冬のきそなが

 見て見ぬふりをしたかったが、できなかった。

「なんでベンチで寝てんの? 長良川」
 夜の公園のベンチ、しんしんと降り積る雪を全身で受け止めるかのように、長良川は天を仰いでいる。顔を覗き込むと、数秒無反応が続いた。こんなに隙だらけの殺し屋さんっていいんだろうか……。
 そんなことを思っていると、ふっと長良川の目の焦点が合い、がばっと起き上った。
「わ、きっそ……っがわ!」
 そして、でことでこがぶつかった。
 やっぱり見て見ぬふりすればよかった。


「ひほはーはふぉーひへ」
「のっこんでから喋りなさい」
 長良川が肉まんを口いっぱいにした状態で喋るせいで太郎くんみたいなことを言うハメになった。ちなみに僕が奢らされました。
 長良川は紙まで食べるように一気にがっついて完食してから、もう一度言い直す。
「木曽川はどうしてこんなところにいるの?」
「仕事帰りだよ。そっちは?」
「こっちも。あとごちそうさま」
「おそまつさま」
 僕も自分の肉まんを食べきる。放っておくと狙われそうだったから。
 呑気に雑談などしながら歩いているが、長良川は僕を殺そうと追いまわしてくるような女だ。しかも基本、見境がつかない。殺し屋ではあるが、殺人鬼でもあるようなやつだ。
「んで、何でベンチなんかに?」
 もう一度訊いてみる。それなりに暖かそうな恰好をしているとはいえ、夜だし雪だし、寒いだろうに。
 長良川はちらっと上を見て、答える。
「姉さんが、雪見たいって。ねえ、姉さん」
 そこから一人会話が始まってしまう。そうそう、長良川って奇行が多い奴なんだよな。
 ひとしきり『姉さん』と話して満足したのか、長良川はそのまま黙ってしまう。
 髪や服が雪で飾られていくのを、当人は気にしていない。
 何となく二人並んで駅の方に歩いていくけど、どちらも傘は持っていない。僕は帽子があるからいいかなーと思ってのことだけど、長良川は帽子を被っていなくて寒そうだ。か、貸さんぞっ。
「そういえばさ、見てよこれ」
 何の前触れもなく言い出した長良川が、ポケットから携帯電話を出す。
「おー、スマホ」
「そう、スマホ!」
 ガラケーから乗り換えたのか。最新機種だし、なんだかピカピカだ。
「文字打つのはまだちょっとつらいんだけどさー、アプリも入れてね……これこれ」
 長良川の冷えて真っ赤な指先が、素敵な予感しかしないアイコンをタップする。
「おお……!」
 リラックマがだらけている。続けて指が叩くと、寝ていたリラックマが起こされた。
「わー、いいなー、これいーなー」
「でーしょー?」
「何てアプリ?」
「リラックマtouch!」
「探すわこれ探すわー」
 話す間も長良川はリラックマをむいっとしている。
 うぎぎ。ウラヤマシイ。
 自慢されてばかりなのも口惜しい。僕も携帯電話を取りだした……ところで大通りの信号に差し掛かった。赤だ。
 僕は止まりつつ、自然と長良川の前に片手を出す。長良川は普通に自分で止まってから不可解そうな顔をした。ふふ、その間抜け面に見せつけてやるぜ。
「じゃーん」
 新しい待ち受けを見せびらかす。ひこにゃんがトロピカルでキュートな待ち受けだ。
「わー、いいなー、これいーなー」
「だーろー?」
「どこで落とした?」
「このサイト」
「探すわこれ探すわー」
 さっきもしたような会話をしていると、信号が青になっていた。渡りきると、一気に人が増える。駅ももうすぐだった。
「あー、でも新しいケータイ、まだ待ち受けの変え方わからないんだよね」
 長良川が画面を睨んでいる。
「んー、貸してみ?」
 一度歩道の端に寄って立ち止まる。降ってくる雪が操作を邪魔してうっおとしいぜ。
 シャッシャと操作していくと、若干わかりづらいところに設定画面があった。
「とりあえず一旦変えとくか?」
 勝手に開いてしまった画像フォルダに見慣れた赤があった気がしてヒヤっとしたが、長良川にはスルーされた。それでいいのか。
「これがいい」
 ターゲットらしき女の画像の隣にあったくつしたにゃんこがタップで選択された。
 すぐ傍にある長良川の顔が満足げに緩む。携帯電話を返すと頭も動いて触覚が揺れて、楽しげだ。
「ありがと」
 待ち受けを眺めてニヤニヤし出したのでとりあえず歩き出すことにした。そのままだといつまでも止まっていそうな感じがした。そしてそうと見せかけておいて刺されそうな感じも。
 歩きながら周囲を見回す。この周辺にはあまり来ないから、全体的に馴染みがない。
「お」
 前に入ってことのあるゲーセンを見つけた。そこそこ盛況のようだ。
 と、横を見ると長良川は何をしたらいいかわからないような顔になっている。マズイ。とりあえず暇ならライバル減らした方がいいよねくらいのノリで殺しにかかられそうだ。寒いし、そういうの億劫だなぁ。
「長良川ー、そこでプリクラ撮ろうぜー」
「えぇー、木曽川とー?」
「なーんーだよー」
 靴の上から軽く、長良川の足を蹴る。どうやら注意はその動きに向いたようで、本気で蹴り返してくる。
「なーんーだーよー」
 僕も応戦せざるを得ない。
「いーからー」
「いーけどさー」
 そうしてしばらくじゃらしたあと、雪を払ってゲーセンに入る。
 中は暖かく、騒がしかった。僕は普通にしていたけど、長良川はちょっと首を竦めたのが見えた。
 そして同時にプリクラ以外のものに注目した。
 そこにおわすはキイロイトリ……! それなりにでかいやつがぽつんと置いてあるタイプのUFOキャッチャーだ。
「取ろう」
「できるの?」
 すぐに獲る姿勢になった僕に長良川が疑念を向けてくる。
「ふふん、なめんなよ」


 ――――そして、三千円が消えた。
「だめかー」
 実は一回目から察してたけど、これ結構ゆるくできてるタイプのクレーンだ。余程の腕じゃないと取れないやつ。
 すると、長良川は一枚の百円玉をチャリンと入れた。
「できんのかぁー?」
 僕がからかうと長良川は
「おぅおぅ、なめんなよ」
 と応えて操作をミスった。タテもヨコも変なところまで行っている。
「あのぉ……」
 キイロイトリの腹を突き刺すクレーンを見つめる長良川と僕に、店員さんが話しかけてきた。
「少し移動させましょうか?」
「いいんですか?」
「はい、沢山プレイしていらっしゃいましたので」
 突然の助けにほっとする。長良川はよくわかっていないようだが、店員さんはにこやかに筺体を開けた。
 そしてキイロイトリの位置を整え、閉めて尋ねてくる。
「お客様が挑戦されますか? 店員による操作も可能ですが……」
 よく見ると店員さんの名札には『UFOマスター』の称号が貼り付けされている。もう来ないかもしれない店だが気に入った。
「お願いします」
 僕はなるべくにかっと笑って、さっき両替した残りの百円玉を用意した。
 そこからは早い早い。三回のプレイで取ってしまった。
「やべー、かっけーな」
 颯爽と去るゲーセン店員に半ば本気で羨望しつつ、キイロイトリの頭を撫でる。店員さんが渡したため、キイロイトリは長良川が抱いている。
「さて、僕のキイロイトリは手に入ったし、次はプリか」
「そうね。私のキイロイトリが手に入ったからもうクレーンはいいわ」
 さらっと所有権を主張される。
「僕の」
「私の」
「僕の!」
「私の!」
 キリがなさそうなので僕は一方的に勝負を宣言する。
「じゃあ、音ゲー勝負だ。ダンエヴォやるぞ」
 種目も勝手に決めた。カメラセンサーに向かって踊るやつだ。ちょっとやったことある。
「おぅ」
 長良川は男らしく返事をした。


 二十分後。圧勝過ぎて罪悪感に駆られていた。
「苦手なら、異議申し立てても、よかったんだぜ……?」
 笑いながら写メ撮っておいてなんだが、本気の同情を禁じえない無様さだった。
「苦手かどうかわからなかったもの。踊ったことって、そういえばなかったし」
 長良川は心なしかふくれ面だ。
「幼稚園とか小学校とかで踊りやらない?」
「通ってない」
 さらっと別世界を魅せられた。育った環境が違いすぎて何ていうかもう……セロリ食べたい。
 はぁ〜ぁ。ため息が出た。可愛いキイロイトリと、僕の性格に。
「しょーがねぇな。やるよキイロイトリ」
 荷物置き場に僕の帽子と一緒に置いてあったキイロイトリを抱き上げて渡す。長良川は迷わず奪い取ってひしと抱きながら、疑念に目をしばたたかせる。
「……いいの? 返さねーぞ?」
「いい、いい。勝って嬉しいから、逆にあげちゃってもいい気分なんだ」
 駄目押しとして、何か返される前に次の話をする。
「そんなことよりプリクラプリクラ」
 長良川の注意を逸らす目的はもう果たせているが、とりあえずなんとなく勢いだ。自棄になっている自覚はある。
 撮影はキイロイトリを背景の一部に据えて行われた。いちいちデモポーズを再現しようと試行錯誤する長良川に抱きつかれた以外は恙無かった。
 以下落書きブースでの会話。
 画像選択中「長良川まばたきしてら。これ選ぼう」「じゃあ私木曽川が変な顔してるやつ」「待てそれはちょっとまずい」「は?……はぁ?」「わーったわーった。じゃああとは適当に……」
 落書き中「ぐるぐるほっぺ、っと」「ずっとともだち」「友情☆不滅」「ウチら記念日」「チャリで来た」「揖斐川抜き」「ひとも、まちも、きらきら」「何それ?」「いやぁ、きらきらなコロコロスタンプ回してただけ」「あー、私もコロコロするー」「お、このスタンプ可愛いな。えい」「わー、私の頭がキュートでポップ。お返し」「僕の帽子がシュールでロック」「あと何しよう」「空きスペースあるやつにサインでもするか。きそくん、星っと」「んー……ながちゃん、はぁと」
 シール構成選択中「そういえば最近仕事どう?」「ぼちぼち。そっちは?」「ぼちぼち」
 画像ケータイ送信中「画像選択……うーん」「これで」「あ、お前勝手に横から操作すんなよ」「ざまあ」「こっちだってまばたきショットにしてやらぁ」「チッ」「………………」「………………」「アドレスなげえなぁ」「まだデフォルトなんだよ文句あんの?」
 以上落書きブースでの会話。
 外に出ると雪は止んでいて、通行人は少し量を減らしている。
 あらかじめミシン目が入っていたシールを分け合って、そのまま、連動したように別れることにした。
 結局僕の携帯電話には、長良川に抱きつかれた間抜け面の画像が送信されていた。シールはどうしよう。二、三枚くらいなら適当に貼れそうだけど。黒田……には絶対見せたくないな。
「じゃあな」
 僕が手をひらひらさせても、長良川は静止している。いや、何やら頷いている。
「これ、返す」
 そのままキイロイトリを僕に差しだしてきた。
「え?」
「冷静に考えたら要らない」
 言いながらキイロイトリに抱きつく。ぎゅっぎゅとしてから、再び差しだしてきた。感触が気に入っただけ……みたいな感じか?
 受け取ると、今度は長良川の方から数歩離れる。
 その距離から、少しだけ照れたようなぎこちなさで、長良川は小さく手を振った。
「木曽川。……またね」
「……お、おう!」
 僕は今度こそ離れていく長良川に大袈裟に手を振る。
 女ってズリー。つくづくそう思う。もう会いたくないのも本音なのに、なぁ……。


「そんな感じでシールの処分に困ったんだけど要る?」
「カエレー」
「お姫様なら興味ありそうじゃない? プリクラとか」
「デートコースの提案ありがとうカエレー」
「太郎くんは通報されそうだからやめたら?」
「カエレー」
 トウキが起きてきて面白がって受け取る前に帰ってほしい。殺し屋のプリクラとか誰得なんだよ。

 ねつ造具合が割とひどい。なんとなく長良川さんは木曽川くんほどゆるキャラ好きじゃない気さえする。

index