魔界探偵冥王星O セイレーンのΣ

※WとVとFだけ読了済。【彼ら】あるいはそっち側っぽいのの一人称だけど別にそれっぽくない。

 私は人のかなしむ顔よりは、よろこぶ顔の方が好きだ。マイナスとされる表情より、プラスとされる表情の方が好きだ。
 それをそのまま人に言うと完全に誤解されるが……。

 大きな切り株に腰掛けた町娘にそんなことを言うと、その娘はくすっと笑った。
「へぇ、じゃあ当ててあげる。貴方はきっと……そうね、純粋にそういう顔の方が好きってだけなのね」
 娘は整った容姿をしていた。穏やかな顔立ちに透き通る白い肌。薄く血色の良い桃色の唇。癖を含んだストレートの髪は光の当たる部分がブロンド、当たらない部分はごく薄い栗色に見える。
「そうだ」
 肯定が聞こえたのか聞こえなかったのかも、何がおかしいのかも分からないがくすくす笑い続ける娘を見て私は呟く。
「お嬢さんなら素敵な楽器になってくれるのだろうな」
「えっ、何、それ?」
 娘は少しだけ複雑な表情になったが、それでも笑顔は殆ど崩さず、『少しだけ気に障る表現だった』といった程度に眉根を寄せて、私の顔の前に指を翳した。
「見て。この指。わたしハープ奏者だったのよ、ほんとは。もう全然きれいに弾けないの」
 間近で見るとよく分かった。大怪我をした上に処置が適切ではなかったのか、包帯が巻かれた指は骨が不自然な曲がり方をしていた。
「今のわたしに使える楽器なんて、自分の声くらいよ。それも三流。人生立ち直れないわ」
 少し目を伏せると、明るい緑色の瞳に、長い睫毛の影が落ちた。
 それから話しを聞くと、娘は一流のハープ奏者を志し、実力も認められていたが、転んだところを馬車に指を轢かれたそうだ。ハープの腕以外何もなかった娘は途方に暮れるのすら通り越してのんびりしていたらしい。
「奇遇なことに、私が欲している楽器もハープなのだよ」
「ふぅん。人を楽器にするのね? どうやって? 種類は?」
 私の言葉に娘は目をぱちくりさせながら訪ねてきた。どうやらハープの話しをするきっかけになった私の呟きは、ちゃんと聞こえていたらしい。
「そう難しくない。種類はアイリッシュ・ハープだ。
 私は出来たらいい顔でいてくれそうな素材が居ないか探していたのさ」
「ふぅん。拒否権も逃げる余地も、あんまりなさそうね」
 逃げる素振りも見せず、寧ろ立ちあがりこちらに歩み寄りながら娘は笑う。
 確かに少しでも教えてしまった時点で楽器にするか消すか、こちら側に引きずり込むか……。他の選択肢もろくなものではない。
「いい顔で、って気絶させていい夢見てるときにでも殺して楽器にするっていうのは駄目なの?」
「楽器は生き物だ。人間の奏者の間でも常識だろう」
「へぇ、すごいわ! 言葉通り生きている楽器なのね。わたしも演奏してみたかったわ!」
 見たこともない楽器に思いを馳せてはしゃぐ娘の温度に、私は水を差す。
「殆どの者が苦痛に顔を歪めているがね」
「そう。じゃあ貴方は楽しくないでしょうね」
 自分の気持ちを差し置いて、娘は私に気を回した。先程から感じていた違和感が、はっきりと姿を現す。
 会話をキャッチボールに例えるとしたら、まともな球を寄越していない。例えば、別のボールを投げたはずがさっき投げた球で返される、といった風に。
 事故のショックでおかしくなったのか。あるいは元からおかしな娘だったのか。
「ああ。だから偶には他に任せず自分で素材から調達しようと思ってね。何せ苦痛の表情や悲鳴を好む連中が多いのだ」
「あらやだサディスト」
「私もそう変わらないがね。ただ、よろこびの表情の方が好きなだけで」
「そう」
 娘は後ろに数歩下がってすとんと切り株に腰かけ直し、私が見た娘の表情の中で一番しみったれた、ぶすっとした顔をして自分の膝で頬杖をついた。
「ところでわたし、さっきからじわじわがっかりしてるの」
「どうした」
「素敵な楽器になってくれるんだろうって言われたとき、わたし、プロポーズでもされたのかと思ってちょっとときめいて、ちょっと嬉しかったのよ。もちろんハープのこと思い出して哀しくもあったけど」
「そうか」
「わたしは丁度空っぽだったの。だから、誰かの力で引っぱられたらそっちへ行ってしまう。プロポーズされたらきっと一瞬でオーケイしたでしょうね」
「では文字通りの楽器は願い下げと?」
「そうじゃないわ。でも、女の子の夢なのよ。プロポーズ」
「…………」
 沈黙が降りて、そよ風が主な音源になる。そのままで居ると、いつの間にか勝手に機嫌を直したのか、またにこにこと笑いながら、娘は口を開く。
「ねぇ、楽器にされた人たちって、基本的にどんな感じにされるの?」
「どんなというと?」
「苦しいとか痛いとか」
「ああ、それならつくりにもよるが、私が考えているハープで言うとしたら、主に快楽と苦痛だ」
「へぇー……」
「演奏会にも出る」
「予想はついたけどなんだか恥ずかしそうね。勿論、楽器として演奏されるんだから、楽しそうでもあるけど。じゃあ、どんな格好になるの? やっぱり殆どバラされちゃって無口になるのかしら」
「いや、原型はあまり崩されない。膝に乗る形になる。物によっては殆どバラバラになるが。どちらにしろ内蔵は抜かれる。言葉を発することは二度とないだろう」
「ふぅん」
「お嬢さんの体躯なら丁度いいはずだ」
 そう言って私は娘の隣に腰かけた。切り株には、まだ四、五人座れそうだ。
「折角だから、試しに一度抱えてみたい。膝に座ってみてくれないか」
「うん」
 従順に、娘は私の言うことを聞いた。もし承諾の必要があったとして楽器になれと言ったとしても、きっと二つ返事で承諾しただろう。
 私が何度か脚のやり場と施される予定の処理を説明して、娘は私の膝に収まった。
「これで、その……内蔵を出してえっとどこに何を使うんだっけ。まあいっか。とりあえずこんな風になるのね」
「そうだ」
「あと生身でやるとこの姿勢苦しいわ」
「もういい」
 ふぅ、と息をついて娘は姿勢を崩すが、膝からどこうとはしなかった。
「……、ねえ、考え直してみてたんだけど、やっぱりさっきの言葉、プロポーズに近い解釈も出来るわね」
 確かに収まる場所はまるで恋人の位置、と言えるのだろう。
「こうやるっていうのもあるし……楽器って、恋人みたいなものだものね」
 娘の言葉を聞きながら、弦が張られるであろう空間をつま弾く真似をする。
「らーらーらーららー、よね、確か」
「分かるのか」
「直前に弾いてた曲だからなんとなく動きから連想したんだけど……合ってたのね。
 貴方人間じゃないっぽいのに、咄嗟に人間の弾く曲を弾くのね。しかもこれ、元は歌曲よ」
 娘は私が弾く真似をするのに合わせて、主旋律だけを一曲歌いあげた。本人の言う通り技術は三流だったが、絹のように滑らかないい声をしていた。
「ではお嬢さんを持ち帰って、加工を頼むとしよう」
 断られても適当に持ち帰る気で、しかし反発を想像もせずにそう言うと、娘は予想外に鋭い言葉を発した。
「待って」
「……どうかしたのか」
「貴方は試せてよかったかもしれないけど、わたしは自分のこれからが想像つかないわ」
「今更拒絶しようと、遅いな。表情が気に入らなければ他の手に渡すのみだ」
「いや、わかってる。わかってるんだけど、予行が欲しいわ」
「どうやって」
「快楽と、苦痛、でしょう?」
「ああ」
 どうやら話しは少し前に戻っているらしい。
「それならやり方によっては少しは再現出来ると思うの」
 娘は演技めいた仕種で上目遣いに私を見据える。
「貴方の正体は化け物なんでしょうけど、わたしには素敵な男の人に見えるわ。そこのところはどうなの?」
 どこまでも楽しそうな娘に、私は僅かながら関心を強めた。
「…………つまり」
「誘ってるのよ」

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 闇。
 観客。
 演奏会。
 他の楽器。
 重なる音楽。
 漂う濃い臭気。
 揺らめいた蝋燭。

 私の膝に座り、あの日よりも恍惚とした表情で、美しい音を発するハープ。
 その現実の中、私は回想する。
 楽器職人に受け渡す直前に、娘は私の名を尋ねた。呼ばれている単語を教えると微笑み、「出来るだけ手放さないでね」と言って一度だけ呼んだ。「人じゃなくても男か女かは重要なのね」と笑った。
 ついでだと私も娘の名を尋ねると、娘は、「ハープで十分じゃない。不満なら、わたしは楽器なんだから楽器として手にしてから名前をつけないと」と言ってくすくす笑った。
 確かに、ハープで充分だった。今のところ私には、これ以外にハープと呼べる楽器は存在しない。
 もっといいハープが存在するのなら、私はそちらを手に入れたいと望むだろう。当然の帰結だ。しかしそんなものはいつまでも現れなかった。
 だから、私は機会と暇がある度にこの素晴らしい音と表情を持つハープを演奏し続ける。ハープはいつまでも楽器としての快楽と恍惚と、膝の上の感情でよろこびの表情を浮かべ続ける。
 奏者と楽器のエゴはいつまでも見つめ合い、一つになったように鳴り、時に楽団の一部となるのだ。
 何故か私はその音の波の中に、時折、娘の歌声を聴く。ハープの弦は変わらず鳴っているというのに。

 何曲か続いた演奏。
 音の中感じる静けさ。
 計算され尽くした余韻。
 順番に吹き消していく光。
 音楽の痺れが抜けだす指先。
 少しの名残惜しさを称える唇。
 その灰色の唇を持つ私のハープ。
 演奏会を終えたばかりの、テント。

 このテントのある場所、この国の人間達の間には、漢字のつくりになぞらえてこんな冗句があるらしい。
 『恋は下心、愛は真心』

 もしその冗句を真に受けるとしたら、これはきっと恋なのだろう。

 『ハープに加工された女は、演奏者の膝にすわり、弦をはじかれるたびに、恍惚とした顔をする。』という、『冥王星O ヴァイオリンのV』の一節だけでここまで妄想した。
 ハープとハープ奏者はラブラブエロップルだと思うんだ。バカップルやへんたいかっぷるや倒錯カップルでも可。
 【彼ら】と思しき奏者一人称とかチャレンジャーだなって自分で思った。まあ、音楽やってる奴なんてどこの社会に居てもどっかどうかの意味で変ってことで。

 番外風なのでアルファベットじゃない(ギリシャ文字)。番外風なので恋。和製読みだけど大体一緒だといいな。文字はΣと書いてシグマで合ってるはず。
 セイレーンなのは、うん、タイトルつけようがなくてちょっとやけだったんだよ。

 7/7少し改稿。

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