同級生の夢

 おかしな夢を見た。
 それはすこし前まで日常を過ごしていた風景と、すこし前まで身近だった人物の夢だった。
 夕暮れの教室、血でも浴びたように染まるシャツのボタンを、彼女はひとつひとつ外していった。
 そして――。


 切欠がなければ、ただ忘れるだけの夢だったのかもしれない。
 だが夢を見てすぐのその日、折しもタイシが夢分析の本を持っていた。
 それが鞄からはみ出ていることに気がつくと、タイシは慌ててばたばたと仕舞い直す。
「何をそんなに慌ててるの?」
 俺の素朴な疑問に、タイシは赤い顔で答える。
「何を、って、恥ずかしいじゃねえか、俺みたいのが、こんな。……いや興味あるわけじゃなくて! アキが無理矢理貸してきて……」
 途中から早口で身振り手振りも大きくなったタイシを俺は制止する。
「タイシ、煩いよ。ただでさえガラ悪いんだから気をつけないと」
 ここはタイシが通う――俺もこの間まで通っていた高校の近くのファーストフード店であり、大声を出す場でもないのだ。
「一言多いんだよ、お前はよぉ……」
 ブツブツ言いながらも大人しくなったタイシに、俺は右手を出す。
「ちょっとその本、貸して」
「あぁ? 有馬お前、こんなのが好きなのか?」
 タイシは目を見開いて、至極不思議そうな顔で鞄から出した本を俺に差し出す。
「……別に。ただ気になることがあるだけ」
 こういう本は世迷いごとがメインで、ほんの少し心理学に関わる内容も入る程度だとは知ってるが、参考にはなるかもしれない。
 俺は該当するページを開いてさっと目を通すという作業を三回ほど繰り返す。
「……何?」
 タイシがあまりにチラチラとこちらを気にするので、訊ねてみる。それなりに鬱陶しいし。
「いや、お前が気にする夢ってどんなんだろうと思ってな。そういうのに気にするイメージが沸かねえから」
「誰だって気にすることくらいはあるんじゃないかな」
 確かに、俺は普段は駆逐した喰種に呪詛を投げかけられようと自分が死のうと死んだ仲間に恨まれようと、夢ならばそういうものだと割り切って気にしないが。
「そだな、ワリィワリィ」
 タイシは軽く謝って、好奇心そのままに続ける。
「で、どんな夢だ?」
 俺は一瞬考えて、本を開き直して夢のメインだと思われる部分の項目を指す。
「こういうの。……同級生の女子だから、知人、かな」
 そこを見て、タイシはみるみるからかうようなニヤけ顔になって、俺の肩を叩く。
「有馬でもそんな夢見んだな。今の潜入先で気になってる女子でも出来たか?」
「有馬でも、はそれこそ余計だ。それにタイシが思ってるような意味で気になってるわけじゃ……」
 俺は言い返しながら、「あ、いや」と別の見方に気づく。
「そういう意味なのかな……」
 考え込む俺を、タイシは鷹揚に笑い飛ばす。
「そんな深刻になるなよ。中高生男子ならそれくらいフツーだって。フツー」
「そうかな」
「そうだよ。俺だって、まー……あるしな。次の日気まずいけど、それだけだろ」
 言い切ってシェイクを吸うタイシに、俺は言うかどうかちょっと迷う。
 ポテトをかじってから、俺は他に話せる相手もいないことを鑑みて、それを口にする。
「三波さん」
「は?」
 呆気に取られたのか微妙な顔をしてるタイシに、俺はすこし遠回しな表現に直して言い直す。
「駆逐した同級生だったんだ」
 数秒、店内のざわめきすら止んだ錯覚を覚える程に、タイシが固まる。
 ややあって、ポテトを一気に口に入れてシェイクで流し込んでから、タイシは気まずそうに口を開く。
「……三波か」
「うん。ちゃんとそう言っただろ」
 俺の返しに「だから一言多い」としっかり苦言を呈してから、タイシは真剣な顔で俺を見る。
「大丈夫か? その……」
「何ともないと思うよ。俺も妙な夢だったからちょっと気になっただけだし」
 俺はそう言って、それからはたと思い出して付け加える。
「心配掛けてごめん、タイシ。気遣いは嬉しいよ。ありがとう」
「やっぱ大丈夫じゃねえだろ! 熱は!?」
 丸出さんによく『愛想がねえ』と文句を言われることを思い出して態度を変えてみただけなのだが、失敗だったようだ。
 結局そのあと暫く心配したタイシに体調の確認責めにされてしまった。


 自室に戻って、俺はベッドに転がって夢分析の解説と夢の内容を思い出す。
 夕暮れの夢は、終わりを意味する。教室の夢は、日常生活を表す。
 このふたつの組み合わせは辻褄合わせがしやすい。終わった日常の舞台と、終わった日常にいた人物が出てきたと解釈できるからだ。
 もうひとつの要素は、本の書き方が細かかったこともあり、トントンと片付けて終わりにはならなかった。
 知人とセックスする夢は、その人が持つ美点を取り込みたいときに見やすい。相手に好意を抱いているときは、単なる願望が出た夢に過ぎない場合も多い。
 セックスをしたくないのに無理矢理された夢や、乗り気じゃなかった夢は、その相手の汚点に影響を受けているサイン。または自らの不調を意味する。
 俺の場合は、どういう風に当てはめることが出来るだろう。
 まず、無理矢理だったかというと、それは違った。最初は三波さんの方からだったのは覚えているが、俺から何もしなかったわけではなかった。淡々と進む行為も、お互い様であったと覚えている。
 それから、三波さんが好きかどうか。多分違う。が、気になっていたということくらいなら、多分有りうるのだろう。少なくとも嫌悪感を抱いては……いなかったと思う。
 俺にとっての三波さんは……。
『有馬君』
 夢の中の三波さんの囁きが耳元に蘇る。ご丁寧に息がかかる触覚さえ感じ取っていたことまで思い出す。
 あんな風に、熱っぽく切ない声で俺の名を呼ぶ三波さんを、知らないはずなのに。
 いや、止めよう。せめて三波さんから取り込みたい美点でも考察した方が遥かにマシだ。彼女は慎重で狡猾だったな。でも詰めは甘かったし、そこまで強くもなかったし……。
 やはり夢分析という名の占いもどきなんかで当てはめるのは無理があった。他人の汚点に影響を受けるなんて方も、想像がつかないし。 
 タイシに見せたら『不調なら当てはまる』と言うかもしれない。先程のファーストフード店での会話からすればそんな感じだった。
『お前みたいに普段愛想のねえ奴が急にそういうことを言うと何かあると思うだろ』
 俺はタイシの言葉を思い出すと同時に、三波さんから真似てもいい美点をひとつ思いつく。
 三波さんは愛想がよかった。それに、全体的に外向的な振る舞いが板についていた。
 人間に紛れることができる喰種にはそういう、コミュニケーション能力の高い者も多い。だが、間近で、それなりの間見ていた同年代の……というところまで加えると、人間や半人間を含めて考えても彼女に比肩する対象はいない。
「そうか」
 俺は小さく口に出す。そうだな、見習うべきところだ。
 たとえ本性でなくても、優しい振る舞いは優しさとして作用する。本心でなくても、笑顔は――。
 そこまで考えて、俺は『親しかった同級生』としての三波さんを思い浮かべてしまう。
 警戒せずに済むせいか、記憶の中の表情豊かな彼女は、どこか好ましい。
 そして夢の中の三波さんは妖艶で、しかし同時に純だった。制服を脱ぎ散らかしておいて、教室の椅子の側にひざますいてモノに激しくむしゃぶりついておいて、膝の上で散々よがっておいて、触れるだけの口づけひとつで瞳を潤ませるような女の子だった。
 俺は意味なくベッドから勢いよく起き上がる。何かを思いそうな感覚に心臓が跳ねている。
 しかし、三波さんはもう、俺が追い詰め、タイシが殺した。彼女も俺たちを本気で殺す気だった。
 それを思い出して、俺はベッドに倒れ直す。妙な虚脱感と罪悪感。
『私たち、悪いことしちゃってるね。ここ、勉強するところだよ。勉強と、青春。こんなことするとこじゃないよ』
 夢での三波さんの発言に彼女らしさというものを確信していると自覚して、息を吐く。
 喰種とは、会話しないことにしているのに。相手を自分を、知りたくもないのに。
 俺は三波麗花という存在を知ってしまっていたのだ。
 そして今は、きっと一時的なものとはいえ強烈に意識している。
「…………やっぱり、喰種とは会話しない方がいいな」
 わざと口に出して、俺はそのまま眠ってしまうことにした。今日は何の予定もない夜だ。


 俺は光の中、庭の子供の戯れに付き合ってやっていた。細い髪のすき間に熱を持つ小さな頭を撫でて微笑みかけてやるだけで、その子供は無邪気に笑う。以前見た風景のひとつだ。
 しかしそこはいつの間にかCCGの建物内になっていて、目の前には緊張した面持ちで姿勢を正した新人捜査官が立っていた。成人であるその人が、どうも俺より歳下らしい。
 そこで夢を見ているということに気づいて、俺は練習のような気持ちで、新人捜査官に笑いかけてみる。
 彼女のように、出来ているだろうか。

 最初のタイトルは『妙な夢を見た』で、次にファイル名を『同級生』にして、最終的にここに落ち着きました。元はツイートしていたネタだったのですが、お誕生日リクエストで言っていただけたので改めて書いたネタです。
 セックスと死はイメージが近いと思うので、こういう夢を見てこまってほしいなと思って。
 大人になった有馬貴将がイメージ以上に沢山他人に微笑みかける(高校時代も微笑んだりしてたけど)人だって事実に少しでも夏を一緒に過ごした三波麗花の影響があったらいいなって。

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