「だからイクマさん、私の名前を呼んでほしいんです」
「自分で作詞、ですか?」
その話が舞い込んだのは、丁度改名手続きが終わって生活も一段落したときだった。
手続きが終わって……と言っても、月山さんのおうちの人が便宜を図ってくれて、驚くほど早く住んでしまっていて、『あの事件』からそれほど経ってはいなかったのだけど。
予想外の話に呆然とする私にマネージャーさんはやる気満々に続ける。
「どうしても難しければ単語だけでもいくつか出してくれたら、プロが整えるように手配するから」
曰く「作曲の先生に是非にと言われた」と……。理由を聞けば「生真面目に読み解いてから歌おうとする三葉ちゃんが自分ではどんなものをつくるのか興味がある」とのことだった。
多分、以前偶然お会いしたときに表現に迷っていた部分をお聞きしたから、私のことを過大に評価しているのだと思う。こんなこと、皆やっているだろうし。
「それで、俺に相談を持ちかけてきたいうわけか」
「はい」
ご馳走するから是非とお誘いした喫茶店で、私はイクマさんに事の次第を説明し、泣きついていた。
イクマさんは帽子の上から頭を掻いて、うーんと唸る。
「力になってあげたいんは山々やけど、俺も浮かんできた言葉を連ねて曲をつけながら形にしているだけやしなぁ……ちゃんとした、人に教えられるやり方っていうのは……ないなぁ」
「そうなんですね……でも、言葉が浮かぶって時点でもう、すごいです。私なんてそれすら全然」
私は悩みの合間、コーヒーに口をつける。
イクマさんもコーヒーを口にして少し間を空けてから、作り方は色々なんやけど、と前置きして語る。
「三葉ちゃんが皆に伝えたい気持ちとか、特定の誰かにでも言いたいこととか、強いインパクトがあった出来事への感情とか……その中から、この想いをどう伝えようか? って思えるところを探すのはどうやろ…………って、どないした」
私は言葉のい途中で慌ててノートとペンを出して急いでメモに残し始めていた。あまりに唐突にバタバタし出したからか、イクマさんが少し驚いている。
「私、元々そんなに歌もアイドルも詳しくないから、いつもメモだけは取ることにしているんです。このノートに。歌いかたや踊り方のこととかも、色々」
他のアイドルの子には天才肌というか、表現に必要なものが直感でわかってしまう子もいる。
けれど私にはそんなものないから、こうして必死について行くしかない。
「へえ……」
イクマさんはノートの中身が気になったようで、首を伸ばしつつ続ける。
「見せて貰ってええか?」
私は少し緊張しながら、無言でノートを差し出す。なんだか恥ずかしいけれど、これで何かいいアイディアが出せるのかもしれないなら……。
「………………」
ドキドキしながら、ノートの数ページを見るイクマさんの様子を窺う。
表情の意味を知るのが怖い。間抜けな誤字があったらどうしよう。
数分間無言でノートを読んでいたイクマさんは、パンとノートを閉じて、コーヒーをぐいと飲んでから、大きく息を吐いて、言う。
「すっっっっっごいわ、三葉ちゃん。作曲の先生の気持ち、ちょっとわかる気がする」
私はその言葉を聞いて頬を熱くする。
「そ、そんな……本当に声楽をやる方は楽譜が真っ黒になるって言いますし、私のなんて……別に大したことないですよ」
「でも……なんて言ったらええんやろ。俺も三葉ちゃんの詞、読んでみたい。このノートの持ち主の中から出てくる言葉……っていうか、なんやろな。三葉ちゃんの想うとこ、知りたい」
「えっ」
熱っぽく語るイクマさんに、私は今度は別の意味で頬も首も耳も何もかも熱くしてしまう。きっと今、私はトマトや苺の色をしている。
そんな私の前で、イクマさんもはたと我に返ったようで顔を赤くする。
私は、イクマさんの優しさが好きだ。好みのタイプを聞かれて無難に思い浮かべるような漠然とした『優しさ』ではなく、『イクマさんの優しさ』が。
そんなイクマさんが、言葉のあやだとしても、私を知りたいなんて。
だめだ、またこれだ。
気持ちを自覚してから、意識しては熱病に参るのセットを何度も繰り返している。落ち着かない足先は勝手に遊び、視線はまっすぐに伸びない。
この気持を言葉に乗せたらいいのかな。とも思う。でも、上手にかたちを捕まえられない。『好き』とか『優しさ』とかそんな言葉だけ並べたところで、絶対に伝えられないもの。
結局、糸口が掴めなかった私は、イクマさんの作詞作曲のメモを見せて貰おうと、そのまま彼のアパートにお邪魔することにした。勿論、一応帽子を目深に被って。
「本当に大したことないで。あと、一人暮らしの男の部屋なんやから、早めに帰ること。」
そう言い聞かせてくるイクマさんにくっついて、初めておうちに上がる。
狭いけれどその分物が少なく、すっきりした部屋だった。ギター用品が置かれている一角に、新旧入り交じって沢山のノートが積まれている。
「見ていいですか?」
インスタントコーヒーを入れてくれているイクマさんに問うと、いささか照れくさそうにしながら「ええで」と返してくれる。
私は無作為に一冊手に取り、開きグセがついていたページを開く。
古びたインクで『名前』というタイトルが書かれていた。その下には詞と、ギター演奏のためのコードのメモが続いている。
「なんや懐かしい曲やな」
文字を目で追っていた私に、イクマさんが後ろから声を掛けた。
そして淹れたてのコーヒーをテーブルに置くと、ギターを出してその場で静かに弾き語ってくれる。
『――キミが呼んでくれるから 言葉がひとつ 名前になる』
不安定にも思えるほど穏やかで柔らかいメロディを、イクマさんの芯がはっきりした歌声が支えて、心にすとんと落ち着く。
一番まで歌って演奏を止めようとするイクマさんに私はすぐにお願いする。
「最後まで歌ってください」
イクマさんはちょっと照れくさそうな顔をした後、曲に戻る。
歌い終わるまでの間、私はずっとその歌に、イクマさんの演奏に聞き惚れていた。
私も、こんな歌が書きたい。
「この歌はな」
拍手すら忘れていた私に、イクマさんはむず痒そうに語り出す。
「反抗期、母さんに酷いこと言うた後で、仲直りしたくて作った曲なんや」
私は視線だけで続きを乞う。
イクマさんが滔々と語り聞かせてくれた顛末はこうだ。
イクマさんは、イクマさんを育ててくれたお母さんが赤ちゃんを亡くした日に、捜査官に追われる喰種のお母さんに託された子だという。
同じくらいの月齢だった二人の子供をすり替えるようにして世間の目を誤魔化して、桃池育馬として育った、と。
育馬という名前はお兄さん……つまり育ててくれたお母さんが産んだ息子につけられた名前だという。
思春期のイクマさんはそのことでお母さんを酷く詰ってしまったことがあるらしい。
「それで、色々考えてこの歌にした」
イクマさんは遠くを見るような目をして、続ける。
「考えたんや。名前って何やろって。最初にもろた名前を知ることができたとして、じゃあそれを誰にも呼ばれなければ、俺はその名前を自分のものと思えるんやろかって」
諱って考えもあるけど、俺なりの考えでは。
そう付け足して、イクマさんははにかんだ。
私は。それなら私は……。
「私の名前を、呼んでください」
想いが勝手に声と言葉を成して口からこぼれ出ていた。
キョトンとするイクマさんに、私は慌てて弁明する。
「あ、あの、フレーズ、を。思い浮かんだ言葉がこれで。って、それだけで、あの」
しどろもどろになる私に、イクマさんは真剣な顔をして、当然のようにペンを取って『名前』のページの空白に書きつける。
『私の名前を/呼んでください』
「ああ!」
対する私は更なる大慌てだ。
「何てことするんですか! 『名前』のページにほんな、こんなメモ書き……」
「ええって。歌が分かれば大丈夫。それより三葉ちゃんの曲や」
「うう……」
鷹揚にいなされて、私は小さく唸ることしかできない。
「俺の曲は『呼んでもらったこと』の曲。三葉ちゃんのは『呼んでほしい』の曲。同じ題材でも全然違う曲になりそうやな」
ああ、私の言い訳なんかじゃ、きっと届かない。もうミュージシャンの目をしているもの。
私は諦めて、自分の歌詞の続きを考えることにした。
「ラブソングだね」
歌詞の草案をマネージャーさんに渡すと、開口一番にそう言われた。
「へ?!」
私は想定していなかった反応に素っ頓狂な声を上げる。
「そのつもりなかったの? 確かに『好き』とか『愛してる』とかって言葉は出てこないけど、いいラブソングだなって思うよ」
そう言って、マネージャーさんは草案を受け取った。
その後、私の詞は字数や伝わり易さの関係でプロの手が入った。
曲がついてから改めて仮歌を聴いて、私は事務所で茹でられたように赤面した。
――――お、思いっきりラブソングやんけ!
あまりの恥ずかしさに思わず撤回したくなったが、今更そんなことは出来ない。
私は人に止められるまで顔を伏せてじたばたして、家では母に不審がられながらも好きなだけじたばたした。
曲を作ってから少し。新曲をお披露目することになった合同ライブには、お母さん、イクマさん、ホリチエさん、月山さん、守峰さんを招待していた。
大学の友達にアイドルの私を見せるのは恥ずかしいので、そちらは普段から呼んでいない。
月山さんと、それから多忙な守峰さんは来られないとこのことだったが、退院したばかりのお母さんを含め、他の三人は来てくれた。
「よく月山君誘う気になったねぇ」
ホリチエさんには、招待チケットを渡したとき、そんなことを言われた。
月山さんには(正確には月山さんのおうちの人には)改名手続きのことでお世話になっているし、ホリチエさんとの取り引きで大人しくして貰えるらしいから、声を掛けてもおかしくないと思ったのだけど……。
「いやいや、命狙われてたやろ」
とはイクマさんの弁だった。
イクマさんとホリチエさんにも言われたけれど、私は結構これで、図太いのかもしれない。
「三葉ちゃん、スタンバイお願いします」
「はい!」
スタッフさんに呼ばれて、テープで床に固定されたコードに引っ掛からないように舞台袖の階段を上る。
私の前に歌っていた三人組のアイドルが手を振りながら袖に戻って来た。
「お疲れ様です」
「頑張ってね」
私にまで手を振る三人とすれ違いざま囁きあって、呼吸を整え、ステージの真ん中まで歩いて行く。
『三葉ちゃん』『がんばれ』『待ってたよ』
私を呼ぶ声がする方にぐるりと笑顔を向けてから、正面に一礼する。
「こんにちは、先程ご紹介に預かりました。三葉です。今日は新曲を聴いていただく運びとなりました」
スポットライトが眩しくて、なかなか客席がはっきり見えて来ない。それでも、普段より少しだけ大きい箱の闇に浮かぶサイリウムに、私のイメージカラーを見つけることが出来る。
「この度は作詞に初挑戦しました。よろしくお願いします。『call my name.』」
穏やかなピアノの前奏に包まれて、私の体は覚えた通りの、控えめなステップを踏み始める。
目が慣れて、いくつもの光が横に揺れるのが見えるようになってきた。波のように大きく、ゆっくりと揺れている。
私は穏やかな海に歌いかけるような気分で、自分の言葉を音にした。
「やっぱり、ちょっと足りなかったなと思うんです」
後日、お礼も兼ねて、私は差し入れを持ってイクマさんお家を訪ねていた。
入れて貰ったインスタントコーヒーを飲んで一息、私が口にしたのが今の言葉だった。
「足りない、かぁ」
イクマさんはそうつぶやいて、言葉を選ぶようにコーヒーの湯気を眺めて、ややあって口を開く。
「足りる足りないは置いといて、すごくよかったって思うで」
「はい」
私はそっとはにかむ。だけどそれで終わってはいけない。言わなくてはならないことがあるのだ。
それは、私として、そして一人の
「あの歌……ラブソングだって指摘されました」
恥ずかしいけれど、最初から話す。イクマさんは黙って聞いていた。
「私も言われて自覚しました。あの歌は、ラブソングです」
私は無意識に持ち上げていたマグカップをテーブルに置いて、しっかりとイクマさんの目を見て告げる。
「イクマさんに向けた気持ちです」
するとイクマさんは勢いよく咳き込んだ。
「えっ、あっ、大丈夫ですかっ?」
私は慌ててテーブルを回り込み、咳き込んだ母にそうするように、イクマさんの背中をさすった。
そうしながらも、最後まで話せていない話の続きを口にする。
今言わないと、今言わないと、と私もすこしばかり急いていた。
「それでその、あの歌の『呼んでほしい』の気持ちって、今の気持ちよりずっと膨れ上がったあとの気持ちだと思うんです。もっと、呼んでもらってから思う『もっと』の気持ちじゃないかって」
気管支が落ち着いてきたイクマさんが顔を上げる。
潤んで赤くなりかけたその目と、目が合う。けど、言わないと。言わないと!
「だからイクマさん、私の名前を呼んでほしいんです」
伝えるには伝えられた。が、私は目を伏せることになる。
「……ごめんなさい。一方的に」
我ながら勝手な物言いに反省仕切りで、私は小さくなる。頬が熱い。耳まで熱い。
「ごめんなさい」
「お……おう……。俺もごめん……話に、追いつけんで……」
「はい」
きっと私と同じくらいなのであろう赤に彩られたイクマさんと向かい合って、そのまま二人、無言の空間に苛まれる。
チクチクと刺さる空気に耐えきれず、私は用事をでっち上げて帰ってしまいたいような気持ちに襲われ始めた。と、イクマさんが言葉を発する。
「それって、俺も二つ目の名前で生きてるからとか、それだけやなくて……って、ことで、ええんかな」
私は赤べこのようにこくこくとしつこく首を振る。
イクマさんは呼吸の仕方に迷うような素振りをして、ややあって……
「清音さん」
私の名前を呼んだ。
「はい」
私が返事をすると、勢いづけたようにイクマさんは続ける。
「清音さん」
「はい」
私の名前だ。
「清音さん」
「はい」
「好きです。清音さん」
私はイクマさんの言葉に、泣きそうな気持ちになる。
姉と同じ名前。でも、私の名前。
私はすっと息をすって、万感が籠もるように祈りを込めて返事をする。
「はい。育馬さん」
「ホントに送ってかんで平気か?」
イクマさんの部屋を出るとき、心配そうにそんなことを言われた。来たときはまだまだ明るかったのに、外はいつの間にか真っ暗だ。
「平気です。それより……」
私はさっきまで渡しそびれかけていた差し入れに視線を遣る。イクマさんはその紙袋を見て、それから明るく笑う。
「ああ、嫌いなコーヒーとかはないで。寧ろ美味しそうで楽しみや」
「そ、そうじゃなくて……そうめんなんて、困りますよね……」
そう、私としたことが、自分で選んだ差し入れと共に母が忍ばせたそうめんもそのまま渡してしまったのだ。
「やっぱり持って」
帰ります。
まで言う前に、イクマさんは首を横に振った。
「……重いし、うち来て食べたらええと思う」
視線を逃がすイクマさんの顔は当然のように赤い。私も似たようなもので、また顔色がお揃いになってしまった。
「はい……」
それはともかくそろそろ本当に帰らなければ。お母さんに心配を掛けてしまう。
「それじゃあまた、イクマさん」
私は軽く頭を下げて、手を振る。
イクマさんははにかんで、手を振り返した。
「おやすみ、清音ちゃん」
名前を呼び合うのが嬉しくて、私は既に次がまちどおしくなってきた。
そうめんは、結構賞味期限が長い。何度か食べ忘れてもいいと思う。今度来るときはめんつゆ忘れよう。
……これくらいの計算なら、イクマさんは許してくれるような気がした。
だってそんな口実、そのうち必要なくなるはずなのだから。
誰かの名前を貰って、だからこそ名前を呼んでほしい話。
粗いけどこのSSのイメージイラストはこれ。
アイドル観については三葉ちゃんのお姉ちゃんが憧れて三葉ちゃんが志したアイドルって現代の秋元ナイズされた“アイドル”じゃなくて『若い子がキラキラ可愛くして踊り含め色々やる“歌手”』だと思うのでこういう書き方になりました。
作中の歌詞も作詞したら気に入ってしまったのでここに置いておきます。そのうち音源にしたいものです。