遺言状か遺書か何か。

 ごきげんよう。これを読んでるということは、そんなに君は私を殺したいのかな?w
 冗談です。

 事実はどうあれ、私が、ブログ、サイト、Twitter、ニコニコ動画等全てから断りなく姿を消して三月経ったら、死んだものとして扱うことを許可する。待てないなら一月でもいい。
 いや、別にいつ死んだと扱われてもいいが、一応、目安。私を好きな子なら、きっと何人か私と同じ迷子のなりかたをするから。

 私本体が死んでなくてもわたしのこういう神経の細さが祟って終わりを宣言しないままH.N.Jane Na Doeだけ死ぬかもしれないね。
 でも、どうなんだろう……一応何もなくなんとなく終わることは前提に入れないことにするけど……。

 私が死んだら、私のアイディアや文章は、今までよりさらに好きにしていい。戻ってきたら普通にしてね☆

 確実に死んでるって言えるなら、どんなかたちであれ報せがあったってことだろう。
 よかった。死んだこと、報せがあって。なかったら、精神状態によっては色んな可能性の間で揺れることもあるかもしれない。よかった。
 誰も私のためになんか心を砕かないかもしれないけど、私自身になんの感慨もなくても、何かを思い出して揺れるかもしれない。一応、よかった。
 私は出来るだけ、私に近い人に優しくしてあげたい。

 私は画面越しに他人と名前や言葉を交わす上で、たとえその瞬間(一瞬でも)、隣人のように愛しても、葬式にも出られないのだろうと、恐れる節があった。
 どんな恐れか全てをわかっているわけではない。ただ、恐れた瞬間はあった。区切りがつかないのが最たる理由、のはず。
 だから、まあ、『好きなように』。死者は気楽なものだ。多分葬式なんてしないと思うが。

 ……思ったより書くことはないんだね。

 もしも死んだかどうか不明瞭にしかなれないかたちで死ぬとか、こちらに伝わらないとかだったら、一応自分と同形の子には謝っておく。
 あと半端なままサイトやブログを放置するのも、わたしは結構怖い。半端は苦手だ。出来れば死ぬなら、色々区切りがついてるといい。

 こうして『終わり』をあらかじめつくっておくには理由がある。私は現在進行形のまま凍りついたWEB廃墟が苦手なんだ。
 「更新再開しました☆」とかそういうのから何年も途切れていると、怖くなる。そういう性格だから、終わりはつくっておきたかったの。

 ここがさいはてです。
 ちゃんとさよなら出来てうれしい。さようなら。


 2011年2月5日(土曜日)→2011年3月10日(木曜日)改訂→2011年10月25日(火曜日)再改訂 Jane Na Doe(片手羽いえな)

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