
浮かれていた俺は、駅前で騒いでいた団体の『人が増えすぎてこの星が危ない』なんていう主張も、内心での反論すらせず毎日素通りしていた。邪魔とすら思わなかった。
「先生、またニヤけてる」
「おぅ、すまん」
塾の生徒に指摘されて謝った回数も実は多すぎてわからなかった。
ただ、あまりに浮かれすぎて生徒たちに迷惑を掛けるわけにはいかない。可愛くねえ! と思うことは多々あれど、可愛い生徒たちだった。
俺は昔から勉強と子供が好きだった。だから、塾に就職出来たのは、本当によかったと思っていた。実は教師の道も考えたのだが、実家への遠慮や奨学金のリスクへの不安など、色々と考えてそちらはあっさり、諦めがついていた。教師になっていたら、自分が今受け持っている生徒を見てはいないのだし。
妥協は端々にあったが、俺は長いこと幸せの絶頂にいた。あのときまでは。
彼女は妊娠六ヶ月のある日、駅の階段で足を滑らせて大怪我をし、そして……。そして、お腹にいた子供は亡くなってしまった。
それから不幸は続く。流れてしまった子供は自然に外に出てくることはなく、内膜掻爬という手術が行われた。その際の事故で、彼女は子供を産むのが非常に難しい状態になってしまったのだ。
俺は泣きじゃくる彼女に寄り添って、悲しみを分かち合うことくらいしかできなかった。
亡くしたことの悲しみが一段落する頃、彼女は言った。
「私、あなたの子供を諦めたくない」
俺は確かこんな風に返したはずだ。
「俺も二人の子供はほしい。一緒に方法を探そう。それでだめでも、ずっと一緒だ」
彼女は、黙っていた。
その後の検査で、俺の精子は非常に数が少ないということも発覚した。女性の側が健康体でも、すんなり子供が出来たのは奇跡だったと。医師はそのことを根拠に「あなたたちは“持ってる”から、また奇跡もあり得る」と元気づけてくれたが、彼女はその“奇跡”をとりこぼしたことに、より一層傷ついた。
「別れよう」と何度も言われた。「別れてください」と頭を下げられた。「別れたらまた誰かと結婚できるかもしれないでしょ」と縋りつかれた。
彼女は“自分の子供”は諦められても、“俺の子供”を諦めきれなかった。
俺たちは手の届くありとあらゆる手段を使ったが、結果は、芳しくなかった。
生活は張り詰め、以前は純粋に愛で合えたはずのセックスも……いやそれどころか、ソファでじゃれるだけの行為にも、互いに身構えるようになってしまった。
疲れて眠る彼女の頬を撫ぜて、何度も考える。何故俺はあの日、彼女を一人で出歩かせたのだろうか。何故俺たちにはこうも不運が重なるのだろうか。
彼女の頬を手のひらで包むと、その温もりに胸が締め付けられた。起きているときの彼女に触れても、どこか心臓の裏側が冷えるような心地がするのだ。
さっきも……何も無理してしたわけじゃないとはわかっている。けれど彼女の脳ででオキシトシンとセロトニンは本当に多量に分泌されていただろうか。海馬のニューロンの数は本当に増加していたのだろうか。
俺はそんなことを考えて、彼女の隣で一人、泣きそうになったり涙をこぼしたりする夜が増えた。
絶望からか、或いは食事の量が著しく減ってしまったからか、彼女はとても疲れやすく、毎日短くても十二時間は眠っていた。仕事も、最初は休職の予定だったが、結局辞めることになった。
彼女は俺と別れることは諦めてくれたが、落ち着いてきた代わりに何もかもが欠落したようになってしまっていた。
そんなある日、俺が家に帰ると心なしか元気な彼女に出迎えられた。彼女が特別何かを話すことはなかったので俺も特に言及せず、少し様子を見ていることにした。勿論、前向きな変化の予感に楽観的な気分になったのは言うまでもない。
それから一週間くらい経った夕飯の籍で、彼女は最近のことについてやっと切り出した。
「あのね、星命教って、一応……知ってる、よね」
「あ、ああ。聞いたことくらいは」
俺はやや身を固くして返事をしてから、誤魔化すように味噌汁を啜った。
傷ついた人と怪しい宗教。その取り合わせには、嫌な予感しかなかった。
やはりというか、その予感は的中する。
箸を握りしめたまま、彼女は語った。
「人間が増えすぎて、調子こいてるのがさ、星にとって、悪いんだって。だから、人間にとってより有益な、たとえば天才とか、得難い人格者とかはさ……度を越して素晴らしかったりすると、早く死んたり、生まれてこなかったりするんだって。この星のバランスが、取れるように。もしこれが本当ならさ、」
彼女は茶碗に箸を伸ばして、申し訳程度の米粒を拾って口に運ぶ。のろのろと咀嚼し、ゆっくり嚥下して、涙と一緒に眼球までこぼれ落ちそうな濡れた目を上げた、とても静かに悲鳴を上げた。
「もう、考えるの、やだ」
彼女の唇が震えているのを目にして、俺は自分の心がくしゃりと潰れたのがわかった。
自覚を避けていただけで、俺ももう、精神的に限界だったのだ。
そうして俺は彼女と共に、星命教を信じることにした。
フリであっても続ければそれは、内面化されていくだろう。だから二人で、ママゴトのように。『信じているフリ』から始めて行った。
生活は次第に穏やかになり、一緒にいる時間の全てで、心から安らげる日々を取り戻した。
星命教関係の会合に出掛けるときは、いつかの花火大会のときのような気持ちで(でも不謹慎にならない程度に)めかし込んで、手を繋いで出掛けた。
彼女の手は心臓を熱で融かしてしまえそうなくらい、ちゃんと温かかった。
地上が崩壊してシェルターに移り住んでも、彼女さえ“冷たく”ならなければ、俺は何でもよかった。
しかしやはりというか、シェルターでの生活には、食糧問題を始めとした切実な問題が多数迫ってきた。
敬虔な信者は……そのうちの特に健康な成人男性はその信仰をよすがに、地上を探索する部隊に駆り出されることになった。俺も、その敬虔な信者に数えられるらしかった。たとえ基準に満たなくても、志願者は部隊に加わるとのことだった。
声掛けの中ではその言葉は使われなかったが、ようは軍の一種だ。聞いていてピンと来なかった者もそうそういなかっただろう。
そうして作られる寄せ集め部隊の主な活動は『地上にいる生き残りの保護』らしかったが、それにも、裏はあるだろう。恐らくは反抗勢力に対抗するための戦力にも加わることになる。
そもそも裏表など疑うまでもなく、口減らしの側面を持つことは、何となく察しがついた。
俺は泣いて嫌がる彼女をなだめて、地上を探索する部隊に参加することにした。
狭いシェルターに押し込められた以上、立場を壊すような真似などできなかった。
それに…………こう語ると頭を疑われそうだが、星命教のお歴々がそうせよと言うなら、星に残った……選ばれたものを助けて善行を積む方が、彼女の傍にいるよりも彼女の為になれるように思えた。反抗勢力を間引くために積極的に動いた方が、もっと安定してゆけるとすら思えた。
矛盾だらけの正しさに見て見ぬフリをすることも、もうお手の物だった。
「絶対帰って来てね。生身でね。お盆もハロウィンもいやだよ」
彼女は俺の手に手作りのお守りを握らせて、泣きそうな笑顔でそう言った。
俺はただただ頷いて、彼女の体を力いっぱい抱きしめた。もし、別れを覚悟した俺の体温が彼女にとってどこか冷たくなっていても、気づかれないように、強く強く。
最期のとき、自分の体が雪に埋もれる音を聞きながらふと思う。
この音が彼女のもとに届くとしたら、いつ頃だろうか。
しかしもう俺は彼女との距離を知ることは出来ないし、計算するような時間もない。この話も、ここでおしまいだ。
有り触れたつまらない話の顛末は、冷たい雪原に伏して訪れる。きっと、色々なものが無意味で。俺は近くにいた少年兵すら、守ることができなかった。すべてが手遅れだ。
もしも信仰に足る神がいるなら、どうか教えてほしい。
俺は、何を選ぶべきだったのですか。
無印書いている時点で大体こういう設定だった。元の考えでは彼女さんは世継ぎが要る家の子だったけど、婚約者ってのは嘘で実際は結婚していたっていうのは元々考えていた設定。
新興宗教団体へのへんけん的なものを助長させていたらまともなとこあったらごめんよ。
このSSは特に、モブの頭蓋骨の中に本当に脳みそが入っていてパーソナリティが備わっているのかあやしいところのある原作への反発がほんとうにとても、大きいです。