偏信

 返信しあうから意味があるのだと、私は思っている。一方通行は寂しいし、届いてすらいない一方通行なんて、考えただけでも唾が変な味になる。だから、

 放課後は憂鬱だった。
 普段は勉強から一旦解放されて友達と遊びに出るので、少なくとも憂鬱ではない。高校二年生にもなれば行動範囲も充分で、放課後はむしろ楽しみなくらいだ。
 しかし今日は美術部所属のクラスメイトと約束をしていて……いて、正直、私はその、彼女……そのクラスメイトが苦手だった。
 仲が悪い訳ではない。クラスで喋らない相手でもない。嫌いなんてこともない。でも、彼女が苦手だった。
 正確には、彼女と二人きりになるのが苦手なのだ。彼女の雰囲気に、呑まれそうになる。
 そんなことを考えているうちに、帰り際のホームルームが終わり、それぞれバラバラにクラス内がうごめきだす。彼女は私にジェスチャーで先に行くと伝えてきた。私は頷いたけど、彼女は特にそれに頓着することなく廊下に出て行った。長いスカートがはためく様はいつも通り、印象深かった。
 さて、と。私も美術室に向かうことにする。友達にさよならを言って、空に近い鞄を持って教室から出る。
 私と彼女の約束というのは、絵のモデルになることだった。何故私なのかと聞いたら彼女は、『貴女は絵にしたら映えそうだから』と言った。そんなこと言われれば私も満更じゃない。
 安請け合い、という言葉が浮かんで一瞬胃がチリっとしたけど、すぐに打ち消した。
 美術室に向かいながら携帯電話をチェックする。新着メールが二件。一件はお母さんで、今日は会社の飲み会に付き合うから遅れるという旨が書いてあった。二件目は……スパムだった。ちょっとがっかりした。
 私には付き合いが半年くらいになるメル友が居る。メールの最初は私の誤送信で、その時はどうしようかと思った。間違いメールや間違い電話は、お互いにいいことなんてない。だから、してしまうとかなりひやっとする。
『いえいえ、そんなにお気になさらずに。大丈夫ですよ。僕なら平気ですから』
 確か、そんな感じの内容だった気がする。いい人そうだな、というのが第一印象だった。それ以上に、知らない人と、繋がって、返信が来た。そんな事実に、不思議な気持ちが湧いた。そして思わず『メル友ってやつになってみませんか』といった感じのメールを送ったのだ。
 それから返事が来るまでの二日間は思い出してみるととても恥ずかしい。時々思い出しては唸り、友達には「やっぱり慣れ慣れしかったかなぁ」とか「迷惑だったらどうしよう」とか言っていた。友達には「相変わらず律儀ねぇ。大丈夫大丈夫」とか「相手にも生活があるんだから迷惑でもすぐ忘れるって」とかそんな風に慰められていた。ああ、恥ずかしい。自意識過剰だ。
 そんなことを考えているうちに美術部に到着した。ちょっとだけ、純粋にドキドキする。髪とか服とか、変なとこないだろうか。
 悩んでも仕方がないので思い切って美術室のドアを開ける。画材や削った木の匂いが入り混じった独特の匂いがした。
「や、準備出来てるわよ」
 彼女は大人しそうな見た目に反した若干男前な喋り方でそう言うと、私に小さな木彫りの椅子を差し出した。
「う、うん」
 私は少し緊張しながらそっと座る。
 その動作が可笑しいのか彼女はからから笑う。
「別にその椅子は特別脆い訳じゃないんだから、壊れないわよ」
 恥ずかしくて頬が熱くなる。
「う、うん」
 今度は意識して普通の力加減で座り直す。
「ようし、じゃあ早速描きますか。あ、雰囲気スケッチしたいだけだから、動いちゃ駄目なんてことないからね」
「うん」
 彼女の涼やかな声とその後の私の声を合図に、スケッチが始まった。
 鉛筆を走らせる音がする。
 私は、手元が見えないにも関わらず、彼女のスケッチに見入っていた。なんだかここに私が居ないように、彼女の周りの空気は澄んで張り詰めていた。
 彼女は、誰にも向けていないような絵を描き、誰にも向けていないような表情をする。私にはそれがわからなくて、少し怖い。けど怖いのに、強く惹かれる。
 他の友達が言うには、私は彼女に小さい頃の空想を思い出してその影に怯え、同時に憧れているんだそうだ。当たっているとわかっている。けど、そう認めたい訳でもない。彼女の唇がいたずらに開かれないことを、つい、願う。
 しばらくすると、メールの着信音がした。
「見ていいよ。むしろずっと携帯とか弄っててもいいのよ」
 彼女が自分の世界からそう伝えてくるので、私はセーラー服の胸ポケットから携帯電話を取り出して、メールをチェックする。メル友さんからだった。
『こんにちは。最近寒いですね。今日僕は雪に降られて大変でした(笑)。』
 それは、他愛もない内容だった。それでも私はほんの少しの充足を得て、返信すべく指を動かす。
『こんにちは。大変でしたね。こっちの今日は暖かいです。
 実は丁度今、美術部の友達のモデルをやってて、一人で勝手に緊張してました(笑)。』
 送信。電波が人の思いを乗せて、データを運ぶ。人、ラブ! って叫ぶ程じゃないけど、こういう人の営みとそこから分岐した無関係な伝心が、私は好きだった。
「ん、いい表情」
 彼女の声ではっと我に返る。彼女はいい表情とか言っているけど、どう考えても私はにやけていた。慌てて表情を引き締めると、彼女は冗談混じりに惜しむような声をあげた。
 しばらく返信と沈黙を重ねて、そして、彼女が長い息を吐いた。そして力が抜けたように笑う。
「終わり。今日は付き合ってくれてありがとう。描くの遅くてすまん」
「どういたしまして。完成品見せて見せて」
 私はそう言いながら彼女に近づく、彼女はスケッチブックをこちらに向けて、見せてくれた。
 それが上手だということくらいなら、私にもわかった。ただ、何と言って良いかはわからなかった。
 私が応えを探していると、彼女はにやけて私に言う。
「きみはさ、妖怪とか信じないタイプよね」
「え」
 突拍子もない言葉に、私は困惑した。そんな様子を歯牙にも掛けず、彼女は笑う。
「それにあたしと違って、誰にも向けて誰にも向けないような……なんていうかそういうの、苦手っぽい」
 私の昔が疼く。幼い失敗談や中二病と称される思い出が、私は、まだ、苦手だった。
 それに……返事が返って来ないものが、苦手だった。
「うん、まあね……。芸術家肌とは逆って感じではある」
 素直にそう返すと、彼女は興味本位を態度でも表しながらこう聞いてきた。
「ねぇ、興味本位だから別に必ずしも答える必要ないんだけどさ……。きみはさ、昨日まで普通に話してた子がある日突然人形だと気づいたら、どう思う?」
「なに、それ」
 普段なら冗談で流すような質問も、彼女の雰囲気に呑まれた私には、真剣に考えるべき質問になってしまっている。故意犯、だろうか。いや、やりづらいけどそんなに意地の悪い人ではないはずだ。
「……それは、全部嘘だったと、思うんじゃないかな」
「……本当に全部が、全部……?」
「うん、だって人形相手で、相手は人形でしょう?」
「……いや……。いや、いやうん、そだね。変なこと聞いた」
 フィクションと現実さえ絵筆で混ぜてしまうようなクラスメイトは、ごまかすように破顔一笑した。
 そのあと彼女は、「まったく逆のタイプの貴女に最後の妙な質問をしてみたくてわざわざ誘ったのかも。ごめん」と謝って、私を恐縮させた。私だって変に請け合ったから、少し気まずかった。
 結局明日のお昼が彼女の奢り、ということになった。
「あ、先生、鍵なら私が閉めましたよ」
 私はいつもに増してぼんやりして、部室を出てすぐ美術部の顧問が来たことにも、彼女の上げた声で気づいた。
 その日彼女とはそこで別れて帰った。

 返信しあうから意味があるのだと、私は思っている。一方通行は寂しいし、届いてすらいない一方通行なんて、考えただけでも唾が変な味になる。だから、あらためて私は、彼女のどこに繋がりを求めているかわからないところとか雰囲気とかが苦手だ。けど、それでも、絶対に嫌いになれないことを確信していた。もう少し私が大人になれば、もう少し仲良くなれそうな気さえした。

 着信音が鳴る。当たり前のように電波に乗って、人と人とが繋がる。それはあくまで人と人なのだと、心がそっと疼いた。

自覚のある高二病。ただこのまま大人になったからと言ってあれを信じるかどうかはわかんないけど。
雰囲気だけでももっ……! 周囲の人物、というのを上手く取り入れられず美術部娘が出張り過ぎたところに力不足を感じるぜ。
エンジンかかったの途中からだってバレバレかしら。本当はもっとやるせなく絶対に信じないって方向に行くはずだったと裏話。

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